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「男はつらいよ」の多幸感〜『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(1977年8月6日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年8月12日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十九作『男はつらいよ寅次郎と殿様』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

 シリーズを繰り返し観てしまうのは、作品にあふれる「多幸感」に触れたくなるからだと、ぼくは思っています。映画を観ていて幸せになる、というのは良いものです。

 第二十作『寅次郎頑張れ!』で、寅さんがワット君(中村雅俊)に、デートで観るなら「洋画はダメだぞ。カッコいい男がスッーとした足をして次から次へと出てくるんだよ。終わって電気がパッとつく。しみじみお前の顔を観て『ひどい顔しているな』っていうことになっちゃうんだよ」と恋愛指南します。

 では、何を観たら良いのか? 日本映画でも「なんでもいいわけないぞ。ヤクザもの、ギャング映画、これだめ、観た後、心が寒々としてね。恋だの愛だのっていう雰囲気にならないんだ」という話になって、ワット君は「じゃぁ、何観りゃいいんですか?。」寅さんは「決まってるじゃねえか、おかしい映画」という結論に達します。

 それが『男はつらいよ』だということは、観客がいちばん良く分かっています。寅さんの愚かしきことの数々に、涙を流しながら笑い、登場人物たちの人生に触れて感動をする。そして、その心の成長を感じて、幸せな気持ちになるのです。ストーリーだけでなく、登場人物の織りなすアンサンブルだったり、ちょっとしたギャグだったり、失われつつある日本の風景だったりと、様々な構成要素が、ぼくらの琴線に触れるのです。それが「男はつらいよ」の「多幸感」です。

 繰り返し観て「ああ、幸せだなぁとしみじみ思う」ということでは第十九作『寅次郎と殿様』がダントツです。こういうドラマを語ろう、こういう物語を紡ごう、という構え方でなく「アラカンさんと、寅さんが共演したらどうなる?」というワン・アイデアが、すべての原動力となる、そんな作品だからです。

 アラカンさんは、昭和二(一九二七)年、映画の父・マキノ省三さんの誘いで映画界入りしました。その前は嵐和歌太夫という名前で、叔父の六代目嵐徳三郎の一座で歌舞伎役者をしていました。この一座で一緒だったのが、のちの片岡千恵蔵さんです。マキノ・プロダクションに入ったアラカンさんは、講談社の「少年倶楽部」を差し出され、「この中で何の役をやりたい?」と聞かれて、迷わず選んだのが、大佛次郎の「鞍馬天狗」でした。

 マキノ省三監督は、それまでの「嵐和歌太夫」では映画向きではないと、「お前は顔が長いから長三郎がいい」と、嵐長三郎と名づけました。こうしてマキノ御室撮影所でデビュー作『鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子』の撮影がスタート。「鞍馬天狗」は大変な評判となり、アラカンさんは翌、昭和三(一九二八)年、独立を機に、嵐寛寿郎と改名。「むっつり右門」「鞍馬天狗」シリーズを連作して、文字通り、日本映画のヒーローとなります。それから、およそ三十年の間に、四十作以上の「鞍馬天狗」ものに主演。「天狗のおじさん」として、日本映画を代表する剣戟スターの一人として、戦後の『疾風!鞍馬天狗』(一九五六年)までアラカンさんは、鞍馬天狗として大活躍。渥美清さんも少年時代に、夢中になったのではないかと思います。

 また昭和三十二(一九五七)年、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』(渡邊邦男)では、なんと明治天皇を演じ「鞍馬天狗」から「天皇」と呼ばれるようになりました。『大東亜戦争と国際裁判』(一九五四年)では東条英機、『皇室と戦争とわが民族』(一九六〇年)では神武天皇と、アラカンさんは歴史上の人物も超然と演じて、それらのスクリーンイメージと、キャリアによる「大物としての威厳」が、この『寅次郎と殿様』を面白くしているのです。

 おそらく、山田監督は『寅次郎と殿様』の物語を作る際に、まずはアラカンさんをどんな役にするか? と考えたのだと思います。伊予大洲の殿様らしく不思議な威厳を持って、今なお城下の人々に愛されている魅力的な殿様。「宮仕えはつらいよ」と言いながらおそらくは代々殿様に仕えている執事の吉田(三木のり平さん)は、まるで往年の時代劇で堺駿二さんが演じていたような家老のような存在です。そうしたファンタジックな設定に、リアリティがあるとすれば、それはアラカンさんの存在感だと思います。

