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身勝手な写真 モノクロ手焼きプリント#11

人間は生き物の死んだ後をコントロールする。
花だったらドライフラワーにしたり、昆虫や動物は剥製にしたり。
ドライフラワーは人間がその姿を見て癒される為にそうするし、剥製は鑑賞や学術的な用途の為に作製される。用途は様々だが、しかし死んだ後をコントロールしているというのは同じだと思う。

そもそも生き物が生を終えた後の姿というのは、本来は埋葬したり火葬したりしてその姿を長く晒すという事はないのだと思う。
人間が食用や商用などの為に生を終えさせたのなら別として、生き物が生を終えた後の姿には表面的な価値はないはずだ。だが、そういったものに対して表面的な価値をわざわざ付加して利用するというのは、人間の身勝手とも言えるし、しかし自然と調和している面白い文化だと言えると思う。

私自身も、枯れた花は好きだ。
特に、道端にたまにあるような何だか妙に存在感を感じる枯れた花が好きだ。だが、それを持って帰ったりするわけではなく、その場にあるままを撮るようにはしている。普段のスナップでは何かをコントロールはしない。
だが、モノクロに変換して好みになるように現像とプリントをするという意味では、私もその姿をコントロールしていると言えるのかもしれない。

今日もモノクロで花を撮ったのだが、写真になる事でその花はその姿のまま永遠に残ることになる。青々とした姿で写せばその姿が、枯れた姿で写せばその姿が、この世界に(とりわけ私の心の中に)残ることになる。
ひょっとしたら枯れた姿を残すなんて花への冒涜だ!なんて言う人もいるかもしれない。だとしても私は身勝手な人間なので、生を終えた花を美しいなと思いながら写真に撮り、そして印画紙に焼き付けている。




Camera : Leica M2
Lens : Voigtlander NOKTON 50mm F1.5 Aspherical
Film : MARIX 400
Paper : Ilford MGRC

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