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『緑はるかに』(1955年・井上梅次)

 1953(昭和28)年、製作再開を表明した日活は、東京郊外の調布市布田の広大な敷地に白亜の撮影所を建設。翌、1954(昭和29)年6月には、製作再開第一回作品として、千葉泰樹監督の『かくて夢あり』と、新国劇提携作品『国定忠治』を公開。「信用ある日活映画」のキャッチフレーズで、数々の作品を送り出すこととなる。

 そうしたなか、1954年夏に、製作がアナウンスされたのが、日活としては初のカラー作品となる『緑はるかに』だった。読売新聞に連載された北条誠のジュブナイル小説を水の江滝子がプロデュース、新鋭・井上梅次監督が映画化。ヴィジュアル面では1954年に「ジュニアそれいゆ」を創刊したばかりの画家でファッションデザイナーの中原淳一が参加することとなった。まさしく鳴り物入りの企画だった。

 そして何より話題となったのが、ヒロインのルリ子役の一般公募だった。都内の中学校に通う少女・浅井信子は、父の知り合いのピアノ教師から「受けてみませんか?」と進められて応募、友人のセーラー服を借りて面接に出かけた。三つ編みにリボンのごく普通の中学生だった信子は、最終的に7名の候補者の一人となった。2500人の応募者の中から、書類審査で20名が選ばれ、最終審査で残ったのが7名。斉藤みゆき(桑野みゆき・12歳)、山東昭子(10歳)、高城瑛子(滝瑛子・10歳)、田村まゆみ(田村奈己・12歳)、味田洋子(榊ひろみ・13歳)、久保田紀子(15歳)、そして浅井信子(15歳)だった。

 11月23日の最終選考は、井上梅次、北条誠、中原淳一らの前でのキャメラテストだったが、その前に、中原は信子の前髪を切りショートカットにしたという。最終的に、後に大映の女優となる久保田紀子と浅井信子に絞られ、見事信子が主役の座を勝ち得ることとなる。

 芸名は役柄のイメージにピッタリだからと、中原淳一によってルリ子と名付けられ、名字は井上梅次が本名の浅井から一文字をとって浅丘となった。日本を代表する女優として、以後60年ものキャリアを重ねてゆくこととなる、浅丘ルリ子の誕生の瞬間である。

 クランクイン前に、新聞や雑誌に『緑はるかに』の主演の女の子ということで、大々的に報じられ、ファンレターがぞくぞく届いたという。その差出人には、のちの坂本九や岩下志麻がいたと、浅丘ルリ子さんから伺った。

 物語はジュブナイルらしく、ごくシンプル。ルリ子の父・キムラ(高田稔)が、国際スパイ団に拉致されて、とある研究を強いられるが、その研究を破棄してしまう。なんとかその秘密を聞き出すため、スパイ団のボス(植村謙二郎)がルリ子と母(藤代鮎子)を奥多摩の秘密基地へ拉致してしまう。

 この奥多摩の秘密基地のイメージがなかなか素晴らしい。吊り橋を渡って洞窟にしつらえられたエレベーターで基地へと入ってゆくのだが、後の007シリーズでの敵の基地のようなイマジネーションに溢れている。

 スパイ団の子分の“大入道”にジャズピアニストでコメディアンの市村俊幸、相棒の“ビッコ”に戦前からの人気漫才“並木一路・内海突破”で一世を風靡した芸達者の内海突破。この凸凹コンビが、秘密基地から、秘密の鍵を握るオルゴールを抱いて逃げ出したルリ子と、途中で知り合う孤児たちを追っかけることになる。奥多摩から東京へと旅を続ける子供たち。

 途中、ユニオンサーカス団のピエロが歌って踊るが、演じているのは、昭和20年代のジャズ・ブームに颯爽と登場した天才的ドラマー、フランキー堺。この頃、フランキー堺とシティ・スリッカーズを率いてコミカルな演奏で大人気だった。水の江滝子第一回プロデュース作品『初恋カナリア娘』(1955年)で日活映画に初出演。芸達者なところを見せてくれる。

 芸達者といえば銀座の骨董店・大雅堂の主人を演じているのが、舞台、映画で大活躍をすることになる天性のコメディアン・有島一郎。映画界に入ってほどなくだが、その抜群の動きやリアクション芸がここでも味わえる。

 さて、井上梅次監督は、当時公開されたばかりのハリウッド映画『オズの魔法使』(1939年・公開は53年)にインスパイアされて、孤独なルリ子がイメージする“星の世界”を、音楽ファンタジーとして描くこととした。新東宝時代に、雪村いづみの『娘十六ジャズ祭』や『東京シンデレラ娘』といった和製ミュージカルを手掛け「日本にもミュージカル映画を」と、強い意思を持っていた井上監督らしいレビューシーンが随所に用意されている。

 その“星の世界”のレビューシーンには、貝谷バレー団、岡本八重子舞踏研究所、大橋豊子舞踏研究所の生徒たちが賛助出演。“月の王子様”には岡田真澄、“月の王女様”を後に新東宝へ移籍する遠山幸子が演じている。そして大団円の“星の世界”のダンスで白鳥として踊るのは、NDT(日劇ダンシングチーム)出身の北原三枝。そのパートナーには舞踏家、振付師として活躍する松原貞夫。

 主題歌「緑はるかに」(作詞・西条八十 作曲・米山正夫)は、タイトルバックと劇中川を下りながらルリ子たちがオルゴールを探すシーンに流れる。歌っているのは、劇中のルリ子の声の吹替えも担当している童謡歌手の安田祥子と河野ヨシユキ。安田祥子は“雪の精”として本編にも出演している。

 さて日活初のカラー作品として製作された本作であるが、国産のコニ・カラーシステム(青・赤・緑の三本のフィルムを同時に回して撮影)で製作されたが、長年モノクロプリントしか観ることが出来なかった。1993年、国立近代美術館フィルムセンターにより、三原色(赤・青・黄)のオリジナルネガから、カラーのマスター・ポジを作成してカラープリントを復元。1995年秋のフィルムセンターでの上映には、井上梅次監督も出席された。筆者もご一緒させて頂いたのだが、井上監督は「本当に良かった」と目を細めて喜んでおられた。

 日本を代表する女優・浅丘ルリ子のキャリアのスタートにして、日活娯楽映画の原点ともいうべき『緑はるかに』は、昭和30年代のこどもたちへ、映画人たちがこめた数々の“夢”が凝縮されている。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。