 寅さんとの出会いもいいです。大洲城趾公園で、なけなしの五百円札を落としてしまった寅さんが困っていると、それを殿様・藤堂久宗(嵐寛寿郎)が、天から降ってきたと拾います。「拾ったら礼をするのが決まり」と寅さん、ラムネとあんパンをご馳走します。そこから二人の奇妙な友情が始まります。殿様は寅さんを屋敷に招いて「粗餐」を供じます。

 屋敷ですっかりくつろいだ寅さん。柴又のさくらに電話をします。およそ現実的はありませんが、殿様の屋敷という観点でいうと、リアリティがあります。そこが『寅次郎と殿様』の魅力です。殿様は、亡くなった末の息子の嫁・鞠子に一目会いたいと、寅さんに頼みます。

 酒席だったこともあり、寅さんが安請け合いしたことで、それがとんでもない騒動へと発展していきます。

 しばらくして、いきなり「とらや」の店先に現れた殿様。その威厳も含めて、浮世離れしているのが、アラカンさんの鞍馬天狗たるゆえんです。しかもおばちゃん「手品使いじゃないかい?」。おばちゃんの手品師のイメージは、こういう大仰な格好をしているのかと、その感覚も含めて、劇場は大きな笑いに包まれました。そこへ寅さんが帰ってきます。戸惑うとらやの人々。

 ここで、寅さんが殿様について普通に説明をすれば、済んでしまうのですが、そこは「男はつらいよ」です。まるで「水戸黄門」の印籠や、「いれずみ判官」のお白州での刺青披露のように、待ってましたとばかりに正体を明らかにします。「さがれ おじいちゃんとは何ごとだ。無礼者! 畏れ多くもこの方をなんと心得る。伊予は大洲五万石の城主、藤堂久宗様であらせられるぞ。頭が高い!団子商人(あきんど)図が高い!」

 このときの渥美さんの大仰な演技、超然としたアラカンさん。とらやの人々はまるで「寅さんの夢」のような、芝居がかったリアクションをします。そして「年寄りの切ない願い事叶えて頂けますよう、ご家族の皆様方、どうかよろしくおたの申します」と最敬礼。

 いよいよ追いつめられた寅さん、殿様との約束を守るために、鞠子探しに奔走します。浮世離れした殿様の切なる願い、そこに家庭の事情や、これまでのこと、そして老人の孤独が垣間見えます。浮世離れした登場人物が織りなす喜劇から、やがて、誰にも共感できるドラマへと映画は広がってゆくのです。

 殿様のため、なんとかしようとする寅さんの気持ち、それを「ナンセンス」という博は「世の中にはもっと困っている老人がたくさんいるんですよ。どうして殿様だからって言って、そんな大騒ぎするんですか? 江戸時代じゃないんですよ今は。民主主義の時代です」とクールです。しかしホットな寅さんは「民主主義っちゅうのは殿様嫌いなの」と判官びいきなところを見せます。

「理屈じゃないんだよお前。そういう好き嫌いって言うのはさ。え、俺うなぎ大嫌いだろ、お前うなぎ大好きじゃない。それ理屈で説明できる? それも歴史の流れか?それも」

 と混ぜっ返します。こういう会話も含めて、なんとなく幸せなのは、この後、殿様が無事、鞠子と再会することが約束されていることを、ぼくがら薄々感じて観ているからです。時代劇映画と同じように予定調和のサスペンスというか、約束された展開を味わう楽しみです。寅さんは、源ちゃんともに、まずは柴又界隈から、鞠子探しをはじめますが、なかなかうまくいきません。責任を感じた寅さんは、殿様の望みを叶えてあげることができないと、旅に出ようとします。「東京中の家を一軒一軒探し回ったら、百年から二百年、経っちゃうぞ」とあきらめムードの寅さん。

「俺だってよ、いつかどっかで良い女にめぐり合うかもしれねえもんなぁ。例えばの話さ、この敷地またいだところでいい女にばったり会って、その女と所帯持っちゃうかもしれねな。」

 と言い残して旅立とうとしたら、そこへ、寅さんが大洲で出会った女性・堤鞠子(真野響子)が訪ねてきます。

寅「あれ? 俺、あんたの名前知らねえんだ。あんたなんていうの?」
鞠子「堤鞠子です」
寅「いいお名前だ。堤鞠子さん! 社長、偶然だねぇ」
社長「この人がそうだったりして。」

 この社長と寅さんのやりとり、最高です。ここからの展開の至福感は、何度観ても素晴らしいです。ぼくは、このシーンを観るたびに、幸せな気持ちになるのです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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