多数決の危険性

多数決というものは学級会などで何か案を決めるときに用いられます。学芸会の出し物から合唱コンクールの自由曲、学級委員などなど。
何かを決断する方法としてオーソドックスでわかりやすく、頻繁使われていることと思います。
しかし、多数決で決まった意見、それこそが正しい意見だと受け取ることは極めて危うい考え方だと思います。
特に子どもは見識が浅いことが多く、勘違いしがちだと思います。
よくみんなが言ってた、とかみんなが持ってる、とかそう言った発言の向こう側には、多数=正義、という考え方が透けて見えます。
その考え方は、イジメにも繋がる考え方なのではないかと、私は考えています。
多数決というのは多数が勝つと同時に、少数が負けるということを意味します。
村社会では少数派が排斥されるイメージもありますし、多数から攻められながら少数派の反論を繰り出すのはかなりパワーがないとできないので、どうしても立場が弱くなってしまいます。
もちろん、意見が割れたときやまとまらない会議では、多数決で物事を決めていくというのは王道ですし、それなりに効力な手段てはあると思います。
ただ、そこに多数=正義、というわけではないということの意識付けが大事だと思います。
もちろん時間や状況などいろいろ案件ごとにあるので一概に言うことはできませんが、少数の意見を尊重、検討することも大事だ、ということは、特に子どもが多数決を使う際には伝えたいところだと思います。
一億総中流なんて言われていたのも、随分昔の話になっています。個性を大事にしましょうなんて物言いや、ダイバーシティが叫ばれるいま、子育ての中に多数決の有用性と共に危険性も合わせて教えたいものです。
その中で願わくば、多数にも負けない自分の意見が発せられる子どもに、息子は育ってほしいと私は思っています。

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