見出し画像

『東京カチンカ娘』(1950年1月15日・青柳プロ=日本ユニットプロ・毛利正樹)

 服部良一音楽、齋藤寅次郎監督に師事していた毛利正樹の監督デビュー作、中田晴康脚本『東京カチンカ娘』(1950年・青柳プロ=日本ユニットプロ)をスクリーン投影。 昭和23(1948)年、服部良一作曲、笠置シヅ子が歌って「時代の歌」となった「銀座カンカン娘」と、同名の新東宝映画(1949年・島耕二)のヒットよもう一度と企画された。レコードと映画の連動による歌謡映画。

 ロッパがバロンというニックネームの銀座のサンドイッチマンで、娘・折原啓子(松竹)はファッションモデル。没落貴族のような、貧しくともモダンな雰囲気の父娘。

「ノンキナトウサン」のいでたちで、ロッパが、サンドイッチマンとして銀座を回ると、誰も彼もが「バロン、バロン」と声をかける。流しのグループに乞われ、彼らの伴奏で唄うは、昭和9年の藤山一郎と小林千代子のヒット曲「チェリオ!」(1934年・作詞:佐伯孝夫 作曲:橋本国彦)。ロッパの伸びやかな歌声で、たちまち千客万来。このあたりの多幸感は、ロッパの意見がかなり取り入れられているような、洒落た味わい。

 若き天才作曲家・里見宏(若原雅夫・松竹)は、自分たちの音楽で成功したいとで、トリローならぬ「カンカングループ」を率いて、成功を夢見ている。バロンとは銀座の街角で、会えば語り合う仲で、趣味のパイプたばこを調合しては、バロンにブレンドを進呈している。「カンカングループ」のネーミングは、もちろん「銀座カンカン娘」から。友人で新東宝映画のオーソリティ、下村健さんによると、台本は当初「銀座カンカン騒ぎ」と題されていたという。

 古川ロッパ昭和日記戦後編によると、ロッパは当初「銀座カンカン騒ぎ」の台本が気に入らずに、毛利正樹監督に「何う考へてもシナリオがつまらなさすぎる」と、クレームをつけて「ストーリーに注文出し、僕役のバロンといふ役をよくし、しゃれた恋愛物に直す」(昭和24年11月5日)とある。

 この時の打ち合わせは、銀座みゆき通りの風月堂の二階で行われた。ロッパが服部良一と会う約束をしていたので、青柳信雄プロデューサー、毛利正樹監督、スタッフが集まった。そこへ「服部良一来る。八日のプレスコ迄に、何とか歌をこしらへるといふ。作詞は? ときくと、何と、服部ハリキリボーイは自作するといふ。他にエノケンの「お染久松」も引き受けているらしいし、大したハリキリだ。」とある。

下村健氏提供

 確かに曲名は「東京カチンカ娘」だが、「銀座カンカン娘」路線だけに歌詞は「銀座」に徹している。しかし、なんと服部良一はエノケンプロの『エノケン笠置のお染久松』(1949年12月30日・新東宝・渡辺邦男)と掛け持ちだったのだ!

 さて「カンカングループ」には、歌姫・マリ子(暁テル子)、ダンサーのバンちゃん(内海突破)、アコーディオンとヴォーカルのサンちゃん(有木三太)、リズム・シスターズ(小川静江、山本和子、山本照子)に加えて、銀座で与太っていたギター弾き・晴ちゃん(川田晴久)が途中から参加。この連中の音楽性を高く買っているのが、ナイトクラブのマスターでバンドリーダーのディック・ミネ。

 なので音楽シーンがふんだん。BGMを含めて服部メロディーが次々と出てくるので楽しい、楽しい!

 ナイトクラブで最初「銀座カンカングループ」のショーでマリ子が唄うは「銀座カンカン娘」(1948年 作詞:佐伯孝夫 作曲:服部良一)「♪雨に降られてカンカン娘〜」と2番を、ディック・ミネの指揮で、暁テル子と有木三太がデュエット、内海突破が白いタキシードで踊る。そしてリズム・シスターズがコーラス。続いて、新曲「銀座ジャングル」(作詞:村雨まさを 作曲:服部良一)。これはブルースコードでなかなかカッコいい曲。笠置シヅ子の「ジャングル・ブギ」のパワフルさとは対極にあるブルースから始まり、転調してブギウギになる。暁テル子のシンガーとしての実力が堪能できる。

 ナイトクラブでディック・ミネが指揮をしながら唄うは、ムーディなハワイアン・ラブソング「踊る今宵」(作詞:ディック・ミネ 作曲:バッキー白片)。やー、これはイカす。続いて登場する、日系のロイ住田は「ハワイ喉自慢コンクール」入賞者。唄うは、前年大ヒットした服部メロディー「青い山脈」(作詞:西条八十 作曲:服部良一)。さらに「ハワイのど自慢」入賞女性・ジェニス小西は、昭和15(1940)年に小夜福子でヒットした「小雨の丘」(作詞:サトウハチロー 作曲:服部良一)。こうしたアトラクションが楽しい。この年5月、美空ひばりがハワイ、ロサンゼルス公演のために渡米をするが、「ハワイ」は敗戦後の人々にとって夢のまた「夢の島」だった。

