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釣りにハマってアタリ中毒

 先日、友人二人と小浜に釣りに行った。僕は釣り道具を買ったのは昨年で、まだまだ初心者。二人はもう10年近く釣り歴のあるベテランだ。

 今回はルアー釣りに挑戦した。シーバス(スズキ)に狙いを定め釣る。ビギナーズラックだろうか、釣り始めて1時間でアタリが来た。最初、針が海藻に引っかかったのかと思った。そのくらいズシっと重かった。これはデカい! 慌てて助けを呼ぶ。タモを持った友人が駆けつけてくれたが、なんと、掬う直前に逃げられてしまった。「60cmはあったね」悔しそうに友人が言う。僕は強がっていたが、そのあと釣れない時間が長くなるにつれて、段々と悔しさが増していった。

 結局その日は一匹も釣れなかった。正確には友人が小さなタコを一匹釣っただけで、全員の釣果はほぼゼロ。僕はその後一度もアタリがなく、友人たちは何度かアタリがあったがことごとく逃げられてしまった。

 帰り道、なんとなく釣れなかったシーバスの話になる。どんな風にして調理をするのか、と聞くと、オススメは炙りさし、もしくは洗いだね、それか蒸すのもいい、と細かく具体的だ。途端、食べれなかった魚の味が、調理法で蘇る。口の中にジワリと広がる。ああ、釣れなかったなあ、とまたしょんぼりする。

 そんな中、ふと気になって、どんなきっかけで釣りの世界に足を踏み入れたのか、と言う質問をぶつけてみる。道中、時間はたっぷりある。しかも狭い車内だ。二人は記憶を手繰り寄せ、釣りを始めた頃の話をしてくれる。どちらも、誰に教わるでもなく、独学で釣りのやり方を学んでいった、と言う話が印象的だった。なんどもなんども釣れない日々を経て、試行錯誤して、徐々に釣れるようになっていったのだ。

 釣りはそれこそ考えることが無数にある。道具選び、釣り方、釣り場所、季節、時間帯、狙いの魚。一つ一つ試しながら、精度を上げていく。それでも釣れたり釣れなかったりと、運任せのところもあるから面白いのだろう。二人とも声を合わせて、釣りにハマった時の話を懐かしく話してくれる。なんだか、楽しそうだ。

 すると、友人の一人がこんなことを言った。

 一番ハマっているときはやばくて、夢でも釣りのことが出てくるようになった。そのうち、釣りにいけない時間が長くなると、とにかくなんでもいいからアタリが欲しくなってきて、家の金魚を釣ってしまったことがある・・・。

 え? どう言うこと? 運転していた僕は、思わずハンドルを切りそうになってしまった。釣りの醍醐味は、やはり魚が針に食いついた瞬間(それをアタリというが)そこにアワセて釣り上げるときだ。確かに、あの手応えは一度釣れたら病みつきになるのはわかるが、まさか家の金魚を釣ってしまうほどとは・・・。それではまるでアタリ中毒だ。

 そう言うと、いやあ、セックス中毒とかじゃなくて本当によかった、と友人は冗談めかして笑っていた。僕も笑ったが、なんだか呆然としてしまった。万事につけて、一つの道を極める人たちの、その途上の体験談は破天荒なものが多い。金魚を釣る人の気持ちがわかるくらいにならないと、釣りの道を極めるのは厳しいのかもしれない。

 しかしこう言う状態こそ、まさに”熱中症”と呼びたいものだ。

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