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写真と文章

ある日、一緒に食事をしていた人と文章の話になって、「そういえば俺,
noteってので文章書いてるよ」とこのnoteを紹介する流れになった。

その人はnoteの存在自体も知らないようだったので、どんなプラットフォームなのかを簡単に説明し、私自身はどんな事を投稿しているかを伝える。

興味を持ってくれたようで
「読んでみたいんですけどいいですか?」と聞いてくれる。
「勿論」
「今後書きづらくなったりしないですか?」
「全然」

スマホを渡し、目の前で読まれるのがちょっと気恥ずかしいのもあったのでお手洗いに行く。
どんな感想を持ってもらえるのだろうか。

お手洗いから戻ると、その人は私を見て
「どんなこと考えて写真を撮ってるのかが何となくわかりました」
そう言ってもらえた。

そうだったら嬉しいな、と日々思っていた事だったから、その感想がもらえたのは嬉しかった。

写真だけパッと見て感動してもらえると、とても嬉しい。
だが、私としては自分が何を考え、何を見ているのかも知ってくれたら尚嬉しい。本当は写真だけでそれらが全て伝われば良いが、それはおそらく組み写真にして適切なタイトルをつける必要がある。だから気軽に読んでもらえる場所では言葉で補完しようと思う。(勿論、単に文章を書くのが好きだからというのもある)

だが、今後としてはあまり写真について触れない文章にしたいなと思っている。テクニカルな話はテクニカルな話をしようという時だけにして、それ以外ではあまり多くは語らない。しかしそこから何となく写真に関する解釈を広げてもらえる、そんな文章を書きたいと思っている。

最近は何においてもわかりやすく解説しすぎだと思う。わからないものはわからない、わからないから喰らい付いて勉強する、そういった時も必要なのではないだろうか。私はヘソが曲がっているのでそんな事を考えてしまう。
そしてだからこそ私自身も勉強を沢山しないといけないし、いろんな表現が出来るようにならないとと考えている。


フィルム写真の文化の一助になるよう活動を続けたいと思います。フィルムや印画紙、薬品の購入などに使わせて頂きたいと思うので、応援の程よろしくお願い致します!