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『乙女ごころ三人姉妹』(1935年3月1日・P.C.L.・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男監督研究。P.C.L.移籍第1作『乙女ごころ三人姉妹』(1935年3月1日・P.C.L.)を久しぶりにスクリーン投影。この映画は、のちの成瀬映画のエッセンスの源泉でもあり、戦前の浅草風俗を捉えた記録映像としても重要な作品となっている。

川端康成原作「浅草の姉妹」

 川端康成の原作「浅草の姉妹」は、昭和7(1932)年、「サンデー毎日」臨時増刊新作大衆文学11月10日号に掲載され、この映画の前年、昭和9(1934)年に刊行された「抒情歌」(竹村書房)に収録された。

 川端康成にとっては、「浅草紅団」からのスピンオフ的な作品。田舎の貧しい家に生まれた、おれん・お染・千枝子が上京、浅草で門付やレビューの踊り子となり、健気に生きていく姿を描いている。

 その原作を成瀬が脚色。トーキー初期の作品だが、徹底的にロケーションにこだわり、昭和10年の早春の浅草で撮影。当時、日本で最大の歓楽街だった浅草では、エノケン率いる「ピエルブリヤント(エノケン一座)」や、古川緑波たちが立ち上げた「笑の王国」、そして松竹少女歌劇などのアトラクションが全盛を極めていた。

 関東大震災で大打撃を受けたものの、めざましい復興を遂げ、日本を代表するアミューズメント・エリアとなった浅草。一方では「魔窟」というネガティブなイメージもあった。その華やかさと退廃。川端康成や、永井荷風、そして高見順といった作家が、この浅草に憧れ、足繁く通って小説の舞台としたことで、そうしたイメージが醸成されていた。そこで生きる人々の哀感、やるせない心情が、数々の映画で描かれていくことになる。そうした「浅草映画」において重要な作品となったのが『乙女ごころ三人姉妹』である。

タイトルロールの「三人姉妹」を演じているのは、長女・おれん役に新劇のトップスター・細川ちか子。「築地小劇場」で活躍後、丸山定夫らとともに脱退。滝沢修、丸山定夫、小沢栄太郎らと「新協劇団」を結成に参加。この時に、劇団ユニットでP.C.L.映画製作所と専属契約。設立したばかりで、専属俳優が圧倒的に少なかったP. C. L.にとっては、新劇のベテラン俳優たちが脇を固めてくれることは、作品の質を高めることに大いに貢献、大きなメリットであった。その細川ちか子が、門付暮らしに嫌気が差して、不良の仲間入りをして、身を持ち崩していく。

長女・おれん(細川ちか子)

 門付の暮らしに疑問を持ちながらも、母(林千歳)の仕打ちに耐えながらも懸命に、姉妹のために働いているしっかり者の次女・お染役には、堤眞佐子。P.C.L.第1作『ほろよひ人生』(1933年)からの専属スターで、昭和5(1930)年に日本劇場附属音楽舞踊学校に入学、舞踊を花柳壽二郎、河上鈴子、声楽を杉山芳野里に師事。歌って踊れるスターとして、エノケン映画や音楽映画でも活躍していた。モダンガール役が多い堤眞佐子が、浅草を漂流するように歩く門付の哀愁を見事に演じている。

次女・お染(堤眞佐子)

 その姉たちとは正反対の性格で、快活なモダンガールでレビュー劇場のダンサーとなっている三女・千枝子役には、梅園龍子。昭和4(1929)年、三崎英語学校在学中に、エノケンこと榎本健一の第二次カジノフォーリーの旗揚げ公演に、踊り子として参加。その後、パイオニヤ・クインテット舞踊団、益田隆のトリオ舞踊団を経て、P. C .L.と専属契約。本作に抜擢されて映画デビューを果たした。

三女・千枝子(梅園龍子)

 新劇の細川ちか子、映画女優の堤眞佐子、そしてレビューの梅園龍子。このキャスティングのバランスも見事。原作では三姉妹が田舎から上京してくるが、映画版では、厳しいエゴイストの母親(林千歳)のもとで幼い頃から芸を仕込まれ、三姉妹とも門付をするべく育てられているという設定。さらに貧しい田舎から身売りされてきた養女・お春(松本千里)やお絹(松本万里代)たちも、芸を仕込まれて門付として、浅草を流している。その母親の厳しさは、当時は日常的だった「搾取」の実態を垣間見せてくれる。

