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「ヘイ・ユジーン」ピンク・マティーニ HEY EUGINE! PINK MARTINI


メイド・イン・ポートランド、Pink Martiniの魅力

佐藤利明(オトナの歌謡曲プロデューサー/娯楽映画研究家)

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   アメリカ、オレゴン州ポートランドの街を歩くと、ここからピンク・マティーニが生まれ、世界へと拡がっていったことが、感覚としてよくわかる。ダウンタウンには趣味の良い本屋に、レコード・ショップが彼方此方にあり、人々もリベラル。古き良きオールドタウンという言葉が相応しい。1994年、ハーバード大学卒のトーマス・M・ローダーデールが結成したピンク・マティーニは、この街の誇りであり、トーマスは人気者。「1969」レコーディングの際に、トーマスに街を案内してもらったのだが、歩いているだけで、街の人々はトーマスに挨拶をし、彼も笑顔で応えて、立ち止まっておしゃべりを始める。ハリウッドの少年スター、ミッキー・ルーニの主演作でMGM映画『街の人気者』(1953年)というのがあるが、まさにトーマスは“街の人気者=Toast of Town”なのである。

   ダウンタウンにある“アイリーン・シュニッツァー劇場”は、1928年に建てられたポートランド・パブリック・シアターを1984年にリニューアルした美しい劇場で、街の誇りともいえるランドマークでもある。ここでしばしば行われるピンク・マティーニのコンサートには、街中の人々が集まり、彼らのサウンドだけでなく、彼らが創出する時間と空間を楽しんでいる。子供からお年寄りまで、あらゆる世代が、ポートランドの誇りとしてピンク・マティーニをセレブレーションしている。そんな感じが伝わってくる。

  トーマスはメイド・フロム・ポートランドを誇りとしている。「ヘイ・ユジーン!」はピンク・マティーニにとっては三枚目のオリジナル・アルバムで、2007年5月15日に、彼らのレーベルであるハインツ・レコードからリリースされた。タイトル曲の「ヘイ・ユジーン!」は、ライブ・コンサートで人気の曲で、ヴォーカリストのチャイナ・フォーブスが作詞、トーマスが作曲したオリジナル。トーマスのポリシーは、世界中の“美しい音楽”を探し求めて、それをディスカバー=再発見すること。単なるカヴァーではなく、世界中のリスナーにその良さを伝える、その時代に作られたスタイルと空気感をそのまま提供する。だからオリジナル曲も、昔から歌い継がれてきたスタンダードのような味わいがある。しかもポートランドを拠点に、彼らはヨーロッパ、南米、アジア、オセアニア、そしてアメリカ各地と、文字通り、世界を舞台にコンサートツアーを展開している。

  これまで、美輪明宏の「黒蜥蜴の唄」、和田弘とマヒナスターズの「菊千代と申します」と、日本の歌謡曲のディスカバーをしてきたPink Martiniが、ここでは由紀さおりの「タ・ヤ・タン」を発見して、世界にその美しさを伝えている。トーマスは由紀さおりを、ポートランドのレコード・ショップで発見、それがこのアルバムでのディスカバーとなった。それが縁で、2010年3月の来日公演へと発展。ビルボードライブ東京でのライブに、オリジネイターの由紀さおりがゲスト出演。チャイナと「タ・ヤ・タン」をデュエット、リスペクターによるセレブレーションがステージで実現したのである。

   この時の由紀さおりのコラボがアルバム「1969」に結実した。その後のことは、皆さんご存知の通り。でもそれはトーマスにとっては特別なことではなく、このアルバムでもジャズ・バラードの生ける伝説、ジミー・スコットをゲストに「二人でお茶を」のセッションを実現ししているように、遅れてきた世代としてオリジネイターへのリスペクトを実践するのが、彼のスタイルなのだ。音楽考古学者を自認するトーマスの“ディスカバー・ザ・ワールド”への探求と実践が、アルバムやライブとなって、世界中の人々を楽しませくれているのだ。

   このアルバムも、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、日本語、ロシア語、アラビア語、そして英語と7カ国の言葉をフィーチャーしている。言語だけでなく、音楽スタイルもトラックの数だけある。それを聞いているだけでも楽しい。まるで世界中の街角に立っているような気持ちにさせてくれる。“メイド・フロム・ポートランド”の“ディスカバー・ザ・ワールド”。それがピンク・マティーニの魅力なのである。


