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『悪名 縄張荒らし』(1974年4月24日・勝プロ=東宝・増村保造)

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 昭和46(1971)年12月8日、大映が倒産した。昭和29(1954)年、同じ昭和6(1931)年生まれの市川雷蔵と共に大映に入社。昭和30年代後半から「悪名」「座頭市」「兵隊やくざ」と斜陽の映画界で、ヒットシリーズに主演、大映を牽引してきた勝新太郎にとっても長年のホームグラウンドを失うこととなった。「眠狂四郎」「忍びの者」「陸軍中野学校」などで、勝新と共に「カツライス」時代を気づいた市川雷蔵は、昭和44(1969)年に病没。のちの大映倒産劇を知らないまま、37歳の生涯を閉じた。

 勝新太郎は、昭和42(1967)年に勝プロダクションを設立、盟友・石原裕次郎の石原プロモーション、大先輩・三船敏郎の三船プロダクションと共に、昭和40年代前半の「スタープロの時代」のなか、勅使河原宏の『燃えつきた地図』(1968年)や、五社英雄の『人斬り』(1969年)などの野心作を製作、主演をした。同時に名匠・山本薩夫の『座頭市牢破り』(1967年)、三船敏郎と組んだ『座頭市と用心棒』(1970年・岡本喜八)など「座頭市」シリーズも製作。特に大映末期の『座頭市あばれ火祭り』(1970年・三隅研次)、大映系での最終作となった『新座頭市 破れ!唐人剣』(1971年・安田公義)は、勝プロの製作だった。

 大映倒産後、勝新太郎のヒットシリーズは、東宝提携として、東宝配給で製作が続けられた。これは東宝が外部プロダクション作品を配給することで、ローコストで二本立て興行のブロックブッキングシステムを維持するためでもあった。勝プロだけでなく、石原プロも「影狩り」二部作(1972年・舛田利雄)などの作品を東宝配給で製作していた。ファンにとっても大映倒産で中断されてしまった人気シリーズを、そのまま勝プロ製作、東宝配給で上映されるのは嬉しいこと。

 昭和47(1972)年1月15日には、東宝の森繁久彌をゲストに迎えた『座頭市御用旅』(森一生)、4月22日には、シリーズ初のカラーとなった『新兵隊やくざ 火線』(増村保造)が公開された。こうして「座頭市」を中心に、勝新の人気シリーズは東宝のスクリーンで継続されたのである。「座頭市」「兵隊やくざ」ときて「悪名」復活を望む声も多く、昭和49(1974)年4月24日、やはり勝プロ製作、若山富三郎の人気シリーズ『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』(黒田義之)と二本立てで、久しぶりの新作『悪名 縄張荒らし』(増村保造)が公開されたのである。

 大映での最終作、マキノ雅弘の『悪名一番勝負』(1969年12月27日)は、田宮二郎が大映退社後で、しかも任侠映画として作られたために、作品のクオリティは高いが「悪名」本来のテイストとは異なる「番外編」的な作品となった。それから5年、新作の「悪名」はオリジナル・ストーリーではなく、シリーズの基礎となった第1作『悪名』第2作『続・悪名』(1961年・田中徳三)の完全なリメイクとして企画された。

 今東光の原作も『続・悪名』で使い切ってしまったので、今回は原作回帰、脚本は第14作『悪名十八番』(1968年・森一生)まで「悪名」ワールドを執筆してきた依田義賢(第9作『悪名太鼓』のみ藤本義一)。キャメラは第2作『続・悪名』でモートルの貞(田宮二郎)の衝撃的な死を、俯瞰からのスタイリッシュな映像で撮影した名手・宮川一夫が復帰。監督は、大映で「カツライス」のシリーズを手がけてきたが、「悪名」はこれが初めてとなる増村保造。スタッフ、脇役に至る、まで大映京都出身のメンバーが集結した。

 『悪名』『続・悪名』のリメイクなので、朝吉が男として売り出し、モートルの貞とコンビを組んで、大阪のやくざたちを相手に「悪名」を晒していく痛快な前半、そして大阪の松島一家の縄張りを任され、やくざになりきれないゆえに、大きな力に翻弄されていく後半、朝吉の出征、そして貞の死までを描いていく。シリーズのファンにはお馴染みの展開で、昭和36年から13年経ったとは思えないほど、勝新の朝吉が若々しく、やんちゃな姿を見せてくれる。モートルの貞には、田宮二郎再び、とファンはつい思ってしまうが、若さゆえのトッポさ、狂犬のようなギラギラした若者という観点で、北大路欣也が抜擢されたと思われる。

 この頃の北大路欣也といえば、前年に『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年・東映京都・深作欣二)で、あの山中正治を演じていた。その凄み、インパクトゆえにキャスティングされたことは想像つく。なので、本作のモートルの貞は、田宮二郎の良い意味での軽さ、トッポさとはまた違う魅力がある。

 基本的な展開、セリフは全く同じなので、歌舞伎や舞台のリバイバルのように、オリジナルと脳内で見比べながらの楽しさがある。貞の女房になるお照は、太地貴和子。朝吉の女房になるお絹には、望月真理子。どっちも実にイイ。朝吉が生命をかけて足抜けさせる琴糸には十朱幸代。オリジナルでは水谷良重が演じていたが、十朱がまた、苦海に身を沈めた女の悲しみ、朝吉への思慕を見事に表現している。