 そうした「暗部」の描写、不良たちが跋扈して、犯罪がまかり通っていた「魔窟」的なムードは、これまでのP.C.L.映画の「浅草」では描かれなかった。例えばP.C.L.映画第二作『純情の都』(1933年11月23日・木村荘十二)では、昭和6(1931)年に開店した松屋浅草デパートの七階にあったアミューズメント「松屋スポーツランド」で、藤原釜足、岸井明、ヒロインの竹下千恵子たちが、会社をサボって遊ぶシーンがある。まるでハリウッド映画のニューヨーク郊外のコニーアイランドの遊園地のようなモダンな空間として切り取られている。

 この『乙女ごころ三人姉妹』でも浅草松屋が重要な舞台として登場するが、その印象は全く違う。長女・おれんは、母親に反発して不良の仲間入りをするが、そのおれんが逃避場所としていたのが、松屋の屋上である。屋上から見下ろす隅田川、吾妻橋の光景。屋上の柵が、おれんを呪縛している「檻」のようでもある。

 一方、レビューの踊り子となった三女・千枝子は、料亭の坊ちゃん・青山(大川平八郎)と恋愛していて、隅田公園でランデブーをしている。ちょうど墨田区側の対岸で、二人が話す隅田川の後ろには、松屋浅草デパートがある。言問橋、東武伊勢崎線の鉄橋、そして松屋浅草デパート。昭和30年代後半の映画まで、ここは繰り返し映画のロケーション場所として選ばれている。その最初の頃の作品でもある。

貴重な浅草のドキュメンタリー映像

 P.C.L.映画製作所。作品No.10 ピカピカのアールデコの撮影所のステージにはためく三角旗。キャメラが画面に向けられる。そのモダンさ。「川端康成原作『浅草の姉妹』より サンデー毎日所載」とトップタイトルに続いて題名。キャスト・クレジットに合わせて流れるのは主題歌「浅草ブルース」のメロディー。作詞・佐藤惣之助、サトウハチロー 作曲・紙恭輔 演奏・P C L管絃楽団 ポリドールレコード番号二一二〇と最後にクレジットされている。

浅草仲見世

 トップシーンの浅草描写が素晴らしい。浅草寺境内、鳩の豆売りの屋台に群れる鳩たち。参詣客たち。女性は着物、男性は外套に帽子。幼い子供は真っ白いエプロンをしている。ゆっくりとキャメラが本堂にパンアップすると鳩が飛び立つ。

 本堂の大提灯。浅草といえば雷門のイメージがあるが、江戸時代末期に焼失して以來、雷門はなく、再建されるのは昭和35(1960)年になってから。なのでそれまでの映画では、本堂の大提灯を、浮世絵的なアングルで撮影していた。

 本堂から見える塔、善男善女たちが参道を行き交う。早春とはいえ、冬の寒さが画面から伝わってくる。さまざまなアングルで浅草寺からの眺めをモンタージュ。陸軍の軍服を着た若い軍人の姿も見られる。

 浅草寺の境内から雑木越しに、浅草松屋の建物が見える。風船の屋台でおばあさんから風船を買う子供。易断の屋台など、境内の様子をひとしきり撮影したところで、カメラが山門越しにパンすると、仲見世の賑わいとなる。店を覗き込む参詣客たち。このトップシーンは、実景のモンタージュにこだわっているので、昭和10年のリアルな浅草を体感することができる。

浅草六区 金龍館・常盤座

 そして浅草六区。金龍館では「笑の王国」が実演。その隣の常盤座では、岡譲二、川崎弘子主演の『利根の朝霧』(1934年・松竹蒲田・野村芳亭)、高田浩吉の『治郎吉格子』(1934年・松竹下加茂・大曽根辰夫)、坪内美子の『月夜鴉』(1934年・松竹下加茂・佐々木恒次郎)を上映している。

 次のカットでは「帝国座」「常盤座」「富士館」など、浅草六区の劇場、映画館のチケット発売している切符売り場、今でいうプレイガイド。木村伊兵衛の写真集でも見たことがない、貴重な映像記録である。

 続いて「レビュウ 吉本モダン グランテッカール」の大きな幟がはためく。千代田館では、デューク・エリントン楽団も出演したハリウッド映画『絢爛たる殺人』(1934年・パラマウント・ミッチェル・ライゼン)「マンガ2本」を上映している。その向かいの白亜の映画館・大勝館では、海軍省後援の記録映画『北進日本』(1934年・横浜シネマ商会=松竹)を上映中。さらに「エノケン公演」などの幟が空にはためいている。

エノケン一座も!