<楽曲解説>

1. エヴリウェア
“Everywhere” 

 ストリングスの美しいイントロ、チャイナの優しく包み込むような歌い出し。どこまでも美しくロマンティックな「エヴリウェア」は、1930年代から40年代にかけて、ハロルド・アレンがMGMミュージカルのトップスター、ジュディ・ガーランドのために書き下ろした「虹の彼方に」など数々の名曲を思わせる。ロバート・テイラーのトロンボーンも1940年代の映画音楽のような味わい。「眠たげな夏の空 都会を過ぎ行く恋人たち 私は貴方に思いを馳せる」美しい言葉の歌詞。歌詞とメロディ、そしてアレンジの良さが際立つラブソング。


2. テンポ・パディード
“Tempo Perdido”

 “ブラジルから来た爆弾娘”のニックネームで、1940年代のハリウッドの音楽映画を席巻した歌姫、カルメン・ミランダの1934年のレコーディングで知られる「テンポ・パディード」は、ブラジルのサンバ・ミュージックの雄、Ataulfo Alvesの作品。カルメン・ミランダは、頭を果物などで装飾し、高いサンダルでリズミカルにダンスを踊りながら歌うスタイルで40年代にアメリカでラテンブームを巻き起こした。ピンク・マティーニのフルメンバーに加えて、コーラスにはジェファーソン高校のゴスペル・コーラスが参加。リオのカーニバルのような祝祭空間がサウンドで展開される。


3. 見知らぬ海
“Mar Desconocido" (Uncharted Sea)

こちらは、Pink Martiniのドラムスやパーカッションを担当しているマーティン・ザザールが作詞、作曲を手掛けたオリジナル。マーティンはペルーで生まれ、幼い頃に、父親がケンブリッジ大学で学ぶことになりロンドンへ移住。母親がプロのダンサーだったこともあり、1980年代には母親と仕事をしていた南アフリカのミュージシャンの影響を受けて、アフロポップスやアフリカン・フォークロックに親しんだという。その後、音楽を志し、ポートランドでトーマスやチャイナたちとの出会いがあってPink Martiniに参加。フレドリック・ショパンの「C#マイナーのワルツ」のフレーズはトーマスのセンスの良さ。"Mar Desconocido"とはスペイン語で「見知らぬ海」という意味。


4. タ・ヤ・タン
“Taya Tan”

 2011年後半の日本の音楽シーンの話題を席巻した由紀さおりとPink Martiniのコラボ「1969」のすべての原点となったのが、この「タ・ヤ・タン」。由紀さおりの二枚目のシングル「天使のスキャット」のカップリングとして、1969年6月にリリースされた山上路夫作詞、いずみたく作曲の作品。トーマスは、この曲が収録されているLP「夜明けのスキャット」を、ポートランドの行きつけの中古レコード・ショップ“EVERY DAY MUSIC”のWorld Musicのコーナーで発見。その理由はジャケットがフォトジェニックだったから。このカヴァーがYouTubeにアップされ、それをぼくがたまたま発見したことがきっかけとなり、「1969」の奇跡につながった。



5. シティ・オブ・ナイト
“City of Night” 

  ダン・ファンレーのギターをフィーチャーした「シティ・オブ・ナイト」は、クールでホットなラテン調のスタンダード。ギャビン・ボンディの官能的なトランペット。フィル・ベイカーとマーチン・ザザーのリズム・ギターの歯切れの良さ。このサウンドに見事に絡むトーマスのピアノ。すべてはチャイナのヴォーカルのためにあるのだが、危険な香りが実にカッコイイ。これもチャイナとトーマスのオリジナルだが、このソングライター・チームが自在な証。


6. オハラ
“Ojalá (Hopefully)” 

 チャチャのリズムが楽しいダンサンブルな「オハラ」は、オリジナルのフレンチ・ポップス。チャイナと日系のティモシー・ユウジ・ニシモトのデュエットが楽しめる。“Ojalá”とはスペイン語で「うまくいきますように」という意味。


7. ブクラ・ウヴァ・ドゥ
“Bukra Wba'do(Tomorrow and The Day After) ”

