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『見上げてごらん夜の星を』(1963年11月1日・松竹大船・番匠義彰)

 今宵の番匠義彰監督研究は、いずみたく音楽、永六輔作によるミュージカル劇をもとにした青春音楽映画の佳作『見上げてごらん夜の星を』(1963年11月1日・松竹大船)

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昭和35(1960)年7月、大阪フェスティバル・ホールで上演された労音ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」をベースにしている。この舞台は作曲家・いずみたくさんにとって初のミュージカル。

 音楽鑑賞団体・労音の舞台監督だった永六輔さんが「日本オリジナルのミュージカルを作ろう」と、盟友・いずみたくさんに持ちかけて企画された。永さんは、ボランティアとして江東区の定時制高校に通い、働きながら学ぶ若者たちと触れ合い、この物語を着想した。初演の舞台は、美術にやなせたかしさん、振付に竹部薫さん。出演は、渡辺プロダクション専属で大人気だった伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ、まだ8歳だった田代みどりさんも出演。

 定時制高校に通う主人公と、昼間部の女生徒が、教室の机を通じて文通をして、交流を重ねて、昼間部と夜間部の生徒たちがお互いを理解していく、というもの。この初演を見て感激した坂本九さんが、永六輔さんに「ぜひ、出演させて欲しい」と懇願。当時、九ちゃんが所属していたマナセプロダクションのダニー飯田とパラダイスキングが出演して、東京と大阪で公演。主題歌「見上げてごらん夜の星を」(作詞・永六輔 作曲・いずみたく)を坂本九さんが吹き込んだレコードが大ヒット。「上を向いて歩こう」と並ぶ、坂本九=永六輔コンビの代表曲となった。

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 このミュージカルを松竹での映画化を企画した深澤猛さんは、いずみたくプロデュースによる舞台や映画の製作を数多く手がけてゆく。のちのテアトルプロのプロデューサー。舞台をそのまま映画にするのではなく、同じ題材を永六輔さんが映画用のプロットにまとめ、石郷岡郷さんがシナリオを執筆。定時制高校に通う、坂本九さん、山本豊三さん、林家珍平さん、左とん平さん、伴淳三郎さんたち、昼間部に通う榊ひろみさん、五月女マリさん、九重佑三子たち。そして定時制の教師・菅原文太さんの悩み、そのフィアンセの清水まゆみさんのポジティブな生き方など、さまざまのドラマを、番匠義彰監督ならではの鮮やかな演出で、テンポ良く展開していく。

 永六輔さんと坂本九さんのヒット曲の映画化は、中村八大さん作曲の『上を向いて歩こう』『ひとりぼっちの二人だが』(1962年・日活・舛田利雄)ですでに成功していて、永さんとしても、その二本を踏まえての青春映画を作ろうと考えたに違いない。なので、映画版はミュージカルではなく、九ちゃんの歌がふんだんに出てくる、青春群像劇として作られている。

 なので、定時制と昼間部の学生だけでなく、向学心はあるものの、家庭を支えるために働く青年・中村嘉葎雄さんが直面する厳しい現実を、観客に提示する。このシークエンスはシリアスで、昭和30年代に多作されていた下町を舞台にした「町工場映画」としても作られている。

 特に前年、吉永小百合さんと浜田光夫さん主演の日活映画『キューポラのある街』(1962年・浦山桐郎)の影響が大きい。昭和38(1963)年1月には、吉永小百合さんと橋幸夫さんのヒット曲の映画化『いつでも夢を』(1963年・日活・野村孝)がヒット。松竹でも4月に、倍賞千恵子さんのヒット曲の歌謡映画『下町の太陽』(1963年・山田洋次)がヒットして、オリンピックを目前に高度経済成長を支えた「町工場」で働く、若者たちの哀感を描く青春映画が連作されていた。

 そのパートを担うのが、榊ひろみさんの従兄妹で、坂本九さんの工場の同僚の中村嘉葎雄さん。大工の父・浜村淳さんが交通事故で怪我、満足に補償もされず、育ち盛りの四人の弟と入院中の父の面倒を見なければならなくなる。昼は、荒川沿いの工場で働き、夜はホテルオータニ建設現場で、徹夜で働く。一人でそれを抱え込んでしまう。そうしたシリアスな現実を、若い仲間たちは、励まし、支えることができるのか? 