 映画館のショーウィンドウ。フランク・ポーセージ監督、マーガレット・サラヴァンとダグラス・モンゴメリー主演の『第三階級』(1934年・MGM)のスチールがずらりと掲示されている。それを眺めている少女は三味線を手にしている。彼女は門付の養女・お絹(松本万里代)で大の映画ファン。ここでようやく登場人物が、浅草の風景の中に登場する。お絹の稼ぎでは映画も見ることが許されずに、おそらく昼間、六区の映画街を歩いて映画の雰囲気に浸るのが精一杯。

 次のカットから、飲食店のモンタージュとなる。「大衆喫茶五銭均一、食事十銭」「浅草公演名物 コップ・かん酒一合十銭」「玉子丼十五銭、カツレツ十五銭、カレーライス十銭、のりまきすし十銭」「勉強の店 野口食堂」など、当時の浅草の食事情がよくわかる。まさにドキュメントである。

 お絹は、お腹が空いているのだろう。食堂のウィンドウをじっと見つめている。そして履物屋のウィンドウの草履を眺め、つんのめってガラスにおでこをぶつけるのは、やはり門付の養女のお島(三條正子)。汚れた足袋にちびた草履。彼女は新しい草履が欲しいのだ。

 この草履のカットから、下駄の鼻緒が切れてしまって往生している次女・お染(堤眞佐子)のショットとなる。人目を気にして、お染が鼻緒をすげようとするのは、関東大震災で壊れたままの煉瓦塀のところ。そこへ、ハンチングに外套をまとった青年・青山(大川平八郎)が「これあげよう」とハンカチを差し出す。「ありがとうございます」と、時代劇やメロドラマでは、ここで恋が芽生えるシーンなのだが、お染は「いいんですの、私、持っていますから」と申し出を断る。「困ってると思って」「ご親切に」。そのまま去っていく青山。

これは、人の情けにはすがらないというお染のポリシーの表現なのだが、同時に青山は、妹・千枝子の恋人であるということを暗に示している。この辺りの描写の綾が細かくていい。この二人の会話が、映画が始まって4分後、初めてのセリフでもある。やはり『乙女ごころ三人姉妹』は、浅草という街が主役でもある。

 手際よく鼻緒をすげ替え、落ちている石でトントンと叩いて締める。お染は何度も、鼻緒をすげ替えていることがわかる。

浅草の姉妹 それぞれの生き方…

 そのお染のカットに乗せて、千枝子(梅園龍子)のセリフ「私の姉さんね、門付なの」。ショットは火鉢に座っている母親(林千歳)となり「母さんは門付のお師匠なの」。養女のお春、お島、お絹がひょうたん池の前で佇んでいる。「女の子三人置いて、浅草を回らせているの」と、モンタージュで状況を説明する。

 ここで、洋装のモダンガール・千枝子のショット。彼女は恋人と隅田公園をランデブー。後ろには言問橋。「誰にも言わないでね…いいわ、言ったって、二人姉さんがあって、私末っ子なの、二人の姉さんたち、八つぐらいから稼いでいるの、母さんが邪険なもんだから、ずいぶん苦労したらしいわ」。キャメラは千枝子越しに隅田川。船が行き交い、東武伊勢崎線の鉄橋、そして松屋浅草デパートが対岸に見える。

「でも、私だけは割りに可愛がられていたの、末っ子だもんだから、そしてお前にいい人ができたら・・・」

 ここで、千枝子が話していた相手が、先ほどの青年・青山であることが、初めて観客に伝えられる。「いい人ができたら?」「親子、姉妹の縁を切ってやるって、母さんも姉さんもよ」「そんなこと言ってるの?」

 会話は深刻な内容だが、二人の表情は朗らかで楽しそう。二人は、古いものに縛られずに自由恋愛を貫いていく自信に満ちている。松屋の屋上遊園のロープウェイの鉄柱とワイヤーが見える。デパートの屋上にロープウェイがあったのだ! このロープウェイは、後半、おれんとお染が再開する屋上遊園のシーンで、動いている姿が確認できる。

 やがて夜、三味線の音色をバックに、夜の仲見世、ネオン瞬く六区の劇場街、酒場街(今の煮込み横丁のあたり)、門付で酒場に入ったお島が「鹿児島おはら節」を歌っている。「兄さん、歌わして頂戴」とお島。しかし客も店の女の子も邪険に扱う。

 映画好きのお絹も、別な店で「串本節」を歌って客にアピールしているが、あまり上手とはいえず、すぐに店員に追い出されてしまう。

 お染はカフェーで「佐渡おけさ」を歌っている。「いい娘だね、いっぺん歌わせてみようか」と客。喜ぶお染、しかし女給は「よしなさいよ、つまんない」と冷たい。それにめげずに三味線を弾き始めるお染。ところが別な女給が「佐渡おけさ」のレコードをかけて営業妨害。門付もレコードには敵わない。という時代の代わり様を描いたアイロニーでもある。悔しい表情のお染。

