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ジョイ・トゥ・ザ・ワールド  ピンク・マティーニ Joy to the World PINK MARTINI

エンジョイ・トゥ・ザ・ピンク・マティーニ・ワールド

佐藤利明(オトナの歌謡曲プロデューサー/娯楽映画研究家)

 欧米のスタンダードやポップスでは定番のホリディ・アルバム。ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、エルヴィス・プレスリー、カーペンターズといった ビッグ・アーティストや、フィル・スペクターといったプロデューサーが、クリスマス・ソングを集めたアルバムをリリースしてきた。毎年、ホリディ・シーズンになると、家族が暖炉を囲んで、こうしたアルバムを聴く、というライフスタイルが古くからある。

 1994 年にオレゴン州ポートランドで、トーマス・M・ローダーデールが結成した、ジャズ・ポップス・オーケスト ラのピンク・マティーニは、前述のアーティストたちが全盛だった1930年代〜50年代、いわゆるスタンダード黄金時代の曲やムードをリスペクトして、アルバムやライブを続けてきた。

 2010年3月10日、ピンク・マティーニがビルボードライブ東京でワンナイト・ライブを行い、由紀さおりがゲスト出演。三枚目のアルバム 「ヘイ・ユージーン!」(2007)でカヴァーした由紀の「タ・ヤ・タン」(1969)をチャイナ・フォーブスとともに歌った。 

 その翌日、3月 11 日、トーマスとチャイナ、そして由紀さおりのインタビューセッションのことだった。トーマスが「今年、ぼくらでホリディ・アルハバムを出すんだけど、由紀さんに参加してもらえないかな?」と提案をしてくれた。

 由紀さんのスタッフであり、インタビュアーを務めていた僕は、トーマスに「フランク・シナトラやナット・キング・コールのアルバムみたいに?」と聞き返した。トーマスはニッコリとうなずいた。

 それから数ヶ月後、由紀さおりのプロデューサーの佐藤剛氏とぼくのもとにピンク・マティーニサイドから連絡があり、11 月にリリースされるホリディ・アルバムに、日本語で「ホワイト・クリスマス」をレコーディングすることになった。

 トーマスがアレンジした音源がネットを通じて提供され、東京のサウンドイン・スタジオで、ヴォーカルをレコーディングしたのが 2010 年8月2日。レコーディング中に、トーマスから電話が入り、「由紀さんらしく歌って」と一言だけアドバイスがあった。

 やがて2010年11月16日、アメリカとカナダで、ピンク・マティーニとしては5枚目のアルバムとなる「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」が、彼らのレーベル“ハインツ・レコード”からリリースされ た。可愛らしいデザインのピンクを基調とした紙ジャケットのアートワークは、1950 年代 の 10 インチのアルバムのようなセンスに溢れている。収録楽曲は 14 曲。定番の「ホワイ ト・クリスマス」にはじまり、英語、日本語、ウクライナ語、中国語、ユダヤ語と、世界中のクリスマス・ソングがセレクトされている。賛美歌からジャズ・ソングまで、世界中の人々が愛してきた、トラディショナルなホリディ・ソングが揃っている。そのサウンドの幅の広さは、ノーボーダーのピンク・マティーニらしく、まるで往年のハリウッド映画のような楽しさに溢れている。

 「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」は、2010年のヒット・アルバムとなり、カナダではゴールドディスクを獲得、早くもホリディ・アルバムのスタンダードとなった。2010 年のクリスマス・コンサートでは、サンタクロースの衣裳に身を包んだトーマスはじめメンバーがステージで、こ のアルバムのナンバーを演奏した。
 
 そして、由紀さおりとピンク・マティーニのコラボレーションは、2011年10月12日に全 世界に向けてリリースされた「1969」へと発展していく。由紀さおりがデビュー以来歌い続けてきた「日本の歌謡曲」を、ピンク・マティーニがワールドミュージックとして捉えていくことで、日本の音楽シーンへの大きな刺激となっていくことは間違いない。

