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『日本一の男の中の男』(1967年12月31日・東宝・古澤憲吾)

深夜の娯楽映画研究所シアターは、東宝クレージー映画全30作(プラスアルファ)連続視聴。

20『日本一の男の中の男』(1967年12月31日・東宝・古澤憲吾)

4月26日(火)は、前作『日本一のゴリガン男』(1966年3月)以来、一年半ぶりとなる「日本一シリーズ」第5作『日本一の男の中の男』(1967年12月31日・東宝・古澤憲吾)をアマプラの東宝チャンネルでスクリーン投影。

脚本はこれまでのシリーズ全作を手がけてきた笠原良三さん。「東宝サラリーマン映画」のアンチとして、笠原さんの弟子・田波靖男さんが企画した「無責任社員」を植木等さんで映画化した『ニッポン無責任時代』(1962年)から5年。古澤憲吾監督&笠原良三脚本による「日本一シリーズ」は、一見”無責任男”の勢いとパワーを持っているが、実は「出世こそ男の本懐」と云うサラリーマン映画のテーゼをパワーアップしたものだった。

だから組織や体制に対するアンチテーゼというよりも、組織や体制、それまでの「事勿れ主義」「旧態依然とした商習慣」のウィークポイントを利用して、色男も、ホラ吹き男も、ゴマスリ男も出世コースに進路を取ってきた。そのスタイルがスマートかつ、パワフルで痛快なので、僕らはその「一見無責任男」に限りない魅力を感じてきた。

で、前作『日本一のゴリガン男』では、構造不況のなか、企業内フリーランスとして「日本等課」設立、給料ゼロ、利益を会社と折半、という新しい仕事のあり方を提示した。今では当たり前だけど、ゴリガン男は早かった。その次の『日本一の男の中の男』はどうなるのか? と期待をした観客もいただろう。昭和42年の年末、『ゴー!ゴー!若大将』(岩内克己)と二本立てで封切られた本作は、意外や意外「保守回帰」「男尊女卑」をモットーとする古いタイプの男を、スーパーサラリーマンとして描いてしまったのだ。

東宝新聞の一面に!

この映画は「明治百年」で沸き立つ昭和43(1968)年の正月映画でもある。「明治百年」ムードのなか、人気歌手による軍歌のレコードがヒットして、ヒッピーだとか、ゴーゴーだとか、エレキだとかの若者風俗に顔をしかめる大人たちによる「アンチ若者」ムードも盛り上がっていた。思想的というよりは「今時の若いものはなってない」「昔は良かった」「先人に学べ」「保守回帰」である。

そのムードをいち早く取り入れて、笠原脚本では「小野子等」のキャラクターを創造。主題歌「そうだそうですその通り」(作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)が、本作のコンセプトと見事に表現している。「遠い神代の昔から 男が偉いに決まってるさ」「戦艦大和は男が作る」の勇壮なフレーズは、もちろん女性側からの「期待してるわ お願いね 嘘ついちゃ嫌よ」と続いて、いつものようなコミックソングのオチを用意している。が、最後に男性側からの「そんなに言うならのってみるか〜」で締める。つまり、女性の期待に応えてやろうじゃないか!の男性性の強調で終わる。

この感覚こそ、九州佐賀県出身、葉隠をバイブルとした古澤憲吾監督そのもの。笠原脚本はいつものように、調子の良い男が、口八丁、手八丁でどんどん商談を成功させて、ついには部長→社長と言う「出世コース」に向かって行くのだけど、行動原理が「男は男らしくあれ!」というマッチョなものなので、古澤演出は「水を得た魚」のようで、とにかく勢いがある。

だから、1967年という時代性よりも「典型的なサラリーマン映画の復活」のような印象なので、1970年代から80年代にかけて、テレビで繰り返し放映された時に「そんなに最近の映画とは思わなかった」のである。高度経済成長に邁進していく頃の東宝サラリーマン映画のようでもある。だけど植木さんが動いているだけで面白いから楽しめてしまう。

まだそういう言葉はなかったが「ウーマンパワーをぶっ飛ばせ!」のコンセプトなので女性陣が華やかでもある。ヒロインには日活から浅丘ルリ子さんを招いている。ルリ子さんにとっても日活以外の作品に出るのがこれが初めて。キャラクターとしては、アメリカ留学をした才女で、会長の孫娘、旧態依然とした日本式ではなく、全てビジネスライクに、アメリカ式経営をモットーとしている。だから植木さんとは対立してばかり。

で、次第に彼女が自分の過ちに気づいていく。というジョン・フォード映画のような「男女関係」でもある。だからクライマックス、ルリ子さんにビンタを食らった植木さんが、ビンタを返して「惚れ直す」みたいな展開は、笠原脚本ではジョン・フォード映画的なイメージだったのかもしれないが、古澤監督的には「してやったり」なのだろうなぁと。

ポスターはサイケデリックな時代の感覚!

