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『東京流れ者』(1966年・鈴木清順)


 『東京流れ者』は1966(昭和41)年4月10日に封切られた。「渡哲也を売り出す」ための、歌謡アクションとして企画されたもの。渡哲也は1965(昭和40)年の『あばれ騎士道』(小杉勇)でデビュー、『泣かせるぜ』(1965年松尾昭典)、『赤い谷間の決闘』(1965年舛田利雄)で石原裕次郎とコンビを組み、高橋英樹に続く新アクションスターと目されていた。原作と脚本は、1959 (昭和34)年、『二連銃の鉄』(阿部豊)、『南国土佐を後にして』(齋藤武市)で、小林旭のイメージを醸成させ、そのものズバリ「銀座旋風児」シリーズで、それまでニックネームだったマイトガイのヒーロー化を成功させた立役者の川内康範。

 主題歌「東京流れ者」は、渡のオリジナルではなく、もとは「蔵王の山男」として若者に親しまれていた伝承歌。それを1965年に竹越ひろ子が「東京流れもの」(作詩:永井ひろし、採譜:桜田誠一)として歌ってヒットしていた。映画用に新たに作詩したのが、川内夫人の川内和子、採譜は叶弦大。これを主題歌として、かつて小林旭が主演していた「流れ者」再びということで企画された。プレスシートにも「流れ者シリーズ」第一弾と銘記されている。

 これが齋藤武市監督や、山崎徳次郎監督、または清順監督の師匠・野口博志(後の晴康)監督であれば、歌ありアクションあり、日活ではおなじみの無国籍アクションとして完成したと思われるが、清順監督にオファーが来たところで、映画史上に残る不思議な傑作となった。この頃、清順監督は美術の木村威夫と名コンビで、プログラムピクチャーの企画ものを、独自の清順美学で次々と「作家の映画」に仕上げていた。この『東京流れ者』も、監督から撮影台本を拝見させて頂いたが、川内脚本をベースにしながら、自由奔放に自身の作品に置き換えて行くプロセスが、監督による書き込みから伺える。

 まず当初のキャスティング。松原智恵子が演じた千春には、園まり。二谷英明の流れ星の健こと相沢健次には、なんと初代「流れ者」小林旭が予定されている。グリーンのジャンパーで色分けされた健の登場シーンは、「男のエレジー」の歌から始まる。雪原で、悪漢たちと派手なアクションを繰り広げるのだが、「流れ者」には歌がつきものという、かつての日活アクションが産み出したパターンを踏襲しているだけでなく、本家「流れ者」が登場していたら? と、想像するのは楽しい。

 台本の冒頭に「望遠レンズ、赤ペンキ、赤いポスト、ライト、提灯の電球、窓の雪」というメモがある。これは木村威夫と新潟ロケの打ち合わせの際に記されたもので、アル中の殺し屋・まむしの辰(川地民夫)が雪原で立ちよる赤提灯や、白い雪の中の赤いポストとして登場する。監督と木村威夫は「流れ者は、虚しい枯れ木のような存在である」と位置づけ、それが時折インサートされる枯れ木となった。哲の虚しさを、折り目正しい「淡い空色」のスーツに託し、それぞれのキャラクターの色は役柄から決めて行ったという。

 清順監督は歌謡アクションということで、とにかく主題歌をどこまで入れることが出来るか? ということに腐心し、それまでの歌謡映画の常識を軽々と越えてしまった。歌のシーンひとつひとつに工夫が凝らされている。クラブ「アルル」で千春が歌ったり、哲とデュエットで歌う。さらに川地民夫の殺し屋・まむしの辰との対決前、自動車解体工場で、鉄の車をスクラップにする場面に延々と流れる。庄内の出入りで、助っ人として参加する哲が人工的な雪道で「東京流れ者」を歌いながら歩いて来る。本来ならば、歌はイメージの中で歌わせるという扱いだが、哲の歌声が出入り現場にも聞こえて来る。この映画における歌は、イメージではなく現実として使われている。これはミュージカル的手法。

 当時の風俗も時代の記録として楽しめる。睦子(浜川智子)が夢中になっているのは「週刊少年サンデー」連載の「オバケのQ太郎」。大塚(江角英明)たちのアジトがある、ジャズ喫茶マンホール(台本では音楽喫茶マドンナ)は、表参道と明治通りの交差点にあった福禄寿飯店の隣にある。そこで流れているのは、ザ・スパイダースの「フリフリ」。哲が「佐々一夫の“ハートを握りしめろ”」というGS曲は、『河内カルメン』で歌手時代の曽根幸明が藤原伸という芸名で歌っていた「燃える恋の炎」という曲。なお、千春がクライマックスで大塚に歌うことを強要される曲が「ブルーナイト・イン・アカサカ」。『不死身なあいつ』(1967年)で、浅丘ルリ子が東京ロマンチカをバックに歌っている。

 冒頭のモノクロシーン、庄内の日本家屋を使ったアクション。佐世保のキャバレーでのスラップスティックと屋台崩し。シーンごとのテイストも異なる。白いキャバレーで大塚一味と対峙するクライマックスは、清順監督独自の演出プランで作られた。照明をはじめとするスタッフの充実ぶり。特筆すべきは、峰重義のキャメラの素晴しさ。映画は主題歌で終るが、実際には地上に横たわる枯れ木の真っ赤な切り株と、空に昇る緑の月のなかに、哲が佇むシーンが撮影されている。しかし、ラッシュを見た上層部がカットを指示。幻となった。

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