 さて、バロンこと新田時久(ロッパ)がサンドイッチマンを務め、娘・ユリ(折原啓子)がファッションモデルを務めているのが、銀座の一流店「ラサール洋装店」。彼女のステージ映えに目をつけた、ライバル店からの依頼で引き抜き工作をするのは、銀座のギャングでスケコマシの奈良三郎(河津清三郎)。仕事が引けたユリの後をつけて、子分たちに襲わせ、自分がユリを助け出して信用を得ようと画策。その茶番にまんまと乗ってしまうユリ。あー危ない、危ない。

 白馬の騎士のように、三郎を憧れの眼差しで見つめるユリ。「家まで送りましょう」とエスコートする三郎。二人が歩く映画館の前の看板がいい!アーサー・フリード製作、ミッキー・ルーニーとグロリア・デ・ヘイブン主演のMGMミュージカル『サンマー・ホリデー』(1948年・ルーベン・マムリーアン)の大きな看板である。日本での公開は、日本での公開は1950年4月11日だから、この映画の四ヶ月後になる。

MGMオリジナルアド

 さて、晴ちゃんは、愛人であるパーマネント屋のマダム・清川虹子から二千円の借金をして、悪党たちの溜まり場のバーのマスターから、借金のカタのギターを請け出す。晴れて流しを再開する。飲み屋でさっそく、ミルクブラザーズの持ち歌「地球の上に朝が来る」を披露。戦前、あきれたぼういずを結成、時代の寵児となった川田は、浪曲とジャズを融合させた独自のスタイルで、一世を風靡。戦後、天才少女・美空ひばりを見出して、映画界デビューに一役買っていた。この頃の川田晴久は、とにかく勢いがあり、惚れ惚れするほどのパフォーマンスを見せてくれる。

 とくに、カンカングループの溜まり場のバーで、初めましての里見とマリ子たちの前で、浪曲ジャズを披露するシーンがすごい。間奏でのギターソロ! これがカッコいい! このパフォーマンスが買われて、晴ちゃんは「カンカングループ」にスカウトされる。

 次のナンバーが、「カンカングループ」のために里見が書き下ろした新曲「東京カチンカ娘」となる。「銀座カンカン娘」に続くヒットを狙って作られたのが、ロシア民謡「カリンカ」をベースにした「東京カチンカ娘」(作詞:村雨まさを 作曲:服部良一)。ああ、だからロッパ父娘が、ロシアの亡命貴族みたいなのか! で、折原啓子がファッション界のスターになるのは、アステア&ロジャースの『ロバータ』(1935年)をベースにしているからなのか! と、観ながら、あれこれ思い至る。

 で「カンカングループ」の後ろ盾となるのがロバータ同様、ファッション界の大立者、鎌倉夫人・市川春代! 最初は、ランドルフ・スコットならぬ若原雅夫を若い燕にせんと接近するも、かつての恋人・ロッパと再会してから、二人の恋は燃え上がる。市川春代とロッパ、戦前の音楽映画スターの初共演で、あの頃は良かった的なムードを盛り上げる。さらに市川春代の仲間で洋装店のオーナーの有閑マダムの一人に、初のトーキー『マダムと女房』(1931年・松竹蒲田・五所平之助)のマダム役の伊達里子も登場。

 後半、カンカングループと折原啓子が名古屋にファッションショーの営業へ。ロッパも市川春代も、折原啓子に横恋慕するギャング・河津清三郎、川田晴久の愛人・清川虹子も、みんな名古屋ホテルへ集結する。

 もちろんロケーションではなく、東宝撮影所のステージをホテルに見立てて撮影。PCL映画のタイトルでもお馴染みのステージの外観を流用。サロン前の噴水が、高級ホテルっぽい。

名古屋ホテル!
PCLスタジオ

 ここで若原雅夫vs河津清三郎が、折原啓子をめぐってのバトルを展開するのだけど、アクションや擬闘の専門パートがない時代なので、なんとも乱暴なアクションに。

いよいよ大団円。東京に戻った面々が、ナイトクラブのステージでショウを繰り広げる。まずはリズムシスターズが、「銀座カンカン娘」変奏曲ともいうべき、別メロディで歌詞は「銀座カンカン娘」を唄う。これがイイ。戦前の服部リズムシスターズの流れを汲む、服部良一プロデュースの三人娘のコーラスがカッコいい。

フレッド・アステアとエレノア・パウエルの『踊るニユウ・ヨーク』(1940年・MGM)の「ビギン・ザ・ビギン」のスペクタクルナンバーでの、女性コーラスグループ・ミュージックメイドのような、スイング感あふれるコーラス!

 そして、リズムシスターズの前振りで期待をたかめての「東京カチンカ娘」となる。指揮は若原雅夫、まずはディック・ミネが一番を唄うのがイイ。続いて、暁テル子、有木三太、内海突破、リズムシスターズが唄って踊って大団円!

 とにかく音楽シーンがふんだんで、ほかの映画みたいな暁テル子の「アク」がなくて、ああ、笠置シヅ子に続くブギウギ娘だったんだなぁと1950年の感覚がよくわかった。

新東宝データベース1947-1962のリンク


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。