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夏になったら啼きながら、必ず帰ってくるあの燕さえも… 『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(1989年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年2月3日(土)BSテレビ東京「土曜は寅さん!」で第41作「寅次郎心の旅路」放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、ご紹介します。

 毎年、お盆とお正月、必ず「男はつらいよ」シリーズが封切られて来ました。クオリティを維持しながら、年に二作も、新作を撮るということは、とてつもないことだったと、シリーズを振り返るたびに、ぼくは思います。

 思い起こせば第一作が昭和四十四(一九六九)年八月二十七日の公開、その翌昭和四十五(一九七〇)年八月二十六日には第五作『望郷篇』が封切られ、夏の寅さんは、日本のお盆の風物詩となっていきました。それからずっと、寅さんは全国津々浦々、旅をして、沢山の出逢いを繰り返して、数多くの物語を紡いできました。

 第四十一作『寅次郎心の旅路』は、なんと寅さんが海外、ヨーロッパのウィーンに出掛けるという、予想外の展開をします。公開されたのは昭和六十三(一九八八)年八月五日。吉岡秀隆さん演じる満男をメインにした「満男シリーズ」の『ぼくの伯父さん』が、この年の十二月公開です。以降、最終作まで年一作、お正月の公開になりますから、この『寅次郎心の旅路』は、最期の「夏の寅さん」ということになります。

 オーストリアのウィーン市長、観光局の熱烈なロケ誘致のラブコールに応えるかたちで企画されたものですが、山田洋次監督は、だからこそ登場人物たちのキャラクター、ドラマを練り上げて、この物語を作り上げています。

 主題歌の前、トップシーンでは、寅さんが旅先の旅館で、風邪を引いて弱気になっているところに、さくらから兄を気遣う手紙が届きます。さくらの手紙には一万円が添えてありました、モノトーンに近い、暗い色調のなか、旅暮らしの侘しさと、肉親の優しさを身にしみて感じる寅さん。この暗いシーンは、中盤のウィーンロケの華やかさとの好コントラストをなします。

 満男が大学受験に失敗して、浪人していることが明らかになります。当初のシナリオでは、さくらが一緒に合格発表を見に行くシーンや、浪人はさせずに就職させるんだと息巻く博が描かれていました。不合格の報せをさくらから電話で聞いた、博、おいちゃん、おばちゃんが、くるまやで待っていると満男が帰宅。「父さん落ちました。あのう、それでもう一度挑戦したいんだけど、いいかな浪人して」と満男が言いにくそうに話すと、博は口ごもりながら「がんばるんだぞ」とだけ言うシーンが用意されていました。映画では描かれていませんが、前作『寅次郎サラダ記念日』で受験生だった満男の「それから」からの物語が始まるのです。

 さくらが寅さんを気づかい、博は満男の心情を推し量る。いつもは家族ならではの厄介さで、大げんかをしてしまうのですが、今回は、お互いがお互いを思いやる、家族の暖かさを、より丁寧に描いていこうという監督のスタンスが見てとれます。

 これから登場する孤独と屈託を抱えた登場人物と寅さんとの心の交流、そしてウィーンで出会う、やはり心にある寂しさを抱えているマドンナとの物語への前段としては、見事な滑り出しです。

 やがて旅先の寅さんです。宮城県の登米市〜栗原市を走るローカル線の栗原電鉄に乗っていると、すわ人身事故か! と急停車。車掌(笹野高史)や寅さんが降りると、仕事に疲れたサラリーマン、坂口兵馬(柄本明)が自殺未遂。幸いケガはなく、事なきを得ますが、寅さんは一晩、兵馬の面倒をみようと、栗原市にある馴染みの花園旅館に連れて行きます。

 しかし、エリートサラリーマンの兵馬は「無断で会社を休んできたから」と、その日のうちに東京へ帰ろうとします。それを聞いた寅さん「おい、お前がいないと、会社つぶれちゃうのか?」と問います。

 社会とのしがらみを持たずに、自由に生きてきた寅さんならではの言葉です。そこで寅さん、風呂に行くことをすすめます。「桶にね、お湯をこう汲んで、何杯も何杯もこうやってかける、わかったな。」 寅さんの「お前がいないと、会社つぶれちゃうのか?」「よし風呂に行ってこい」この言葉で、兵馬の心に溜まっていた澱のような屈託が、少しずつ溶けていくのです。

 しかも兵馬は、この瞬間から寅さんを慕ってしまうのです。寅さん曰く、「金魚のウンコ」みたいに、寅さんの後追いをする兵馬。その話を聞いた博は「気の小さな秀才がガキ大将に憧れるようなもの」と冷静に分析します。

 心身が疲れたサラリーマンは、これまでも第十五作『寅次郎相合い傘』の兵頭パパ(船越英二)、第三十四作『寅次郎真実一路』の健吉(米倉斉加年)たちが登場、寅さんとの出会いにより、しがらみに雁字搦めになっていた自分を次第に解放して、再生していく物語が描かれてきました。

 今回の坂口兵馬もその一人です。兵頭パパは小樽で初恋の人に逢いに行き、健吉は生まれ故郷の枕崎へと心の旅をします。いずれも自分の「果たせなかった夢」を、寅さんと出会って実現させ、再生していったのです。

 今回の兵馬の「果たせなかった夢」は、音楽の都、ウィーンに行って舞踏会でワルツを踊ること。それを実現させるために、寅さんにウィーンへの同行を頼みます。この展開が「男はつらいよ」の魅力でもあります。でも第二十五作『寅次郎ハイビスカスの花』で、あれほど飛行機に乗るのを嫌がった寅さん、ヨーロッパに行くにはパスポートが必要なのに、大丈夫なの? という観客の疑問もちゃんと映画のなかで応えてくれるのです。

 ある日、くるまやに、旅行代理店の馬場(イッセー尾形)が、寅さんのウィーン行きについての説明と、パスポートの照会にやってきます。そこで馬場「なんでも一昨年の夏、お友達と競輪で万車券をお取りになり、ハワイに行こうということになって、その時取得されたそうですけど」と寅さんのパスポート取得の経緯を説明してくれます。

 第四作『新・男はつらいよ』で、名古屋の競馬場で大穴を当てた寅さんが、おいちゃんとおばちゃんをハワイ旅行に招待したことがありましたが、それを思えば、それもあり得るとファンは納得してしまうのです。いずれのハワイ旅行も実現はしませんでしたが…

 こうして映画のなかで、具体的な描写とエピソードを重ねて、丁寧に寅さんの渡航の手はずが整います。そこへ寅さんが、久し振りに柴又に帰ってきます。ここから『寅次郎心の旅路』の物語がいよいよ動き出すのです。

 この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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