【楽曲解説】

1. ホワイト・クリスマス
White Christmas

 1942年のパラマウント映画『スイング・ホテル』は、祝日だけオープンするホテル“ホリディ・イン”を舞台にした、ビング・クロスビーとフレッド・アステア共演のミュージカル・コメディ。この映画のためにアーヴィング・バーリンが書き下ろした祝日をテーマにした 12曲の一つが「ホワイト・クリスマス」で、最終的には500万枚を超す大ヒットとなった。 クロスビーも含めて、これまでヴァース(導入部)がほとんど歌われていなかったが、ここでは名盤“A Christmas Gift for You from Phil Spector” (1963)のダーレン・ラブ同様、ヴァースから始まる。ダン・ファンレーのギター優しい。



2. ホワイト・クリスマス(パートII)
White Christmas (part II) feat.由紀さおり

 多言語のこのアルバムでまず登場するのが日本語。チャイナ・フォーブスの英語とスイッチするように、われらが由紀さおりの日本語ヴァージョンとなる。ここでは山下達郎が「クリスマス・イブ」(1983 年)のカップリング曲のために「ホワイト・クリスマス」を訳詞したヴァージョンが歌われる。コーラスはパシフック・ユース・コーラス。



3. シュチェデリィック(ウクライナン・ベル・キャロル)
Shchedryk (Carol of the Bells)

 パシフィック・ユース・コーラスの透明感溢れる歌声による、ウクライナのクリスマス・ソング。4ノートのモチーフの繰り返しが印象的。“Shchedryk”とはウクライナ語で “ 豊富な収穫”という意味で、1916年に教師で作曲家のMykola Leontovychが、1月13日 の新年(旧暦)を祝う歌としてアレンジ。豊穣を願う収穫の歌が、1921 年に英語のクリスマス・ソングとして歌われることとなった。Pink Martiniならではのグルーブ感のある、モダンでエキゾチックな聖夜の調べが楽しめる。


4. サンタ・ベビー
Santa Baby

 1953年にアーサー・キットがベビー・ヴォイスで歌った「サンタ・べびー」はジョアン・ジャビッツとフィル・スプリンガー、トニー・スプリンガーが共作したクリスマス・ソング。 1987 年にはマドンナがクリスマス・アルバムでカヴァー。映画『ドライビング・ミス・デイジー』(1989)でも、アーサー・キット盤が流れていた。イントロの男性コーラスから、 1950 年代のポップな雰囲気を再現。チャイナのヴォーカルは、パティ・ペイジを思わせる正統派。


Eartha Kitt - Santa Baby (Audio)

5 . エロハイ、ニィッツノー
Elohai

 トーマス・M・ローダーデールの静かなピアノで始まる“Elohai, N’tzor”は、ヘブライ語のクリスマス・キャロル。クリスマス・キャロルとは、イエス・キリスト生誕にまつわる場面や逸話を歌詞にした曲のこと。チャイナ・フォーブスとアリ・シャピロ、そしてアメリカやカナダで活躍している聖歌のソリスト、アイダ・レイ・カハナのヴォーカルが、静謐で荘厳な雰囲気を醸し出す。

6. リトル・ドラマー・ボーイ
Little Drummer Boy

 こちらも定番が、アメリカの編曲家で音楽教師のキャサリン・K・ディビスが1941 年 に作曲した“Carol of the Drum”が原曲。それを1955年に「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ・ファミリーがレコーディング。1958年には “Little Drummer Boy“としてHarry Simeone Choraleが歌ったヴァージョンが大ヒット。 1977 年、ビング・クロスビー最後の TV ショウで、クロスビーとゲストのデヴィッド・ボウイがデュエット、日本でも広く知られる曲となった。

Bing Crosby & David Bowie - "The Little Drummer Boy (Peace On Earth)"


7. コングラチュエーション〜ア・ハッピー・ニューイヤー・ソング
Happy New Year

 チャイナ・フォーブスとティモシー・ニシモトの中国語デュエット“Congratulations” は、1945 年の年末、第二次大戦の終戦を記念して中国のソングライター、陳歌辛が上海で作った“恭喜恭喜”のカヴァー。中国の旧正月を祝う歌として定着、“Wishing You Happiness and Prosperity(幸福と繁栄を)”と英語で訳されてホリディ・ソングとなった。



8. ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア?
Do You Hear What I Hear?

