吐くまで呑む夜を幾つ繰り返せるか
やってしまった! 人生の汚点をまた増やしてしまった。
コロナ禍でキャンセルになっていたバンドのツアー。ようやく再開に漕ぎ着けた。一日一日を大切にしたい。そんな思いで企画を練った。
大阪淀屋橋にあるカフェ周。オーナーの稲本さんが素晴らしい人で、このハコに自分のバンドを連れて行きライブをする。その夢が実現した夜。僕は明らかに浮かれていた。
自分の酒量を越えて飲み続け、最後は潰れてしまった。「そろそろ帰るよ」とメンバーに声をかけられ、僕は車の助手席に乗り帰路に着いた。
その日の宿泊場所である京都に着いた時、それまで溜め込んでいた吐き気が一気に襲って来た。車を止めて!と叫ぶ間もなく、僕は窓の外に嘔吐した。とめどなく。せっかく稲本さんが作ってくれた燻製の鶏肉は、風に乗って飛散し、車内にまで薫香が広がった。
「トシ、大丈夫?」健さんが車を脇に停めてくれる。その声色には、心配2割、笑えるネタ8割、提供ご馳走さん、という響きが篭っていた。
やっちまった! バカバカバカ俺! 屈辱と自戒と謝罪とゲロにまみれながら、どうにかこうにかガソリンスタンドまで辿り着いた。
窓を必死に吹きながら、僕は「ちくしょう!ちくしょう!」と喚き続けた。そんな僕を笑いながら、健さん、岡林さんは優しく接してくれた。
健さんは「僕もすすき野の交差点で、人がいっぱいいるのに車から吐いたことあるよ」と、過去の汚点を披露して慰めてくれた。岡林さんはドトールのアイスコーヒーを差し入れしてくれた。二人とも本当に優しかった。
「トシもついにインターハイに出れるな」
そんなインターハイには出たくね〜、と思いながら、僕は沈んだ気持ちで、一人とぼとぼ歩いて家路に着いた。
アイスコーヒーの氷を噛み砕きながら、吐き切ったおかげで段々と酔いがさめて来た。すると、ふと、啓示が訪れた。
「そうだ。こうして吐くまで呑む夜を幾つ繰り返せるかがミュージシャン人生なんだ」
臓腑の裏側までさらけ出し、吐くまで飲み、自分を開放する。そんな夜を何度も繰り返し、人は愚かに強くなる。
コロナ禍はもちろん、そんなモードにならなかったし、コロナ前も僕は建前を気にしていたから、吐くまで呑むなんて、と思っていた。呑みの先輩、インターハイ選手たちは、そんな僕を生暖かい目で見守ってくれていた。
むしろ、吐ききったことを誇らしげに思うべきだ。そんな気持ちで星を見上げ、僕は家に帰り、ゲロまみれの洗濯物を突っ込み、こうして獲得した一つの真理を書き記す。
願わくば、みんなへ届きますように、と。
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