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『青べか物語』(1962年・川島雄三)

 山本周五郎が昭和35(1960)年に発表した「青べか物語」は、千葉県浦安市が舞台の風俗小説。「貝と海苔と釣り場で知られる根戸川の下流にある漁師町、浦粕町」にふらりと現れた作家の私を通して、愛すべき奇妙な地元の住人たちの人間模様を描いて、発表当時「事実か否か」の論争も起きたという私小説でもある。山本周五郎は、大正15年から昭和4年にかけて、実際に浦安で暮らしていて、東京にほど近いが、独特の文化を持つ浦安の人々との日々をベースに描いている。

 それから30年後、月刊文藝春秋に連載されたのが「青べか物語」。根戸川(江戸川)の下流にある、漁師町・浦粕(浦安)にやってきた「私」が、「沖の100万坪」と呼ばれる風景が気に入って、この町に住みつく。言葉巧みにボロ舟を買わされ「青べか」と名付けて釣りをする日々。地元の人たちから「蒸気河岸の先生」と呼ばれて、愛されてゆく。貧しくも素朴、常識外れの人々の行動を「私」の目を通して描いた30の短いエピソードからなる。

 ちなみに「べか舟」とは「一人乗りの平底舟で、多く貝や海苔採りに使われ」ていると本文にある。昭和初期のエピソードを綴りながら「30年後の章」では、戦後の開発で浦安の光景も大きく変わり、日本人は自らの手で国土を破壊し「汚濁させ廃滅させている」と、スクラップ・アンド・ビルドを嘆いている。

 この小説の持つ「奇妙な味わい」を、川島雄三監督が映画化したのが『青べか物語』。当方傍系の東京映画で「駅前シリーズ」を手掛けていた佐藤一郎と椎野英之プロデューサーが企画。新藤兼人が脚色した。昭和37(1962)年6月28日、宝塚映画製作、司葉子主演『夜の傾斜』(内川清一郎)と二本立て公開された。

 先生(森繁久彌)は小説家。トランク一つで、ふらりと浦粕に住みついている。オープニング、ヘリコプターによる空撮で、昭和37年の千葉県浦安、東京湾の姿が活写され、森繁のナレーションが流れる。この空撮シーンは、キャメラの岡崎宏三さんによれば、川島雄三自らがヘリコプターに乗り込んで撮影。ファインダーを覗きながら、上空で「のめり込むように」身を乗り出して、キャメラを回す岡崎はヒヤヒヤしたという。この時の様子を撮影した8ミリフィルムを岡崎さんに見せて頂いたことがある。

 タイトルバック明け、喧騒の寿司屋で、主人(丘寵児)と小僧(竹田昭二)と先生のやりとり。カウンターの横で気炎をあげている、登山帽の女の子を演じているのは旭ルリ。「駅前シリーズ」でもお馴染みの女優で、森繁のお気に入り。昭和40年代の「社長シリーズ」にも芸者役で顔を出している。

 その先生が間借りしているのが、堤防に程近い、増さん(山茶花究)のしもた屋の二階。怖い顔をしている増さんだが、根はやさしく、足の悪い女房・きみの(乙羽信子)のために、すべての家事をしている。きみのが貝剥きをして生活の足しにしているが、彼女はほとんど口を聞かない。

 奇妙な人物といえば、理髪店・浦粕軒に集まる人々。主人はエノケン一座の中村是好。消防団の助平親父・わに久(加藤武)、五色揚げの惣菜屋・勘六(桂小金治)、芳爺さん(東野英治郎)たちが、連日集まってワイワイやっている。この町の噂は、すべてこのオヤジたちから発信される。エネルギッシュで下世話なコミュニティである。

 山田洋次監督の『馬鹿が戦車でやって来る』(1964年)で、渡辺篤を中心に村の連中がワイワイ集まる理髪店が登場するが、この『青べか物語』の影響も大きいだろう。山田監督はテレビ「男はつらいよ」の舞台をどこにするか? とシナリオハンティングしたときに、真っ先に思いついたのが『青べか物語』の浦安だった。昭和43(1968)年のことである。実際に現場に行くと、山本周五郎が昭和35年に「30年後の章」で嘆いたように、再開発が進行して、騒然として「寅さんの故郷」となならず、江戸川を上った葛飾柴又が舞台となった。

 昭和45年8月公開の第5作『男はつらいよ 望郷篇』では、寅さんが浦安の豆腐店で住み込みで働くこととなる。ちょうど『青べか物語』の浦粕軒のあった通りのすぐ近くに、寅さんの意中のマドンナ・節子(長山藍子)の豆腐店・三七十屋(みなとや)がある。そういえば、寅さんの恋敵・剛を演じた井川久佐志は、『青べか物語』で浦粕軒に出入りするチンピラ・倉なあこを演じて、「ごったく屋」の酌婦・おせいちゃん(左幸子)と心中騒動を起こす。

