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『喜劇駅前金融』(1965年・東京映画・佐伯幸三)

 「駅前シリーズ」第12作!

 昭和40(1965)年7月4日公開のシリーズ第12作。同時上映は、渥美清さんが長期アフリカロケに出かけた『ブワナ・トシの歌』(羽仁進)。尾崎紅葉の「金色夜叉」をベースに、公認会計士・森田徳之助(森繁久彌)、高利貸し・伴野孫作(伴淳三郎)、バンドマン・坂井次郎(フランキー堺)ら、駅前チームが織りなす、色と欲の物語。開巻、まもなく次郎がトランペットを吹いているナイトクラブで、松尾和子、和田弘とマヒナスターズが歌っているのは主題歌「駅前小唄」(作詞・井田誠一 作曲・鈴木庸一)。この年、マヒナスターズの「御座敷小唄」が大ヒット。ドドンパのリズム、ハワイアン・アレンジでなかなかの佳曲。

 これまで舞台となる駅ははっきりしていたが、この作品あたりから曖昧になってくる。どこの「駅前」というより、森繁・伴淳・フランキーの「駅前」トリオによる喜劇が定着してきているので、駅そのものも少ししか出て来なかった。

 森繁の徳之助は、六つの大学を出ているにも関わらず、毎年試験に不合格。40歳にしてようやく、税理士の免許をとった苦労人。加東大介の会計士事務所の新人で、不正は許さないという堅物。フランキーさんは森繁さんの後輩で、学者への道をあきらめて、バンドマンになっている。

 そこへ、徳之助と次郎の恩師である加東大介が、娘の由美(大空真弓)と成金の三平(三木のり平)を結婚させようとする。由美は次郎に心を寄せていたが、三平のダイヤモンドに目がくらんでしまうことになる。熱海の海岸、お宮の松で、フランキーと大空真弓が「貫一お宮」の名場面を再現。傷心の次郎は傷つき、それが原因で高利貸しとなる。

 淡島千景さんは、徳之助が経理を担当することになる「しまのや」の女将。彼女は徳之助にモーションをかけるが、徳之助が独身主義を貫いているのは、成金夫人である淡路恵子に袖にされたのが原因。ことほど左様に「金色夜叉」を下敷きにしている。

 「金色夜叉」は明治30年から35年にかけて、尾崎紅葉が読売新聞に連載。元はアメリカの作家・バーサ・M・クレーの「Weaker than a Woman」を下敷きにしている。1912年、横田商会の「金色夜叉」を皮切りに、幾度となく映画化されている。戦前、松竹大船撮影所『金色夜叉』(1937年)は、夏川大二郎の貫一、川崎弘子のお宮。戦後、東横映画『金色夜叉 前後篇』(1948年)は、上原謙の貫一、轟夕起子のお宮だった。「駅前金融」では、フランキーが貫一、大空真弓がお宮、三木のり平が富豪の冨山のパートを演じている。

 熱海のホテルまで、大空真弓とのり平を追いかけてきたフランキーが熱海の海岸の「今月今夜〜」のシーンを再現する。その前振りとして、ナイトクラブでマヒナスターズと松尾和子が「金色夜叉」(作詞:宮島郁芳 作曲:後藤紫雲)を歌う。この曲は、大正7(1918)年に作られ、様々な歌手によって歌い継がれてきた。
 
 さて、劇中に登場する「船原ホテル」は、熱海ではなく中伊豆の船原温泉にあった。昭和35(1960)年に「純金風呂」を設置してマスコミの話題となる。当時のお金で一億円、22金の金風呂は、2分間で1000円の入浴料をとっていた。子供の頃、テレビのコマーシャルでもこの金風呂はよく放送されていた。昭和45(1970)年、横井英樹が買収、ホテルニュージャパン傘下となるが、1984年に廃業した。







 


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