丸菱造船の営業部員・小野子等(植木)は、外国人バイヤーと造船所で打ち合わせ中に、ヘルメットもしていない会長・大神田剛之助(東野英治郎)を「現場は営業に任せてください」と一喝、説教をする。そんな小野子を「見どころのある奴」と気に入った会長は、早速、彼を子会社の世界ストッキングの営業に転属させる。「女の靴下を売るなんて」と最初はがっかりしていた小野子は、亡くなった母(浅丘ルリ子二役)も靴下をはいていたんだと奮起して銀座のショールームへ。

このショールームを任されているが花岡輝子(水谷良重)、小野子等に対する「男性蔑視」の態度は、女性版・人見明をイメージしたもの。なので「ばか」の名台詞もある。しかし『〜色男』同様、口八丁、あの手この手のセールストークで、小野子がストッキングを売りまくって営業成績はアップ。それを見ていた本社秘書課長・牧野未知子(浅丘ルリ子)が、小野子を宣伝部に抜擢。『〜ゴマすり男』のテレビ広報作戦のリフレインとなる。

しかも既存タレントはギャラが高いので「世界ストッキング」女子社員から美脚の子をオーデションして選んだのが「ナベプロ三人娘」木の実ナナさん、奥村チヨさん、伊東きよ子さん! この美脚オーディションは「社長シリーズ」でしばしば展開してきた、『はりきり社長』(1956年)「ミス太陽自転車」、『社長太平記』(1958年)の「錨商事の下着モデル」、『続・社長外遊記』(1963年)の「丸急デパート・ミスハワイ」のオーディションのリフレインでもある。云うなれば笠原脚本ではお馴染みのパターンでもある。

で、この三人娘と植木等さんによる「パラランショー」がゴージャスで楽しい。「シャボン玉ホリデー」「植木等ショー」などバラエティの振り付けもしていた小井戸秀宅さんによる、これぞ1967年!という感じの華やかさ。時代性が出ているとすればこの「パラランショー」である。

もう一つは、アメリカ式合理化案で接待禁止となり、取引がなくなった老舗・松越デパートの手塚仕入れ部長(谷啓)を接待した小野子が、赤坂の料亭から芸者・ミミ(藤あきみ)たちを引き連れて、銀座のライブスポット「メイツ」へ行くシーン。ここは渡辺プロ経営のライブスポットで、専属タレントたちが連日出演していた。そのステージで、メイツガールズ(=スクールメイツ)を率いて唄うは平尾昌晃さん。この「若いって素晴らしい」のシーンがいい。

バックには東宝映画のバンクフィルムのモンタージュ。『今日もわれ大空にあり』(1964年)のジェット機、『アルプスの若大将』(1966年)のマッターホルン、などなどの古澤作品のフィルムをコラージュして上映している。平尾昌晃さんの横には、白鳥英美子さん、久美かおりさん。バッキングでベースを弾いているのは、この頃、平尾さんの弟子で、のちに宮川泰先生の弟子となる溝淵新一郎さん。久美かおりさんのご主人となり、植木等さんの「スーダラ伝説」の編曲や、「宇宙戦艦ヤマト」のBGMなどの編曲を手がけていくことになる。

「あなたも歌ってよ」のミミの一言で、「しょうがないな」と立ち上がって小野子等が歌うのは「みんな世のため」(作詞:阪田寛夫 作曲:萩原哲晶)。久しぶりに派手なグリーンの背広を着た植木さんが、決めポーズをしながら歌うシーンが本作の白眉。ステージのスクリーンには『ゴジラの息子』(1967年)のゴジラとミニラが投影され、植木さんと夢のスリーショットとなる。

展開もヴィジュアルも、いつもの「古澤憲吾&植木等」作品なので、眺めているだけでも楽しい。が、同時に「日本一シリーズ」の持っていた「諧謔精神」はなりを潜めて、たそがれゆく「高度経済成長」をひたすら礼賛する娯楽映画となっている。だけど本当に面白いし、パワーがあるので、リピート鑑賞にも耐えうる快作。

主題歌「そうだそうですその通り」は、冒頭、毎日新聞社ビルの屋上で歌い、終盤、代々木公園の歩道橋の上で歌う。映画に映るヴィジュアルの変化に時代を感じつつ、ああ、これが『ニッポン無責任時代』から連綿と続いてきたスーパーサラリーマン映画の最後になるんだなぁと、しみじみ。


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