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「駅前」シリーズクロニクル ローカリズム溢れる商店の喜劇


佐藤利明(娯楽映画研究家)

 東宝傍系の製作会社、東京映画のドル箱であった「駅前」シリーズは、昭和33(1958)年の『駅前旅館』の好評によって、その後シリーズ化が決定し、昭和44(1969)年の『喜劇 駅前桟橋』まで、全24作が製作された風俗喜劇。主演は森繁久彌、フランキー堺、伴淳三郎、そして加東大介、三木のり平がほぼレギュラーで、淡島千景、淡路恵子、池内淳子、大空真弓、森光子たちが、その妻を演じた。
 舞台は、東京であれば下町や郊外、または観光名所のある地方都市の商店を中心に展開される。メインキャストは女優陣も含め、同時期の「社長」シリーズと重なるが、そのテイストの大きな違いは、「駅前」の伴淳三郎と「社長」の小林桂樹の違いでもある。丸の内のオフィス街を中心に展開される「社長」シリーズがいかにも東宝らしいモダンコメディとするならば、ローカリズムあふれる「駅前」シリーズは、庶民的な風俗喜劇の味といえよう。

 第1作『駅前旅館』は、井伏鱒二原作の文芸映画。森繁久彌と淡島千景の『夫婦善哉』(1955年・豊田四郎)が、大阪を舞台にした“関西弁の文芸作”として成功をおさめたこともあり、その“東京篇”ということで企画されたもの。上野駅前の老舗・柊元(くきもと)旅館を舞台に、昔ながらのベテラン番頭・生野次平(森繁)が時代の波に飲み込まれて行く姿を、ペーソスたっぷりに描いた秀作だった。昔からのライバルに、松竹の「二等兵」シリーズで人気絶頂の伴淳三郎、ドライな現代青年の旅行添乗員に日活出身のフランキー堺、といった旬な俳優を配置し、歯切れの良い東京言葉が飛び交うテンポの良い展開は、高評価を得た。
 それから三年後、第2作『喜劇 駅前団地』(1961年)が作られ、「駅前」のシリーズ化がスタート。ここからは原作に頼らず、脚本家(長瀬喜伴、藤本義一、広沢栄、池田一朗など)のオリジナルによるものとなった。唯一の例外は昭和40(1965)年の『喜劇 駅前医院』で、昭和27(1952)年の松竹作品『本日休診』(渋谷実)を長瀬の脚色で再映画化している。

 登場人物の役名は、『喜劇 駅前団地』以降は、ほぼ固定されている。森繁久彌=徳之助、伴淳三郎=孫作、フランキー堺=次郎。女性陣では淡島千景=景子、淡路恵子=藤子、池内淳子=染子、大空真弓=由美となっている。三木のり平は三平が多い。とはいえ、ストーリーやフォーマットは、毎回異なっている。舞台や商売も時事ネタにからむものが多く、世相を表わすさまざまなアイテムも登場し、昭和30年代から40年代の時代の記録となっている。

 第3作『喜劇 駅前弁当』(1961年)では、女手ひとつで浜松の老舗弁当屋を切り盛りする景子をめぐる、徳之助と孫作のライバル争いに、景子の弟・次郎たち若者のドラマが絡む。人気絶頂の坂本九、ベテラン喜劇人の花菱アチャコたちの共演でにぎやかな作品となった。第4作『喜劇 駅前温泉』(1962年)の舞台は会津の岩代熱海駅近くの温泉旅館。司葉子や夏木陽介といった東宝スターが助演している。
 横浜中華街を舞台に、中国人のコミュニティを喜劇的に描いた第5作『喜劇 駅前飯店』(1962年)は、港区芝公園の高級中華料理店のコック徳さん(森繁)が、郊外の新百合ケ丘駅前の「駅前飯店」をオープンさせるまでの狂想曲。巨人軍の王貞治選手が本人役で出演。時代の人気者といえば、ジャイアント馬場が、群馬県茂林寺を舞台にした第6作『喜劇 駅前茶釜』(1963年)に出演。往年の「狸御殿」のパロディ的趣向で、三木のり平が“文福茶釜”をモデルにしたタヌキとして登場するナンセンスぶりを発揮。

 『駅前旅館』以来、ひさしぶりに東京の下町を舞台にしたのが、第7作『喜劇 駅前女将』(1964年)。両国の老舗の酒屋の主人(森繁)と、川向こうの寿司屋の大将(伴淳)が、錦糸町のバーのマダム(淡路恵子)に入れあげる。淡路のキャラは、日本テレビのドラマ『男嫌い』のままと言うのが、いかにも風俗喜劇。
 第9作『喜劇 駅前音頭』(1964年)は、向ヶ丘遊園駅前商店街の面々がハワイで盆踊りを成功させる、という唯一の海外ロケ篇。ユニークなところでは、空前の漫画ブームのなか作られた第15作『喜劇 駅前漫画』(1966年)だが、そこでは赤塚不二夫の「おそ松くん」と藤子不二雄の「オバケのQ太郎」をフィーチャーし、伴淳とQちゃんのアニメ共演、山茶花究がイヤミに扮するなど、子供たちへのアピールも忘れていない。川島雄三監督に師事していた作家・藤本義一が脚本に参加した第17作『喜劇 駅前競馬』(1966年)あたりから、お色気度もアップ。日活でデビューしたばかりの野川由美子や、人気絶頂のコメディアン・藤田まことらもレギュラーに加わり、色と欲の狂想曲が繰り広げられる。

 東宝創立35周年記念作の第21作『喜劇 駅前百年』(1967年)の舞台は上野と本郷、久々に豊田四郎が監督となり、『駅前旅館』の後日譚ともいうべき物語が展開された。続く豊田監督の第22作『喜劇 駅前開運』(1968年)では、赤羽駅前を舞台に、清掃工場建設に反対する地元民と、悪徳代議士(山茶花究)、そして地元商店街に値引き禁止の圧力をかけるメーカーたちが入り乱れて、シニカルな笑いが繰り広げられる。こうして年間3〜4本のハイペースで作られた「駅前」シリーズだが、四国の高松を舞台にした昭和44(1969)年の第24作『喜劇 駅前桟橋』を最後に、終焉を迎えた。

 その後、フランキーと伴淳は松竹の「旅行」シリーズ(1969〜72年)、森繁も松竹の「女」シリーズ(1970〜71年)で、駅前で培った味を見せていったが、森繁、伴淳、フランキーのトリオが再び顔を揃えるのは、「駅前」シリーズと「社長」シリーズの両作のテイスト溢れる『喜劇 百点満点』(1976年・松林宗恵)まで待たねばならなかった。


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