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『街』(1939年8月20日・東宝・山本薩夫)

山本薩夫監督『街』(1939年・東宝)を時層探検映画として再訪。大日方伝の熱血漢が、富山から上京。五反田の薬局へ住み込みで働くことに。

他の作品同様、大日方伝の熱血ヒーローは、なんとも脈絡がないというか、何を考えているのか、表情や行動からは読めない。スリリングである(笑)。いきなり怒り出したり、相手に鉄拳制裁を加えたり、義憤にかられて、というのはわかるのだけど、映画のキャラクターとしては、よくわからない。

さて、信州から上野に向かう汽車のなかで、大日方伝の向かいの席に座っていたのがインテリの経済学者・北澤彪。熱血漢とインテリ。汽車で風景画を描いていた北澤彪に「何を描いているんだ!」といきなり言いがかりをつける大日方伝(笑)シナリオや演出ではなく、あくまでも彼の資質だろう。

五反田駅前の賑わい。この風景がたまらない。高架を走る池上線。カメラはタイトルである「街」へ。エリア的には三業地である「新開地」のあたりが舞台なのだけど、そこは東宝映画。フツーの商店街。

街は町内を仕切っている花屋(なぜか駒沢とある)のマダム派か、反対派に二分している。そういう情報を教えてくれるのは床屋・深見泰三や、風呂屋で声をかけてきた近所の店員・柳谷寛たち。

そんな旧態依然とした人間関係にも「???」と疑問を持つ熱血漢。この人は思ったことをすぐ口にしてしまうので、周囲との関係がギクシャクしてしまう。

さて、大日方伝が勤めたトモエ薬局は老舗だが、主人が急逝してしまい未亡人・水町傭子が切り盛りしている。長女・霧立のぼるは、典型的なモダンガールで、稼業には見向きもせず、婿取りをする気もない。最近は、青年実業家の秘書になっている。
というわけで田舎からやってきた純情青年が、製薬メーカーから賄賂をもらっている組合のボスに反発。北澤彪に相談して公明正大な組合を作ろうと画策するも「アカ」呼ばわりされたり。

医者の資格がない薬剤師なのに、貧しい人々に診察をして処方しているスラムの薬局のオヤジ・徳川夢声が重要なキャラとして登場。大日方伝は「薬剤師なのに診療するとな何事か!」と怒鳴り込む(余計なお世話・笑)も、徳川夢声の「無私の奉仕」に感銘して、意気投合する。

五反田の話だと思っていると、徳川夢声の住んでいるエリアは、どう見ても小津安二郎「出来ごころ」ロケ地である江東区の砂町の瓦斯タンクがあるあたり。深川でロケーションしている。

この時空の歪み(または映画の嘘)は、後半、大日方伝と徳川夢声が組合員を集めるのが、五反田からはるかに遠い田端駅だったり。この映画の「街」は、作り手のイメージで構築された空間でもある。

さてヒロインは、北澤彪の恩師の娘で、亡くなった姉の娘を育ている原節子。彼女は北澤彪と婚約しているが、お互いを知りすぎてしまって、窮屈な関係に悩んでいる。そこへ「自由すぎる」霧立のぼるが現れて、北澤表にモーションをかけてくる。

北澤彪のアパートメントがあるのは、お茶の水。1925年竣工、ヴォーリズの設計による日本初の西洋式アパート「お茶の水アパート」である。かの明智小五郎が探偵事務所を開いていたのもこのアパート(フィクション・笑)。屋上の欄干には、スペイン式の瓦がしつらえられ、カメラがパンをすると、神田川、お茶の水橋、聖橋、ニコライ堂が眺望できる。ああ、これぞ時層探検!

原節子の姪っ子が、急病になり、大日向伝がひまし油を飲ませてことなきを得る。医者がどこも不在で困った上の処置だが、ああ、緊急事態の場合は薬剤師が手当をするのもやむなし。という徳川夢声イズムは、この伏線でもあった。

同時に「新体制」時代に差し掛かり、国民に耐乏生活を奨励し始めた頃なので、アカのレッテルを貼れた大日向伝の義憤にかられた行動は、全て「新体制」のため、みたいな「映画の理屈」が見えてくる。中盤、柳谷寛に召集令状が来て、カフェーで壮行会が行われる。柳谷寛が、霧立のぼるに恋慕を抱いているのを知っている仲間たちが、霧立に乾杯のスピーチをさせるも、彼女はつれない。「ご武運を祈ります」と乾杯してさっさと立ち去ってしまう。

まだ、この頃は、こういう描写がOKだった。ここに山本薩夫の思想が見える、などというのは簡単だけど、この頃はまだみんなこんな感覚だったのだ。つまり「新体制の世の中」というのは掛け声ばかりで、このあと待ち受けている苛烈な運命をイメージするものは少なかった筈。

というわけで熱血漢・大日方伝が頑張っても、悪辣な組合ボスの差金で融資も受けられず薬局は経営のピンチに陥る。八方塞がりのなか、救いの神もあり、全てが解決の方向へ。そこへ召集令状、大日向伝も「報国のため」喜んで戦場へ。出征の日、原節子は「いつまでもお待ちしております」と愛を告白。これが、この時代のハッピーエンドである。

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