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『エンタツ・アチャコの忍術道中記』(1939年・岡田敬)

 エンタツ・アチャコのお正月映画としては、昭和12(1937年)の『心臓が強い』以来となる。昭和13年には、吉本興業と大阪朝日新聞による「笑わし隊」で北支、中支へ慰問に出かけていた。さて、前の年のお盆作品『水戸黄門漫遊記』(齋藤寅次郎)での時代劇コメディが大好評、続いては、子供たちの大好きな「忍術もの」という趣向。監督は、第1作『あきれた連中』(1936年)から、エンタツ・アチャコ映画のメイン監督でもあった岡田敬。なので、いろんな意味で、斎藤寅次郎の喜劇センスが爆発した『水戸黄門漫遊記』よりは見劣りしてしまうが・・・

 現存するフィルムは、やはり敗戦直後、再上映された際にカットされた短縮版。オリジナルが75分だが、現存しているのは56分。約20分のカットだが、どんなに切られても、笑いのエッセンスが残っている齋藤寅次郎映画に比べると、どうもパッとしない。製作は渡辺邦男の東宝初参加『鉄腕都市』(1938年)から東宝のプロデューサーとなった滝村和男。戦前からエノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコ映画を手がけ、戦後もエノケンプロに参加して、喜劇映画を中心にプロデュース。晩年は、東京映画、宝塚映画で森繁久彌の文芸作やフランキー堺のコメディを手がけている。その映画人生のほとんどを、日本の喜劇人のフィルムキャリアに貢献した人である。

 撮影は東宝映画京都撮影所。かつてのJ Oスタジオである。エンタツ・アチャコの座付き漫才作家・秋田實が「台詞」、「脚本・演出」が岡田敬。なのでギャグや笑いは、自ずと横山エンタツによるところが大きい。音楽は谷口又士。俗謡をジャズにアレンジした快調なタイトル音楽にのせて、配役が紹介される。

目明し石松       横山エンタツ(吉本)
花菱傳三郎・同 角之進 花菱アチャコ(吉本)
實々居士        高勢實乘
猿飛孫六        森野鍛治哉
親分・正力勝      進藤英太郎
大丸吉右衛門      上田吉次(ニ)郎
角之進の伯父      山田好良

吉本興業専属
人形屋・助さん     春本助次郎
曲芸師・熊さん     クレバ栄次
同・寅さん       クレバ清
實々居士の娘・おつぎ  堤眞佐子
親分の娘・おでん    清川虹子
鳥追ひ         澁谷正代
角之進の母       浜地良子

と、主要な配役がクレジットされる。データベースにはほとんど記録がないので、これは助かる。

 前作『水戸黄門漫遊記』で、仇敵と山賊の二役を演じた「アノネのオッサン」こと高勢實乘が、今回は、エンタツ・アチャコと並んで、三枚看板でトップにクレジットされている。

 大正14(1919)年、M・カシー商会の『竜神の娘』を皮切りにサイレント時代から日活時代劇で活躍、その後「高勢映画研究所」なるプロダクションを立ち上げるも、1年で頓挫。衣笠貞之助のアヴァンギャルドな傾向映画『狂った一頁』(1926年)に参加、衣笠映画聯盟に所属して数々の映画に出演後、再び日活太秦の専属となる。いわば映画史と高勢の映画人生はほぼ重なる。百三十本以上の作品に出演してきた高勢のコミカルなキャラを引き出したのが伊丹万作『国士無双』(1937年)での伊勢伊勢守役だった。

 続いて山中貞雄の『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935年)で演じたクズ屋・茂十で、あの不思議なメイキャップが登場。鳥羽陽之助との「極楽コンビ」で、新井良平の『江戸の春 遠山桜』(1936年)などに次々と出演。独特のエロキューション、サイレント喜劇のスター、ベン・タービンのような不思議なメイクで人気者となり、昭和13(1938)年『でかんしょ侍』(大谷俊夫)で東宝に移籍。前作『水戸黄門漫遊記』の文字通りの怪演で、東宝の喜劇にはなくてなならない存在となる。

 なので、本作でも勢い、オッサン頼みというか、オッサン中心に物語が構成されている。オッサン伝授の忍術巻物をエンタツ・アチャコが使って忍術をマスター、大活躍する。

 アチャコは花菱傳三郎と、その放蕩息子・角之進の二役。侍の家系に生まれながら、剣術HAからきしダメ。父・傳三郎が、「怪盗紫組」の頭・大丸吉右衛門(上田吉次郎)の凶刃に倒れる。虫の息で「たった一言、倅に言わないと、死んでも死にきれん」。倅・角之進が枕元に駆けつける。

