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『くちづけ』(1955年9月21日・筧正典・鈴木英夫・成瀬巳喜男)

 いずれの挿話も、石坂洋次郎らしい「新しい時代を生きる若者の恋愛」と「旧世代の大人たちのモラル」をテーマに、それぞれの登場人物がきちんと自分の言葉で悩みや理想を語り、明日に向かっての行動をする姿が描かれている。このオムニバスの三人(厳密には四人)の少女たちは、この数年後に日活青春映画のなかで、吉永小百合、和泉雅子たちによってリフレインされ、日本の青春映画のスタイルを形成していくことになる。

 脚本は三話とも、松竹の木下恵介門下の松山善三。これが始めての東宝での脚本作品となった。監督のキャスティングは、成瀬と藤本がセレクト。藤本のもう一つのラインである源氏鶏太原作「サラリーマン映画」である『三等重役』(1952年)や、成瀬の『山の音』(1954年)でチーフ助監督をつとめ、有馬稲子の『泉へのみち』(1955年)で監督デビューしたばかりの筧正典が第一話「くちづけ」を演出している。

 第二話「霧の中の少女」は、戦時中、大映で助監督をつとめ、昭和22(1947)年『二人で見る星』(1947年)でデビュー、大映で活躍後、藤本真澄の声がけで『續三等重役』(1952年)でフリーとなり、その後、東宝プログラムピクチャーで次々と佳作をものしていく鈴木英夫。

 新人の筧正典、中堅の鈴木英夫は、これから東宝娯楽映画を担っていく藤本真澄にとっては大事な逸材。松竹で城戸四郎に「小津安二郎は二人いらない」と言われた成瀬巳喜男が東宝にやってきた時、藤本真澄は若き製作者として、成瀬の才能を活かしていこうと決意。それが戦後の東宝での成瀬巳喜男黄金時代の礎となった。

 松山善三の起用も、木下恵介の推薦もあったが、藤本は「これからの東宝に必要な人材」と考えていた。この後も、藤本は石坂洋次郎原作『チエミの婦人靴』(1956年・鈴木英夫)、『山と川のある町』(1957年・丸山誠治)で松山善三を起用し、昭和36(1961)年、松山の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』をプロデュースすることになる。

 つまり、藤本真澄は、昭和30年代から40年代にかけての東宝娯楽映画、文芸路線を支えていく人材を揃えて『くちづけ』を、成瀬巳喜男と共同プロデュース。やがて東宝の製作担当重役に返り咲くことになる。

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第一話 くちづけ 監督・筧正典

 ヒロインは大学三年生の夏目くみ子(青山京子)。同じ学部の河原健二(太刀川洋一)とは、恋愛未満の仲の良い友人関係。ラーメンをおごったり、おごられたり。ある日、長谷川教授(笠智衆)の試験で、健二がくみ子に「答案を見せてくれ」とカンニングする。くみ子もそれが当たり前のように見せてやるが、二人とも揃って同じ箇所を間違えてしまう。

 そんなくみ子の家庭は、すでに父は亡くなっていて、母(滝花久子)と義姉・倫子(杉葉子)と息子・宏(日吉としやす)と四人で、多摩川に程近い、東京郊外で暮らしている。その生活は、伯父(十朱久雄)の会社から母への給料で支えられている。

 青山京子は、昭和27(1952)年、玉川聖学院在学中、丸山誠治監督『思春期』のオーディションに合格、本名の中西みどり名義でデビュー。青山京子の芸名で第5期東宝ニューフェイスとなり、清楚な青春スターとして活躍していた。

 子供から大人へ。ボーイフレンドの健二への気持ちは、恋なのか友情なのか、自分でもわからない。そんな揺れ動く乙女心を、青山は爽やかに演じている。そんなくみ子の日常に波風が立つ。若くして未亡人となった亡兄の妻・倫子の再婚話である。『青い山脈』(1949年)以来、石坂洋次郎映画のヒロインとして、『石中先生行状記』(1950年)『若い娘たち』(1951年)、『青春会議』(1952年)、『丘は花ざかり』(1952年)と活躍してきた杉葉子は、今回は未亡人役。息子を演じた日吉としやすは、名子役として昭和30年代にかけて活躍。連続テレビ映画「月光仮面」の繁役でお茶の間にも親しまれた。

 さて、その杉葉子が未亡人で、ヒロイン・青山京子にとって「憧れの大人の女性」であり、いつまでも「貞淑な兄嫁」でいて欲しいと願っている。そこに見合いの話があり「生々しい大人の世界」に反発してしまう。

 義姉・倫子から、兄と結婚する前に、別な男性と多摩川で「くちづけ」をしたことがあると告白され、くみ子はますます悩ましい。そんなくみ子に、健二は情熱的な愛情を抑えきれずに、やはり多摩川の河原で「くちづけ」をしてしまうが・・・

 大事件は起きないが、悩める青春にとっては大問題である。筧正典の演出は端正だが、若い二人の描写に、昭和30年の「現代」を感じることができる。

 大映のお母さん女優・滝花久子が演じる母親も実に良い。また松竹の笠智衆の長谷川教授も、若い二人の理解者として、作品を引き締めている。長谷川教授のリベラルな感覚は、石坂洋次郎文学を代弁する「新しいモラル」でもある。