 1962年にオリジナルのクリスマス・ソングとしてNoël Regneyが作詞、Gloria Shayne Bakerが作曲、こちらもHarry Simeone Choraleがレコーディング。翌1963 年に、ビング・クロスビーがレコーディングしたヴァージョンが、その年のヒビングとボブ・ホープのTVショウで紹介され世界的なポピュラーとなった。ぺリー・コモ、パット・ブーンなどのクルーナーが好んで歌っている。


9. ラ・ヴァージン・ディリ・アンジェリ(天使の中の聖処女よ)
La vergine degli angeli 

 チャイナ・フォーブスがイタリア語で歌うこの曲は、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「運命の力」(全 4 幕)の第2幕第2場で歌われる「天使の中の聖処女よ」。1862 年 11 月 10 日、ロシアのサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場での初演以来、世界中で上演。劇 中、侯爵の娘・ドンナ・レオノーラが、神に身を捧げんと岩山に籠る場面で歌われる。


10. ウィ・スリー・キングス 
We Three Kings

 1857 年、ジョン・ヘイリー・ホプキンズ二世師が作詞したクリスマス・キャロル。日本では「我らはきたりぬ」として知られている。パーシー・フェイス楽団 “ミュージック・オブ・クリスマス”(1954)、“ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバム”(1964)や、“エラ・ フィッツジェラルドのクリスマス ”(1967)にも収録されている。ここでは、クールなチャイナ・フォーブスのヴォーカルに、グルービーなサウンドと繊細なストリングス、マイルス・デイビス・スタイルのトランペットによる JAZZY な演奏が楽しめる。


11. ア・スノー・グローブ・クリスマス
Snowglobe Christmas

 このアルバムで唯一ピンク・マティーニのオリジナル。チャイナ・フォーブスとトーマス・ローダーデールが共作。ヴァース部分から1940年代のヒットチューンを思わせ、ラス・ブレイクのスライド・ギターをフィーチャーしてのハワイアン・クリスマス・ソング。曲の構成そのものがアメリカン・スタンダードの話法を踏まえている。懐かしくて新しい、リゾート感覚溢れるリラックス・ムードのチャーミングな曲。


12. オチョ・カンデリカス(エイト・リトル・キャンドルズ)
Ocho Kandelikas

 アリ・シャピロとチャイナ・フォーブスのポルトガル語のヴォーカルがエキゾチックなラテン・ナンバー。“Ocho Kandelikas”は、キリスト教のクリスマスと同時期に行われる、 ハヌカーと呼ばれるユダヤ教の行事の歌。スペインやポルトガルに 15 世紀に定住した、スペイン系ユダヤ人のコミュニティで歌われる。日本人にとっては、江利チエミが「裏町のお転婆娘」として歌った “The Naughty Lady of Shady Lane”(1954)へのオマージュ溢れるアレンジが、1950 年代のラテン・ブームへの郷愁をかき立てる。


13. サイレント・ナイト(聖しこの夜)
Silent Night

 日本では「きよしこの夜」として親しまれているクリスマス・キャロル。オーストリアの教会で、クリスマスの直前、ネズミがオルガンを齧ってしまい、急遽ヨゼフ・モールがドイツ語で作詞、フランツ・クサーヴァー・グルーバーがギターで作曲。1818 年 12 月 25 日に披露された。以後、300 以上の言語に訳され、世界中最も訳されている歌とされる。1859年には英語で訳され“Silent Night”となった。ここではヘブライ語と英語で、チャイナ・フォーブスが歌っている。


14. オールド・ラング・サイン(螢の光)
Auld Lang Syne

 日本では卒業式のイメージが強い「螢の光」は、スコットランド民謡“Auld Lang Syne (久しき昔)”として、英米では年始や披露宴などで唄われている。ビビアン・リー主演の映画『哀愁』(1940)では「別れのワルツ」として効果的に使われている。このアルバムの締めくくりに相応しく、チャイナ・フォーブスがコーラスと共に、英語、アラビア語、フランス語で歌って、賑やかに、カーニバルのようにクライマックスを迎える。








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