角之進「その、そのお言葉は・・・」
傳三郎「・・・お前は、アホじゃ・・・」
角之進「えー」

 ニッコリ笑って、傳三郎は絶命する。この「お前は、アホじゃ」は、関西圏ではごく普通の言い回しだが、東京や地方の子供たちには「アホ」は新鮮で、亡くなった僕の父が、中学の時にこの映画を観て「アホ」という言葉を憶えたと言っていた。僕らの世代では横山ホットブラザースの「お前はアホか」で、「アホ」初体験だったが、こんな言葉一つで、関西の笑いは、東京でもインパクトがあった。

 で、憎っくきは「怪盗紫組」、岡っ引きの親分・正力勝(進藤英太郎)は、手下たちに大丸吉右衛門捕縛を命じ、徹底的な捜査網を敷くこととなる。上田吉次(二)郎や進藤英太郎、僕らの子供の頃、テレビで観る東映時代劇の悪役をやっていた人たちが、戦前も全く同じテイストなのが嬉しい。進藤英太郎も関西弁。つまり舞台は江戸ではなく京都なのである。

「あんじょうやってんか。相手を見つけたら呼子を吹く。ええな、呼子を間違えたらあかんで」

 と念を押す親分。これが次のギャグの振りになっている。必死の探索が続く。ここのショットの積み重ねは、音楽も物々しく「真面目な時代劇」スタイルである。で、次のカットで三下・目明し・石松(エンタツ)が登場。あの腰から下クネクネの不思議な動きで、敵のアジトの前をウロウロ。ここで音楽が、急にコミカルになる。『あきれた連中』『これは失禮』のタイトル音楽のアレンジ、つまりこのメロディが「エンタツ・アチャコのテーマ」だったわけである。

 とにかくエンタツの腰の動きがおかしい。挙動不審そのもので。ワンショットでかなりの時間、エンタツの動きが見られるが、おそらく当時、映画館で、子供たちに大受けだったのだろう。しゃべくりだけではなく、動きの「ボケ」。これが横山エンタツの魅力でもあるのだ。

 気がつくと敵に取り囲まれている目明し石松。「どうも」と愛想笑いをして誤魔化そうとするが、三人の怪盗に取り囲まれて、身動き出来ない。で「敵を見つけたら呼子」を吹かねばならないのだが、呼子の紐をヒラヒラさせながら、怪盗の鼻先にヒュッと出したり、挙動不審がエスカレート。その挙句、呼子を口の中に入れて食べてしまう。口から紐を出して、呼子を飲み込む石松。その間、2分ぐらい、ずっとセリフもなく、音楽だけ。で、石松、しゃっくりをするたびに「ピュ」「ピュ」「ピュ」と呼子が鳴る。このギャグは、かなりおかしい。

 そんなわけで石松は大失敗をして、親分からおい出される。「アホ、どアホ、ほんまよう言わんわ。どこなと、出て失せ。おい、石松、ムカついたら、大丸の首でもとってこい」。この親分・進藤英太郎の大阪弁もかなりインパクトがあったろう。

 で、父の遺言で「お前はアホじゃ」と言われたアチャコの角之進、親分から「どアホ」と追い出されたエンタツの石松。二人の「アホ」が、で出会い、道中を共にする。ところが短縮版では、この二人の出会いがバッサリとカットされているので、「なぜ二人が知り合ったのか」がダイレクトに伝わって来ない。まぁ、エンタツ・アチャコだからコンビなので、二人が行動を共にしていても、誰も疑問を持たないのだけど、あまりにも唐突。ドラマ上は、二人はそれぞれの理由で、大丸を追っているわけで・・・

 エンタツ・アチャコの二人、道中で粋な年増の鳥追女(澁谷正代)にニッコリされて、そのままついていく。ここにも「エンタツ・アチャコのテーマ」がのんびりと流れているが、鳥追女が、山中の小屋に入るタイミングで、音楽が三拍子からアップテンポになり、マーチに転じていく。短縮版での二人の絡みは、この小屋の前でのどつき合い。セットなので「てなもんや三度笠」みたい。映画が始まって9分経っても、二人の漫才はない(オリジナルではあったのだろうけど)。小屋に入った二人、ようやく会話を始める。

アチャコ「あ、女はおらん」
エンタツ「おらん」
アチャコ「怪しいこっちゃなぁ」
エンタツ「どうも、怪しいぞ、これは」
アチャコ「・・・」
エンタツ「これは山賊の家と違うか」
アチャコ「気いつけろ、泥棒や」
エンタツ「泥棒なれば・・・(上から笠が落ちてきて)うわー(と大慌て)」

 取り乱す二人、アチャコは刀を上段に構え、エンタツは十手で「御用だ!御用」とアチャコに向かって叫ぶ。やがて千両箱を見つける二人。

アチャコ「ぎょうさんあるな、一枚ぐらい誤魔化してもわからへん・・・」
エンタツ「一枚と言わずに、全部誤魔化しちまおう。誰もおらへんのやから」
と欲を出して千両箱を持って
エンタツ「人の来ないうちに・・・」
いつの間にか怪盗たちに取り囲まれている。気まずい空気が流れる。
エンタツ「ああ、あかんあかん・・・」

