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帰去来〜さまざまな出逢い、さまざまな人生…『男はつらいよ 寅次郎紙風船』(1981年12月29日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年10月14日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第28作『寅次郎紙風船』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品をご紹介します。(期間限定)

 寅さんは旅先で、様々な人と出逢い、ひととき過ごして、別れ行きます。出逢いの数だけ人生があります。寅さんがタンカ売で、運命判断を得意としているのは、様々な人生に触れることが多いからかもしれません。第二十八作『寅次郎紙風船』で、寅さんは二人の対称的な女性と出逢います。彼女たちからすれば、人生の一番大事なとき、辛いときに、関わった男性が、寅さんと思っているかもしれません。

 晩秋のある日、九州は大分県の夜明(よあけ)という美しい名前の町の商人宿で、寅さんは、ある女性と相部屋となります。色っぽい年増だとドキドキの展開となりますが、現れたのは年の頃は十七、八の、ちょっと虚勢は張っているけど、まだあどけなさが残る女の子。

 名前は小田島愛子(岸本加世子)。焼津の漁師の娘で、腹違いの兄がマグロ漁船に乗って遠洋漁業で外洋に出ており、恋多き母親に反発して、高校を休学して家出中です。

  寅さんは若い時に、家を出てフーテン暮らしをしていた頃、寂しい思いをさせた妹・さくらと、愛子を重ね合わせたのかもしれません。愛子のノリに辟易しながらも、彼女の抱えている屈託を、寄り添うことで、少しでも軽くしてやりたいと思ったのでしょう。寅さんを慕う愛子を無碍にするわけにもいかず、一緒に九州路を旅します。

 愛子はさくらであり、同時に十六歳の時に父親と大げんかして、柴又を後にした寅さんそのものなのです。シリーズ初期に、寅さんを「兄貴」と慕って、旅を共にした舎弟・川又登(津坂匡章)の頃のように、愛子と旅を続けます。

 ある日、福岡県久留米市の久留米水天宮の縁日で、寅さんが愛子をサクラにバッグをタンカ売していると、向かいのタコ焼きの屋台を切り盛りしている、威勢の良い女性から声をかけられます。彼女は、寅さんのテキヤ仲間“カラスの常三郎”(小沢昭一)の女房・倉富光枝(音無美紀子)。常三郎が病を得て入院していると聞いた寅さんは、福岡県甘木市秋月にある常三郎の家を訪ねます。飲む打つ買うの三拍子の常三郎は、往時の威勢はどこへやら、病で臥せっています。

  第三作『フーテンの寅』、第五作『望郷篇』、そして第二十六作『寅次郎かもめ歌』と、しばしば、寅さんの仲間であるテキヤの哀れな末路が描かれています。同業者の先輩、世話になった親分、仲間の死… 。浮草暮らしのフーテン稼業は、自由気ままだけれど、家庭を得ても、家族まで不幸にしてしまう。その代償は大きい。そんな人生の皮肉を描いています。その時、寅さんの胸に去来する思いを、ぼくらは映画を観ながら考えてしまいます。

  博多の旅館の美人女中・光枝に肩入れして、仲間と張り合って、女房にした話。若い女房が自分の死後、他の男に抱かれることを想像するだけでも辛いとの本音を語る常三郎。寅さんに「万一オレが死んだらくさ、あいつば女房にしてやってくれんと」と言い出します。ここは名優・小沢昭一さんの独壇場です。常三郎の話を、やさしく受け止める寅さん。渥美さんの優しいリアクションも素晴らしいです。

 その後、寅さんが部屋を見渡すショットがあります。ゆっくりと動くキャメラが映す、二人の暮らし。決して裕福とはいえない、テキヤの暮らし。おそらくは入院費もかさみ、光枝の苦労は大変なものだったことがわかります。

 そんな常三郎にも、大志を抱いていて勉強をしていた少年時代があった、それを感じさせてくれるのが、部屋に貼ってある北原白秋「帰去来」の拓本です。

山門は我が産土、
雲騰る南風のまほら、
飛ばまし、今一度。
筑紫よ、かく呼ばへば 戀ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。
盲ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、
籠飼や水かげろふ。
帰らなむ、いざ鵲かの空や櫨のたむろ、
待つらむぞ今一度。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

 昭和三(一九三〇)年、北原白秋が二十年振りに故郷、柳川に帰省します。二十歳で父親に内緒で上京して以来のことです。その時のことを想い、晩年ほとんど視力を失っていた白秋が、昭和十六(一九四一)年、最後の帰省をした時に、書いたのがこの「帰去来」です。

この詩は、旅の暮らしを続ける寅さんの心情でもあり、カラスの常の故郷への想い、人生への想いでもあります。山田監督のお父さんが亡くなられたときに、寝室の壁にこの詩が貼ってあったそうです。この作品では、さまざまな望郷の想いが去来します。

一口で「極道亭主」といえばそれまでですが、常三郎の人生、それを支えた光枝の人生が『寅次郎紙風船』には垣間見えます。この後、フーテンを気取っている愛子に、寅さんが「お前のおかげで楽しい旅だったけど、いつまでも続けるわけにはいかねえ。おまえは焼津に帰れ。俺も故郷に帰る」と置き手紙を残して去っていきます。

 この後の愛子、光枝との出逢い、カラスの常の死、光枝への想い。生業について寅さんは考え、真剣に就職を考えます。それは、常三郎の遺言である、光枝との結婚を考えてのことですが、この作品は、懸命に生きる人々のさまざまな人生が、見事に交錯して、観客であるわれわれに深い印象を残します。人生って何だろう? と。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください








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