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学びとお尻筋トレの関係

ちょっと前まで、いつも足りないと思っていた
仕事をしていても
人と接していても
勉強が、分析が、情報が足りないから上手くいかないんだと思っていた

足りないと感じたらその部分を補うべく、また勉強していくのだが私の場合はずっと足りないままだ
だって、調べれば調べるほど情報はある
だから、あれもこれも知らないことばかりになる
私の知っている以外のことを含めて、世の中は出来ているんだから当たり前だよね
キリがないから学びは面白いのだが、足りない情報や知識ばかりに追われてはいけない
私が考えたことじゃない、誰かの何かのために追われていてはいけない
学びは追われるものではなくて、自ら沈みこんでいくものだから
時間を忘れてはまる面白さ、これがいいのだ

足りないもどかしさをちょっと諦めて、これからはぐっと深めていこう
量を諦めて質にいこう
情報との対話ではなく、自分との対話を深めよう
何かのどこかに書いてある答えじゃなく、自分はどう感じ、どう考えるか、それは一体どういうことか、自分という枠の中で考え・探し・深めていく
それはそれは楽しいことだ

そういうところは筋トレと似ている
私はお尻の筋トレが大好きで、スクワットの時はお尻の筋肉と対話している
足りない筋肉をつけるのではなく、元々ある筋肉と対話しながら形や機能を高めていく

大きいお尻にしなくてもいい
誰かの何かのために鍛えるのでもない
お尻と足の境界が作れて、ほどよく形よく上向きにしておくと気分がいいのだ

ああ、はまる

学びもお尻も孤独な作業だ
時間もかかるし、誰に見せる訳でも無い
ただただ、自分が楽しいだけだ
でも秘かな成果は必ずある
そこがいいのだ

人のため、世のためと毎日同じようなことを書いて人に見せている文章が嫌いなのはここにあるのだ
そんな願掛けみたいな文章を書いているなら、毎日書いて達成できてないと公表し続けるぐらいなら、毎日筋トレすればいいのに
まぁ、人の好き好きだからいいけども

こんな風だから、いつも一人
たどり着くのはやはりここ笑