 爆笑シーンではないが、エンタツの醸し出す間(ま)がなんともおかしい。そこで大乱闘、いつの間にか怪盗たちに投げ飛ばされる二人。ここで、エンタツ・アチャコがいつの間にか人形になってグルングルン振り回され、投げ飛ばされる。その乱暴な演出に笑わされる。ああ、くだらない(笑)。満身創痍で倒れている二人。通りかかった娘・おつぎ(堤眞佐子)の家で手当てを受けることに。

 そこへお次の父・實々居士(高勢實乘)が帰ってきて「(二人は)金持ってるだろうね」と強欲ぶりを見せる。仙人風だが、どうもインチキくさい。

エンタツ「しかし、どう考えても侍、お前は弱いな」
アチャコ「え?」
エンタツ「弱いな、お前は」
アチャコ「お前って、武士に向かって失礼なこと言うな」
エンタツ「武士というものは、多少、こうやって撃剣とか柔とかいうもので、エイヤーって行けるんやけど、あかんやろ」
アチャコ「それや、もう小さい自分から、おれ剣術が嫌いでな」
エンタツ「嫌い?」
アチャコ「嫌いで嫌いで」
エンタツ「侍が?」
アチャコ「ああ」
エンタツ「ははは・・・そらあかんわ」
アチャコ「ははは」
エンタツ「侍が剣術嫌い・・・いや、そういうこと言うとな、俺もちょっと言わしてもらうがね。俺もこれ(十手)をこう振り回して“御用”“御用”と言うてるけどな、大体はあかんのや。大体、肝っ玉が生まれつき、小さいんや」
アチャコ「ああ」
エンタツ「それに度胸が小さいと来ているもんやから」
アチャコ「まあ、怖がり・・・」
エンタツ「怖がりや、何見てもウヘヘヘとなる」
アチャコ「それでよく、目明しになったなぁ」

(中略)
エンタツ「それでね。こう言うことを思い出したんだがね。こういう、寂しい山の中に、一軒家がポコッと建ってるやろ。こう言うとこに、よく仙人が住んでいて、こう忍術を使こうて、家がパーっと変わったり、水がサーっと上から流れてきたり」
アチャコ「よくある」
エンタツ「そう言う忍術の本が、もしパッと手にでも入ったら、これはエライことだよ」
アチャコ「あー、立派なもんじゃ」
エンタツ「そうなったら、もう、どんなに強い侍が、604人来ようが、814人来ようが大丈夫や」
アチャコ「そら、大丈夫や」
エンタツ「あー、忍術の本が欲しいな」
アチャコ「巻物さえ手に入ったら・・・銭金の問題じゃないんだがな」
エンタツ「そら、いくらでも金を出すよ。こうなれば」
アチャコ「うん」
エンタツ「巻物欲しいな・・・」

 これを陰で聞いていたアノネのオッサン。お金欲しさに、家にあるガラクタの巻物を「忍法の虎の巻」と、二人に売り付けてしまう。ところが、その後、猿飛佐助の子孫・猿飛孫六(森野鍛治哉)が訪ねてきて、それは猿飛佐助秘伝の巻物の本物だと判明。慌てて、アノネのオッサン一行が、エンタツ・アチャコを追いかけることとなる。

 ここから先は、忍術を使えるようになったエンタツ・アチャコの行状がおもしろおかしく描かれるのだが、岡田敬の演出は、おかしなシチュエーションだけで、ギャグが少なく、あまりおもしろおかしくないのが残念。時折、インサートされる二人の漫才的会話が、内容はともかく、二人の間(ま)が見事なので、おかしい。

エンタツ「ちょっとお前アホやな」
アチャコ「ああ、俺はアホ・・・こらっ。なんちゅうこと言うか、武士やで武士。二本差してるのがわからんか」
エンタツ「二本ぐらいなんや、気の利いた田楽、三本差してら、そんなもん」
アチャコ「こら、これが目に入らんのか」
エンタツ「目に入る? これが?」
アチャコ「ああ」
エンタツ「そらあかん、そらちょっと、なんぼ大きくてもこれは目の中に入らんわ。侍、お前入れてみろ」
アチャコ「俺か。こら入らんわ。何を言うとるか」
エンタツ「ははは。え?」

 もう、この会話の間(ま)を楽しむだけでもエンタツ・アチャコ映画の存在理由はある。忍術映画ということで、二重露光による空を飛ぶシーン、同ポジでパッと消えるシーン。昔ながらのトリックで、当時の子供たちは大喜びだったろう。アノネのオッサンも齋藤寅次郎映画ほどの破壊力はないが、オッサンの独特のエロキューションを聞いているだけでも楽しい。返す返すも岡田敬演出の緩さが目に染みる(笑)

 エンタツ・アチャコ映画は、この年、昭和14年7月12日公開、齋藤寅次郎監督と再び組んだ『新婚お化け屋敷』(東宝映画東京)で、ナンセンス喜劇映画の一つの頂点を極めることになる。

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