見出し画像

『花籠の歌』(1937年1月14日・松竹大船・五所平之助)

五所平之助監督『花籠の歌』(1937年1月14日・松竹大船)は、銀座映画でもある。田中絹代、佐野周二、笠智衆、そして徳大寺伸たちの青春群像(笑)昭和12年のおっとりとした空気のなか、微苦笑のコメディが展開される。

田中絹代の妹・浜役に高峰秀子。横浜で生まれたから「浜子」。出番は少ないので、ひょっとしたら欠落部分で活躍シーンがあるのかもしれない。原作は岩崎文隆「豚と看板娘」。成瀬巳喜男の『禍福』(1937年・PCL)の原作者である。脚色は野田高梧と五所亭。監督クレジットは《平之助ごしょ》である。

銀座、三原橋にほど近いとんかつ屋「港屋」の看板娘・森洋子(田中絹代)は、雑誌のグラビアに出るほどの銀座小町。親父は外国航路のコックを長らく勤めていた敬造(河村黎吉)。とんかつを揚げているコックは、中国出身のエリート・李さん(徳大寺伸)。カタコトの日本語だけど、西條八十を敬愛していて作詞家修行もしている。日中親善、という意味もあるのだろうけど。

この徳大寺伸がなかなかいい。彼は田中絹代にぞっこんだが、絹代は店に通ってくる大学生・小野進(佐野周二)と将来の約束をしている。しかし就職難の時代、前途は多難である。その親友・堀田念海(笠智衆)は坊主の倅で、卒業後は寺を継ぐので悠然としている。

ほとんどセットで展開されるのだけど、時折インサートされる銀座四丁目の服部時計店や、三十間堀、洋子たちが住んでいる木挽町(あたり)のアパートの周辺。築地川、三吉橋などのショットが時層探検家にはご馳走。ちなみに洋子の名前は、父・敬三が外国航路のコックをしているとき、シンガポールで生まれたので洋行中だから「洋子」。

そんな洋子に、おばさん・お菊(岡村文子)と亭主・富太郎(谷麗光)が縁談を持ちかけるが、これが店に通ってくる、いけすかないキザな医学生。河村黎吉は、絹代の気持ちを尊重して、就職先のない佐野周二に「港屋」の調理場で婿修行をさせる。

面白くないのは李さん。失恋した彼が佇むのは、外濠川の山下橋の下。画家が絵を描いていたりするので、橋の下に降りることができた。その李さんに密かに惚れていたのが「港屋」の女中・おてる。演じるは出雲八重子。

この橋の下から、数寄屋橋、朝日新聞社を望むショットがなかなかいい。『ゴジラ-1.0』で浜辺美波が省電から落下するポイントである。

で、李さんは失意のまま、店を辞めてしまう。このシーンがなかなかい。念海、洋子たちと別れのビールで乾杯。去っていくもの、残るものの哀感。五所平之助ならではの風情である。

で、小野進が住み込みで「港屋」で働くも、人気のコックが退店してしまい、店は閑古鳥。そんなある日、刑事(斎藤達雄)が店に現れて、小野を連行してしまう。何があったのか?

色々あってラスト。李さんから、洋子のために作詞した歌詞「花籠の歌」が送られてくる。つまり本作の主題歌である。西條八十に憧れていた李さんはついに西條八十として作詞をしてしまう!(笑)

店には客が来ないけど、敬造はポジティブだ。「今は、ダメだけど、四年後、四年後にすき焼きだ」「すき焼きは儲かるぞ!」とニコニコ。四年後とは、1940年に開催が決定していた、幻の「東京オリンピック」のこと。そのインバウンド需要を見越して、敬造、小野、洋子の三人はニコニコのエンディングを迎える。

あー、でもそのオリンピック、この年に勃発する日中戦争の戦費が嵩んで中止になってしまうのに〜と、時の旅人である、未来からやってきた娯楽映画研究家は、ついスクリーンの三人に話しかけたくなって…

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。