マスクというのは予防か防止か

今思うと、コロナ禍でマスク推進派だった人たちは、マスクに何があると考えてマスク推進を推し進めようとしていたのでしょう。
マスク推進派はアンチマスク派にマスク着用を強要していました。私はアンチマスク派でしたが、かなりマスク着用を強要されましたし、嫌な思い、理不尽な思いも随分しました。
方やアンチマスク派はマスク派にマスクを外すことを強要したりしてたのでしょうか? 私はしてませんし、そんな話は聞いたことがありません。
そもそもマスクに関して、マスク推進派の人たちはマスクに何を求めて、つけることを他人にまで要求していたのでしょうか? そこがマスク推進派から語られることはほとんどなかったように思います。
私が思うにマスクに期待する効力というのは、予防か防止かの2通りしかないと思うのです。
予防はコロナにかからないようにする、言わば自己防衛です。自己防衛に関しては個人の話なので他人がとやかく言う話でもないと思います。
防止は飛散防止です。コロナにかかった人がウィルスを咳やくしゃみなどで周囲に飛ばさないよう防ぐ意味合いです。
しかし、これはあくまでもコロナウィルス保持者にのみに必要なものであって、誰にでも必要なものではないはずです。
方や健康な人がマスクをすることは、マスクによって滞留した自分が吐いた二酸化炭素の濃度が高い酸素を再び高確率で吸うことになり、正常な状況より酸素の少ない呼吸を強いられるすることになり、健康を害しやすくなります。マスクをすることで酸素がたりなくなるのは、マスクをしたまま軽登山をしてみるとすぐに実感ができます。
マスク推進派は、健康な人を一方的に過酷な環境に追いやろうとしていたのです。それはあたかも戦時中に国の発表を鵜呑みにして、戦争に後ろ向きだった人間を非国民扱いした人たちのように。
推進派の言い分もあると思います。無症状だとか潜伏期間が長いとか。ただ刑事法にもあるように疑わしきは罰せず、だと思うのです。あからさまな保菌者にマスクを強要するのは理解できるのですが、そういったことがない人に強要するのは暴力以外何者でもないと思います。
コロナ禍は、そういった理屈関係なしのポピュリズムに振れる日本の国民性をまざまざと見せつけた事例だと思います。
子どもの将来住む社会のことを思うと心配でなりません。

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