 「ごったく屋」のおかみは都家かつ江。おせいちゃんと朋輩のおきんちゃん(紅美恵子)とおかっちゃん(冨永美沙子)の三人組のかしましさ。冨永美沙子といえば、久世光彦演出のTBS水曜劇場「時間ですよ」の松の湯の常連の奥さんを演じるが、そのかしましい感じのルーツはこの『青べか物語』にあるような気がする。

 さて、そのおせいちゃんは、先生にご執心で、深夜に下宿に押し掛けたりと猛アタックをする。「女心がわからないようじゃ、ろくな小説家じゃない」などと、なかなか手厳しい。『幕末太陽傳』(1957年)で川島映画のエネルギッシュなヒロインを演じた左幸子だが、このおせいちゃんもなかなか良いキャラクターである。

 おせいちゃんのような酌婦に惚れて、「五色揚げ」の勘六が身請けしたのが女房・あさ子(市原悦子)。気弱で嫉妬深い勘六を尻に敷きながら、したたかに生きている。そのエネルギー!

 賑やかなエピソードのなかで、印象的なのが、左卜全演じる蒸気船の老船長。退職金代わりにもらった「第17號」で一人暮らしをしているが、船乗りらしく身綺麗にしている。ある晩、先生に老船長が語る初恋のエピソード。一つ年下のおあきちゃん(桜井浩子)と、結ばれなかった恋の話。彼女が結婚して、子供が生まれても、「第17號」のエンジンの音がすると土手を走ってきて手を振ってくれる。その健気な姿。東宝スリーチャッピーズで売り出していたハイティーンの桜井浩子が、セリフが一つもないが、おあきちゃんの心情を見事に表現している。その顛末も含めて、心あたたまるエピソードである。

 やはりスリーチャッピーズの南弘子が演じたホームレスの少女・繁あねのエピソードも切ない。母・お定(丹阿弥谷津子)が、繁あねと乳飲み子の妹を置いて男と出奔。父親は亡くなり、繁あねは「女乞食」となって浦粕で赤ん坊と暮らしている。先生は、彼女にカツ丼を奢ったり、優しく接している。なぜ、彼女がホームレスになったのか、お定が帰ってきてからその理由が判明する。彼女の気持ちを考えるとあまりにも切なく、辛いエピソードである。

 日活を辞めた川島雄三を追って、移籍したフランキー堺は、東宝や東京映画の川島作品の顔であり、大映の『女は二度生まれる』(1962年)にもゲスト出演しているが、本作でも「みその雑貨店」の五郎ちゃん役で特別出演。母(千石規子)が何もかも決めているマザコンのドラ息子・五郎ちゃんが待望のお嫁さんを貰う。新妻(中村メイコ)は、母親の喪が開けるまでと、指一本触れさせない。寝床の周りに怪しげな砂を撒き、結界をつくり「この中に入るな」と言う。若さをもてあまして、悶々とする五郎ちゃん。で、喪が開けたかと思ったら、花嫁さん、実家に帰ると言い残して、恋人と出奔してしまう。

 五郎の嫁がなぜ逃げたか? 浦粕軒のオヤジ連中は、五郎が不能ではないかと邪推。それがたちまち噂となる。怒った五郎の母が北海道まで行って見つけてきた、次の花嫁(池内淳子)が大当たり、仲睦まじい夫婦となる。その五郎の「不能」疑惑の根拠となるのが、「みその雑貨店」の広告の吹き流し、最初はグニャリとして「おっ立たない」が、次の花嫁がきたとたんにシャンとなる。艶笑落語のようなおかしさ。川島雄三の戯作精神が楽しい。

 こうした悲喜交々のエピソードがオムニバス的に重なり、浦粕の愛すべき人々に、観客も不思議な親近感を覚えてゆく。「駅前シリーズ」のように猥雑でエネルギッシュだが、どこかクールで淡々として、それが変わりゆく街と時代への哀惜ともなっている。

今回、知人のご厚意でHD放送されたリマスター版で観せていただいたが、岡崎宏三のキャメラの素晴らしさに唸らされた。風景ということでは、先生が「青べか」で寝ている間に干潮となり、干上がった貝の漁場に漂着。すると、変な歩き方をしている男(小池朝雄)を監視人(名古屋章)が見とがめて、追いかける。足が悪い人かと思ったら、東京から来た貝盗人で、小池朝雄を猛スピードで追っかける名古屋章。新劇の二人がバイプレイヤーとして映画やドラマで活躍するようになる少し前だが、エネルギッシュでおかしい。

 また、池野成の音楽の「冷たさ」が、先生のぺシミティックな視点でもあり、ひんやりした味わいに「死の匂い」を感じる人もいるだろう。後期、川島映画に通底するこの「冷たさ」は、決してシニカルなものではなく、酔い覚ましの「冷たい水」みたいで心地よいのである。



 
 

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