 大映では永田靖が演じていた因島のシルクハットの親分には大滝秀治。浪花千栄子さんの当たり役、女親分・麻生イトには杉村春子。民藝vs文学座の新劇対決は見もの。オリジナルと同じ役を演じているのは、松島の元締めの2代目中村鴈治郎。勝新との芝居場、見比べると、二人のさらなる円熟が味わえる。

 琴糸が因島に売り飛ばされたことを知った朝吉と貞が、海を渡って因島へ。そこでシルクハットの親分、女親分・麻生イトたちのパワーバランスを教えてくれ、琴糸の足抜けに協力してくれる宿屋「渡海屋」の仲居・おしげには悠木千帆(のちの樹木希林)。オリジナルではベテラン・阿井美千子が演じていた役だが、テレビドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」で人気の悠木千帆の見せ場もたっぷり用意されている。

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 麻生イトのステッキ(シルクハットのステッキ)による折檻に朝吉が耐え抜き、無事、琴系の足抜けに成功する中盤のカタルシス。尾道への連絡船の中で、しみじみ自由を味わい、朝吉に感謝=愛の気持ちを伝える琴糸のいじらしさ。しかし朝吉には、すでにお絹という恋女房がいる身なので、それを受け止めることができない。

  お絹とお照が働く道頓堀の「くいだおれ」に、朝吉が琴糸を連れてくる。女房として、琴糸に挨拶するお絹のキリリとした表情。女としての嫉妬もあらわにしながら、苦労をしてきた琴糸への優しい気遣いも見せる。初作で中村玉緒が見事に演じていただけに、望月真理子にはプレッシャーだったろうが、女優の魅力を引き出すことにかけては右に出るものはいない増村保造の演出により、望月真理子のお絹が実に可愛く、朝吉への愛も含めて、実に見事。十朱幸代と望月真理子の目線バチバチがまた、見ものでもある。

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 また、貞の女房・お照を演じる太地貴和子が抜群である。色気と、天真爛漫さ、そして貞を心底愛している感じを全身で表現。朝吉夫婦、貞夫婦が琴糸を連れて天王寺の動物園見物に行くシーン(撮影は東山動物園)。オリジナルでは京都嵐山で、朝吉夫婦と琴糸の三人だったが、ここでは五人がひととき楽しい遊山をする。そのシークエンスで、ひとり故郷の九州で生きていくことを決意した琴糸が、みんなに別れを告げる。

「皆さん、色々ありがとうございました。うち、生まれてから、こんなに親切にしてもらったことありまっせん。九州へ帰ります。朝吉さん、本当にありがとうございました。一生、忘れまっせん。お絹さん、朝吉さんはよか人よ、こんな人、滅多におられんとよ、大事にしておくんなさいね」と去っていく。このシーンの十朱幸代と、それを受ける望月真理子の芝居が素晴らしい。

 初作での須賀不二男の役を、今井健二。須賀不二男は、長五郎親分(初作では山路義人)に。で、第二作で南都雄二が演じていた河太郎は、藤田まことと、キャストの変化も楽しい。しかも、上田吉二郎が第2作『続・悪名』と第13作『悪名一代』で演じていた沖縄の源八は、空手の源八として財津一郎がコミカルに演じて、笑いを誘う。少林寺拳法の遣い手を自称して、当時流行のブルース・リーの怪鳥音を真似るのがおかしい。

 クライマックス、朝吉に召集令状が来て、貞との別れの会話。これは、やはり素晴らしい。

「貞やん、わいは、お前を畳の上で死なせてやりたいんや、ややもできたんやないか、お照のことも考えてやれ」
「兄貴、戦争って、これなんでんねん。国と国との縄張り争いとちゃいまっか?」
「国が縄張り争いしたからって、わいらまでしていいって法はないやないかい」
「せやけど兄貴、わいを畳の上で死なせしたい言われましたが、わいにも言わしとくんなはれ。死んだらあかん!なんもあかん!兄貴の言う通りにして、どんなことしてでも待ってます。せやから、生きて帰ってきておくんなはれや」

 しかし運命は変えられない。カポネ(藤山浩二→アイ・ジョージ)の放った刺客が、朝吉を駅で見送る貞を襲う。血を流しながらも、朝吉を見送るまではニッコリ笑って手を振る貞。それに気づくお照。列車の出発を確認して倒れ、絶命する貞。『続・悪名』の雨の刺殺シーンとは、また違う演出で描かれる貞の死。何度観ても、切なく悲しい。

 これがシリーズとしては最終作となったが、この物語の続きは、第3作『新・悪名』から始まるので、田宮二郎の清次と朝吉の名コンビ結成から、再び楽しむことができる。「悪名」の無限ループが味わえる。また朝吉が出征してからの軍隊時代は「兵隊やくざ」シリーズを、そう捉えて観る楽しさもある。『新・悪名』は、朝吉が復員してくるところから始まるので。

 音楽は冨田勲だが、鏑木創の「悪名のテーマ」の印象を活かしてのサウンドは、実にイイ曲である。歌舞伎や芝居の再演のように、オリジナルとの比較をしながら味わう楽しさはまた格別である。007映画でいうと『サンダーボール作戦』(1965年)をリメイクした、ショーン・コネリー復帰作『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』(1983年)のような感じだが、「悪名」を観ている喜びを体感できる秀作である。



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