 アラビア語で「明日と明後日」という意味の「ブクラ・ウヴァ・ドゥ」は、エジプトとアラブで有名な俳優でありシンガーのアブドル・ハリム・ハフェツのヒット曲。これがピンク・マティーニにとって初めてのアラビア語の歌となる。アブドル・ハリム・ハフェツの歌は、「『アラビアのロレンス』とテクニカラーのミュージカルが出会ったような感じ」とはトーマスの言葉。インドのムンバイの映画産業のことをハリウッドにちなんでボリウッドというが、そんなテイストがあるピンク・マティーニ版 “ボリウッド・ソング”としても楽しめる。


8. カンテ・エ・ダンス
“Cante e Dance(Sing and Dance)” 

 ピンク・マティーニのベーシスト、フィル・ベイカーが作詞作曲した、イタリア語の"Cante e Dance"はクールでセクシーなチャイナとティモシーのデュエット・ソング。「1969」のレコーディングでフィルと一週間スタジオで共に過ごしたが、その人柄は実に暖かい。周りへの気遣いも忘れない紳士で、トーマスのいささかムチャ振りとも言えるオーダーにも、ニコリと笑って応じていた。


9. ヘイ・ユジーン
“Hey Eugene”

 パーティで電話番号を教えたのに、一度も電話をかけて来ない男の子についての女の子の心情。ボーイフレンドへの気持ちをストレートに表現した、メロウでリリカルな女の子の心情。そしてチャイナのヴォーカルが愉しい「ヘイ・ユジーン」。ピンク・マティーニのコンサートでは、ファンに愛され続けているレパートリーを、初めてレコーディング。ハーバード大学を卒業後、チャイナはニューヨークで、フォーク・ロックのヴォーカリストとして活躍していた。その力量が堪能できる佳曲。

10. シラキューズ 
“Syracuse” 

フランスの人気歌手でギタリストのヘンリー・サルヴァドールの「シラキューズ」をチャイナがカヴァー。サルヴァドールといえば、フランス語で最初にロックンロールを歌ったミュージシャンでもあり、ジャンゴ・ラインハルトやクインシー・ジョーンズとの共作でも知られる。2002年に復活をとげ、以後、2008年に亡くなるまで精力的に音楽活動を展開。「シラキューズ」は、イヴ・モンタンもライブでしばしば歌っている。ネイティブなフランス人も驚くほどのチャイナの上手さが味わえる。

Dimitri From Paris & Pink Martini - Syracuse


11. さよならクマンバチ “
Dosvedanya Mio Bombino" (Farewell My Bumblebee)  

 これもトーマスとチャイナのオリジナル。後半部分、日本では「ゆかいに歩けば」としてNHK「みんなの歌」で親しまれたメロディが出て来る。第二時大戦後のドイツで流行したフレドリック・ウイルヘルム・メラーが作曲した"The Happy Wanderer"をコーラス部分にフィーチャー。"The Happy Wanderer"はメラーが指導者をつとめていた、ドイツのオーベルンキルヘン合唱団のヒットで知られる。多言語、多ジャンルのピンク・マティーニらしく、これはドイツのポピュラーソングを思わせる力強いナンバーとなっている。


12. 二人でお茶を
”Tea for Two”

 ジャズ・バラード・シンガー、ジミー・スコットは、50年代から60年代にかけて“リトル・ジミー・スコット”の愛称で活躍、その後引退、復活を果たした伝説的な存在。21世紀に入ってからもしばしば来日。自らジャズではなく、ジャズ・バラードと呼んでいる、スタンダードの歌詞の意味を噛み締めるように、ゆっくりとこの上なくスローに謳い上げるそのスタイルで、多くのファンを魅了。トーマスがリスペクトしてやまない伝説のジミー・スコットをゲストに迎えて、チャイナとのデュエットで、ドリス・デイのヒットでおなじみ「二人でお茶を」をレコーディング。この曲は、ヴィンセント・ユーマンとアーヴィング・シーザーが、1925年のブロードウェイ・ミュージカル「ノー・ノー・ナネット」のために書いたもので、フランク・シナトラからアレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソンまでカヴァー。チャイナの歌うヴァースが、ジミーのヴォーカルの助走となり、ダン・ファンレーのギターが優しく包み込む。極上のジャズ・バラードとなった。


Doris Day - Tea for Two (1950)








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