 舞台は都立荒川高校の夜間部(当時はそう呼んでいた)。昭和37(1962)年5月31、大毎オリオンズのフランチャイズとして竣工した、光の球場と呼ばれた東京スタジアムの隣である。ナイター・スタンドの煌々とした灯り、キャメラがパンをすると、荒川高校の定時制の授業が始まる時間。アバンタイトルで、銀座のネオン、都心のネオンが次々とモンタージュされ、キャメラは試合中の東京スタジアムの威容を映し出して、荒川高校へ。そこでタイトルが始まる。坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」が流れるなか、登場人物たちがグランドで野球をしている。その灯りはスタジアムの照明である。プロ野球から定時制高校生の草野球へ。鮮やかな滑り出しである。

 主人公は、三浦半島出身で両親のいない湯浅太平(坂本九)。その同級生に、優等生だけど父の前科が問題となり職場を転々としている寺山治(山本豊三)。お調子者だが悩み多き・山田(左とん平)。そして、昼は国立博物館の守衛をしながら四十の手習いで高校生となった、小森(伴淳三郎)。彼らを教えるのは「カマキリ」のあだ名の熱血教師・三輪(菅原文太)。仕事と勉強の両立が難しく、生徒が次々と辞めていくことに、自分の非力さを痛感して悩んでいる。

 そんな生徒たちの楽しみは、太平の机に入っている昼間部の女生徒・宮地由美子(榊ひろみ)からの手紙。太平と由美子は、一度も会ったことはないが、お互いの気持ちを手紙に綴っている。果たして由美子はどんな女の子なのか? 夜の屋上で、太平が「夜空の星」(作詞・永六輔 作曲・いずみたく)を歌いながら、それぞれが由美子をイメージするショットが豪華版。河野(林家珍平)が 山田(左とん平)夢想するのは岩下志麻さん。続いて河野(林家珍平)は桑野みゆきさんをイメージして、寺山(山本豊三)はテニスルックの倍賞千恵子さん。で、小森のおじさん(伴淳三郎)は、なんと高橋とよさん!というオチ。いずれも番匠映画の常連の女優さんばかりがノンクレジットでカメオ出演。なんとも贅沢な気分になる。

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 三輪先生の提案で、昼間部の弁論大会に、定時制からも出場することになり、優等生の寺山が壇上に立つ予定だったが、仕事のトラブルで欠席。急遽、小森のおじさんが登壇する。子供の頃から丁稚で、学校もろくに行けず、若い時は応召され南方戦線で「二等兵物語」生活を送り、戦後は苦労して女房、子供を養ってきた。国立博物館の守衛になり、その収蔵品を見るにつけ、自分も学問がしたいと、定時制に通っていると、大熱弁。生徒の感動を誘って「敢闘賞」を受賞する。

 こうしたエピソードに、坂本九さんの歌声がベストタイミングで流れる。夜、太平が勉強してウトウトしているとラジオから「勉強のチャチャチャ」(坂本九・ダニー飯田とパラダイスキング)が流れてくる。三輪先生の下宿ですき焼きをご馳走になり、ウイスキーで上機嫌の太平たちが夜の東京スタジアムへ「見上げてごらん夜の星を」を歌いながら入り、スタンドへ。歌がクライマックスになるとベンチの屋根の上にゴロリとなって、空を見上げる。東京スタジアムでは中盤、由美子と待ち合わせしている太平が独り「見上げてごらん夜の星を」を歌っていると、由美子がやってきてデュエットとなる。このタイミングもなかなか良い。

 家計を支えるために昼夜働いている藤本勉(中村嘉葎雄)がノイローゼ気味になっていて、太平の親切が「お節介」と切れて、太平と勉が派手に大喧嘩。お化け煙突が見える荒川沿いの町工場の庭で殴りあう二人。止めに入るのが、工場の先輩でシニカルな村岡(ジェリー藤尾)。勉が飛び出した後に「貧乏人同士が喧嘩して、なんになるんだよ?」と一言。音楽がボレロのリズムになり「見上げてごらん夜の星を」のメロディーが流れるなか、太平が夜のスタジアムへ。メロディーに合わせて歌い出す太平。そして涙を流す。この一連の演出は、さすが番匠の味。

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 ロケーションも五輪前の東京の下町風景が活写されている。高校のある南千住界隈、そして太平と由美子が待ち合わせをする雨の両国駅。ハイキングは雨でおじゃんとなる。勉が出勤のため、都電に駆け込む、三ノ輪橋の風景。「王子経由赤羽行き」の車内で、勉は車掌をしている叔父・保造(野々村潔)と父親の怪我について話をする。その保造の娘が太平のガールフレンドとなる由美子である。

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 また、次々と生徒が離脱していき、自分の非力さを感じて、教師を辞めようとする三輪先生を叱咤する、恋人・恵美子(清水まゆみ)が良い。日活育ちで、松竹に移籍して番匠の『太陽を抱く女』(1964年)でも、菅原文太さんと夫婦役を演じている。その恵美子と三輪先生がデートをするのが日比谷公園の野外音楽堂。後半、恵美子は結婚を先延ばしにしても、三輪が教師を続けることを応援すべく、仕事をやめて、産地直送の八百屋「八百学」を始める。もちろん生徒たちが全面協力。その仕入れに、太平の故郷・神奈川県三浦半島へトラックで出かける。結局、これが雨で中止となったハイキングの実ある仕切り直しとなる。

そして、ラストシーン。ミュージカルで歌われた「小さな町の小さな学校」が流れ、夜の東京スタジアムで再び「見上げてごらん夜の星を」でクライマックスを迎える。いずみたくさんのオーケストレーションが素晴らしく、堂々たる風格である。


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