主題歌「浅草ブルース」とレビュー

 夜のひょうたん池、浅草公園から観む六区の夜景。モダンなジャズが流れる。ここはレビュー劇場、千枝子がステージに立っている。とはいえワンサガールの一人。メインの踊り子で歌い手は、P .C .L.のスター神田千鶴子。歌うは主題歌「浅草ブルース」

♪夜も更けたよ 浅草で
 流し三味線 流行歌(はやりうた)

 モダンな音楽とはいえ、スローテンポで、踊りももっさり、スタイルも抜群とはいえない女の子たち。これが当時の浅草レビューの水準でもある。ああ、これが川端康成が「浅草紅団」で描いたレビューの世界なのか!

 客席の男たちの何人かは黒いマスクをしている。それも時代を感じさせる。後ろで立ち見をしているのは、千枝子の恋人の青山。

 主題歌「浅草ブルース」はレコードでは藤田稔(灰田勝彦)が歌っている。ぐらもくらぶからリリースされたC D「ザッツ・ニッポン・キネマソング 1931-1940」(佐藤利明・監修・解説)に収録。そのライナーノーツを引用する。

川端康成の「浅草の姉妹」を原作に、浅草で門付芸人を母(林千歳)に持つ三姉妹、長女・おれん(細川ちか子)、次女・お染(堤眞佐子)、三女・千栄子、それぞれの生き方を、当時の浅草の風俗をたっぷりに取り入れながら描いている。脚色・監督は成瀬巳喜男。エノケンの第2次カジノフォーリーに参加していた梅園龍子演じる、三女の千栄子は浅草のレビューガールとなり、ステージで踊るのが「浅草ブルース」。ややもっさりとしたレビューガールたちのダンスに、川端康成が愛した浅草レビューを体感することができる。ポリドールから発売されたレコードではのちの灰田勝彦となる藤田稔が歌っている。

「ザッツ・ニッポン・キネマソング 1931-1940」
ライナーノーツ

出番が終わり、袖に戻った踊り子たち。「千枝ちゃん、近頃、朗らかに踊っているわ」「怪しいわ」「変だわ」と青山との関係を囃し立てる。「まあ、羨ましいわ」「奢ってもらわなくっちゃ」「いいわよ、奢ってあげてよ」「まぁ、達者ねぇ」。最後に女の子たちが口を揃えての「達者ねぇ」。当時の言葉の使い方がわかって、なるほど、である。ここで千枝子が「ラランララン」と口ずさむのは、ドイツ映画『会議は踊る』(1930年)の主題歌。

ミュージカル映画的モンタージュ

 その歌声が、そのまま翌朝のシーンとなり、千枝子は洋装で洗濯している。カメラがパンをすると、門付の女の子たちが、師匠である母親に稽古をつけられている。曲は「串本節」。それを垣根越しにのぞいていた近所の悪ガキたちが、真似をして「串本節」を歌い始める。その中の主犯格の腕白小僧を演じているのはP .C. L.映画でお馴染みの伊藤薫。『泣蟲小僧』(1938年・豊田四郎)はじめ、数多くの映画に出演。『ハワイマレー沖海戦』(1942年・東宝・山本嘉次郎)では、原節子の弟役でいわば主役の少年を演じていた。その後、応召されて戦死。まだ20歳の若さだった。

 子供たち歌い終わって「奢ってちょうだい」と手を差し出す。それに怒った千枝子が、バケツの水を子供たち浴びせて、箒を持って追いかける。まるで「サザエさん」。おまけに舌をペロリと出す。この梅園龍子が抜群に可愛い。

 子供たちも負けじと「おかっぱ頭!」「モダン、モダン、モダンガールのかぼちゃ!」とからかう。「モダン」が侮蔑語として使われていたとは!

