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『愛の世界 山猫とみの話』(1943年1月14日・東宝・青柳信雄)

円谷英二監督の戦時中の特撮担当作『愛の世界 山猫とみの話』(1943年1月14日・青柳信雄)。坪田譲治・佐藤春夫・富澤有為男原作を、如月敏さん、黒川慎(黒澤明)さんが脚色。

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 幼い時に両親を亡くし、不幸な身の上の小田切とみ(高峰秀子)は、曲馬団の男に引き取られ、想像を絶する扱いの果てに、人間不信となり、心を閉ざし、問題行動を重ね「少年審判所」に収容されていた。地方の不良少女更生施設の山田先生(里見藍子)が彼女を引き取る。菅井一郎さんが演じる四辻院長は、リベラルで子供達の最大の理解者として描かれている。

 しかし「山猫」と呼ばれるほど粗暴なとみは、心を閉ざしたまま。先輩たちにいじめられる。それでも山田先生が懸命にとみに接するうちに、彼女も少しずつ先生を信頼するようになる。が、ある女生徒が山田先生を傷つけるような言動をしたため、とみは彼女を暴行、そのまま逃亡してしまう。

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 高峰秀子さんが、心を閉ざした少女の孤独、怒り、悲しみを、一歳にセリフを言わずに見事に表現。前半の更生施設の教条的なシークエンスは、昭和18年、戦時下の児童教育の実態に触れるようで、複雑な気持ちになる。

 しかし、山中に逃げたとみが、恐怖の一夜を過ごすシーンから、映画はダイナミックかつ感動的な展開となる。歌を唄いながら自由を謳歌して山を駆けていたとみだが、天候が悪くなり、自然が牙をむき出すと、恐怖にかられてゆく。このシークエンスが円谷特撮の見せ場。風が吹き荒れ、木々が揺れ、とみが感じる恐怖がデフォルメ化されていく。山頂に登ったとみが朝日を拝むショットがあるが、雲海をグラスワークで合成して、ロングショットのとみのシルエットと共に、象徴的な特撮カットとなっている。

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 ファンタジックでもあり、子供が考えるあらゆる恐怖を、さまざなショットを重ねて描いていく。やがて朝になり、山中を彷徨うとみは、ある山小屋にたどり着く。囲炉裏端の雑炊を貪るように食べるとみ。そこへ、まだ幼い勘一(小高つとむ)と弟・幹二(加藤清司)が戻ってくる。二人きりで暮らしていた。鍋の蓋が開いていることに気づいた兄弟に、物陰に隠れていたとみが「あたいが食べたんだよ」。

 ここで始めてとみが言葉を発する。母親を亡くし、猟師の父・松次郎(新藤英太郎)が熊を仕留めに出かけたまま「米櫃の米がなくなるまで」帰ってこないという。兄弟を不憫に思ったとみは、三人で暮らし始める。ここからが、山猫とみに、人間らしさが戻ってくる「復活の時」となる。

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 黒澤明脚本というのが納得できるほど、後半のとみの成長は映画的ダイナミズムに溢れている。幼い兄弟との暮らし、ワンシーン、ワンシーンが愛おしく感じる。

 しかし「米櫃の米」が底を尽き、食べるものがなくなって・・・

 高峰秀子さんの芝居のうまさを改めて堪能。青柳信雄監督の子供たちへの眼差しが素晴らしい。後半の「山狩り」シークエンスの緊張から、エンディングの爽快さ。児童映画としても優れた佳作である。

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