第二話 霧の中の少女 監督・鈴木英夫

 司葉子さんにとって「最も敬愛する」鈴木英夫監督による第二話は、福島県会津を舞台に、夏休みで帰省している女子大生・金井由子(司葉子)を訪ねてきた大学のボーイフレンド・上村英吉(小泉博)と、由子の家族のひとときを微笑ましく描いている。

 由子の父・半造(藤原釜足)と母・テツ子(清川虹子)は、相思相愛の夫婦だが、田舎のモラルに縛られていて、娘のボーイフレンドが家に泊まることに反対する。その理由は、若い男女が二人きりになると「すぐに抱き合う」と、自分たちの若き日を思ってのこと。ならばと高校生の妹・妙子(中原ひとみ)を監視役につけるが、彼女は恋に恋する年頃で、英吉に理想の男性を見出して、少し背伸びして、姉と張り合う。

 司葉子の清楚な魅力と、東映ニューフェイス第一期生の中原ひとみのチャーミングな魅力。鈴木英夫監督の演出は、タイトルロールである「霧の中の少女=妙子」の揺れ動くハイティーンの「恋への憧れ」を楽しく描いていく。

 第二話の司葉子と小泉博のカップルは、第一話の青山京子と太刀川寛よりも、大人であり、会話も成熟している。この夏の休暇を通して、二人は卒業後に結婚を決意する。そうした娘の成長に対して、紋切り型の態度しかできない母・テツ子と父・半造。この家で最もリベラルなのが、おばあちゃん・八十子(飯田蝶子)。ビールを飲んで「会津磐梯山」を歌い、若い二人の恋を応援する。

 クライマックス。子供たちを「山の温泉」に送り出して、またまた父母の心配の虫が騒ぎ出すも、おばあちゃんは悠然として、終バスで磐梯山温泉へと向かう。この温泉は、昭和37(1962)年『喜劇駅前温泉』(久松静児)の舞台でもあるが、ここでも司葉子が森繁の娘役で出演していた。

 夜、妙子が目覚めると、隣で寝ている筈の姉・由子と、隣室の英吉がいない。「お姉ちゃんがいない!」パニックになり、外に飛び出る妙子。濃霧の夜、由子と英吉を探す妙子。自分だけ置いてきぼりを食ったような寂しさで泣き出す妙子は、霧の中を彷徨う。原作「霧の中の少女」をそのままヴィジュアル化している。

 妙子の心配をよそに、由子と英吉は二人の将来について話合っていただけなのだが・・・そこへ終バスで来たおばあちゃんが合流して、みんなで温泉に入る。そのシーンが実に幸福感に満ちている。

 鈴木英夫監督は、こうした「ささやかな幸せ」を描くのが実にうまい。おばあちゃんのキャラクター、妙子の屈託のなさ、家族から自立しつつある由子。彼女の家族を心から素晴らしいと受け止めている英吉。まさに佳篇である。

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第三話 女同士 監督・成瀬巳喜男

 これは成瀬巳喜男好みの、上原謙と高峰秀子の倦怠期の夫婦の物語。町医者・金田有三(上原謙)と、看護婦・キヨ子(中村メイコ)の間を勘ぐってしまう妻・明子(高峰秀子)のささやかな嫉妬。冒頭、明子が往診に行く有三の靴を磨くが、出かける間際、キヨ子がさりげなく磨き直すのをみてムカッとくる明子。高峰秀子のやるせない表情は、まさに成瀬映画の味わい。夫と看護婦の仲を疑い始めた明子は、偶然読んでしまったキヨ子の日記に「先生が好き」と、有三への想いが綴られ「夫を取られるのではないか」と悶々とし始める。

 別に大したことはないのに、夫を思うあまりに、自分の立場が危うくなるのではと、どんどん嫉妬はつのるばかり。明子は兄(伊豆筆)に相談するが、犬も食わない話と取り合ってもらえない。ならばキヨ子の結婚相手を探そうと、夫に相談すると、八百屋の清吉(小林桂樹)と仲が良いと聞いて、清吉とキヨ子の仲を取り持つ。

 ただそれだけの話なのに、成瀬との『浮雲』(1955年1月15日)の後だけに、高峰秀子の嫉妬ぶり、揺れ動く「妻の心」が成瀬巳喜男のメロドラマ的で、ちょっとだけサスペンスも感じる。

 また見事なのは、中村メイコのキヨ子は、普段は明るくジャズを歌ったり、ケラケラ笑っているのに、どこか寂しげな表情をふと見せる。おそらく身寄りはいないのだろう。この時代だと戦災で家族を失ったのかもしれない。洋画のスターに憧れるように、中年の素敵な医師・有三に淡い気持ちを抱いている。キヨ子がふと見せる暗い表情に、その屈託を匂わせている。

 そんなキヨ子にとって、どこか間抜けの好青年・清吉は、小林桂樹にぴったりの好人物。『めし』(1951年)で演じた原節子の義弟のように、成瀬映画の小林桂樹はいつも裏も表もない優しい男性である。(のちの『女の中にいる他人』(1966年)からは考えられないほど・笑)。キヨ子にとって清吉との結婚は、清吉の家族が自分の家族になること。その幸福が、この映画の希望である。

 キヨ子がお嫁に行くことになり、夫への愛情がますます深まる明子。そこへ、後釜の看護婦がやってくる。ワンシーンだが、一番美しかった頃の八千草薫の登場に、またしても明子の嫉妬に苦しむ日々が始まる、という鮮やかなオチ。オムニバス映画にふさわしいエンディングである。


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