「つまんない歌、唄うんじゃないよ、ろくなこと覚えやしないよ」と腕白小僧の母親。そのセリフを受けて、門付の母親が女の子たちに「どうして覚えないんだろう?」と積極。

「ろくなこと覚えやしないよ」→「どうして覚えないんだろう」のセリフつなぎの笑いとなる。この「串本節」が、近所の職人や主婦たちに次々と伝播して歌われる。いわばミュージカル映画的な演出で、そのモンタージュといい、ユーモラスな展開といい、成瀬のリズミカルな演出が味わえる。

 物語の中盤、お染が「門付稼業」をつくづく嫌になるシーン。酒場の酔客を演じているのが岸井明。横柄な態度で、セクハラまがいのことをする。門付も「売り物買い物」という傲慢な男である。揉みあいとなり、三味線が壊れてしまう。涙ぐみながらも毅然とした態度で男を突っぱねて、金を投げ返す。このシーンもなかなかいい。

松屋浅草デパートの屋上遊園地

 というわけで、ワンシーン、ワンショット、芝居も含めて丁寧な描写で、浅草に生きる女の子たちの日常が描かれる。物語は、楽団のピアニスト小柳(滝沢修)と一緒になるため、不良仲間と縁を切って、浅草を去った姉・おれん(細川ちか子)が、再び浅草に戻ってきたことから急展開する。

 彼女は、不良(三島雅夫、大友純)たちから逃れるため、郊外へ。恋人とアパート住まいをして楽しい日々を過ごすが、生活のため、小柳が慣れない工場仕事をして、結核をこじらして倒れてしまう。小柳の田舎で療養することを決意するも、汽車賃もなく、浅草で工面しようと戻ってきたのだ。

松屋屋上遊園地 ロープウェイが空を飛ぶ!
隅田公園からの松屋浅草 屋上にロープウェイの鉄柱とワイヤーが!

 松屋浅草の屋上遊園。もしかしたら姉さんに会えるのでは?とお染がやってくる。屋上はミニ動物園にもなっている。そしてロープウェイが行き交っている。屋上遊園地は都会の人々にとって最高のアミューズメントでもあった。

 その屋上で、姉妹が再会する。ベンチに座って、これまでのことを妹に語るおれん。回想シーンのアパート暮らしは、P. C .L.の美術によるセットで、セットに本当のアパートを組み上げ、ヒッチコックの『裏窓』(1954年)のように、窓から部屋の中が見えるようなしっかりした作りになっている。

 美術の久保一雄は、日活出身のベテランで、昭和3(1928)年のマルクス主義者が一斉検挙された「3.15事件」で検挙され、転向しないまま奈良刑務所を出所後、P.C.L.に入社。成瀬巳喜男をはじめ、山中貞雄『人情紙風船』(1935年)、エノケン映画の数々を手がけた。戦後は黒澤明『虎の尾を踏む男たち』(1945年)、『素晴らしき日曜日』(1947年)などを担当、フリーとなって山本薩夫作品の美術を晩年まで手がけてゆく。

 おれんとお染のこのシーンが味わい深い。小柳との生活について、おれんは「幸福だと思ったことはないけど、不幸だと思ったことはないわ」と、お染に話す。なかなかの名台詞である。

母親にお金を借りようにも、絶対に貸して紅だろうと、おれんは昔の不良仲間から借りるしかないと、危ない橋を渡る決意をする。おれんと小柳が、東北に旅立つのは翌晩、11時15分、上野発の青森行。お染は、千枝子と必ず見送りに行くと約束する。

クライマックスのサスペンス

 不良たちは、千枝子と付き合っている青山を強請ろうと、カフェーの商談室に、青山を呼び出す手引きをおれんにさせる。もちろん彼女は、末妹の恋人と知らずにである。おれんが青山を連れ出して部屋に入ったとき、向かいの料理屋の座敷に客(藤原釜足)と一緒に入ってきたお染は、窓からおれんと青山が一緒にいるのを目撃。不良たちが青山を脅かしているのをみて、お染はカフェーへ。

 このあたりの空間のパースペクティブも、久保一雄の美術の素晴らしさが味わえる。ステージの中に建物を作り込んで、向かいの部屋の芝居をロングで撮影している。なので、藤原釜足はセリフもなく、ロングショットのリアクションだけ。

 そこで不良と揉みあいになり、お染は腹をナイフで刺されてしまう。おれんは一足先に店を出て、そのまま上野駅へ。刺されても気丈に振る舞うお染は、青山に「千枝ちゃんが待っている」と促す。

 この辺りのサスペンスはなかなか緊迫感がある。青山が医者を呼びに行っている間に、お染は円タクで、上野駅へ。この映画で初めて(おれんの回想シーン以外では)キャメラが浅草を出て上野駅のシークエンスとなる。この上野駅ロケーションも貴重な映像記録となっている。浅草口、そして待合室。ロケーションとセットを巧みに使っている。何事もなかったのかのように、姉とその恋人を見送るお染。時折苦悶の表情を見せながらも、気丈に振る舞う。堤眞佐子のベストアクトの一つだろう。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。