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『飢える魂』『続飢える魂』(1956年)

通俗映画のなかの川島雄三スタイル

 川島雄三にとって日活での七本目と八本目となる『飢える魂』が公開されたのが、昭和31(1956)年10月31日、『続 飢える魂』は11月28日。この年、川島は『風船』(2月19日)、『洲崎パラダイス赤信号』(7月31日)、『わが町』(8月18日)と、例によってハイペースで作品を発表。今村昌平、浦山桐郎らの助監督たちからの信も厚く、松竹のプログラムピクチャー時代から、日活での映画作家としての作品評価が識者の間にも高まっていた。そんななか、丹羽文雄が日経新聞に連載し、ラジオドラマとして民放で放送されていたメロドラマ「飢える魂」を、川島が映画化するということに、今村たち助監督には大きな抵抗があったようだ。

 助監督室で、この企画が発表されたときに、今村、浦山、そして遠藤三郎ら助監督たちは「なぜ、川島監督が?」という思いになり、抗議をしたという。それに対して川島は、松竹時代同様に「生活のためです」というスタイルを崩さなかったという。とはいえ、製作は坂上静翁。全国ロケーションを敢行した前後篇として、日活としては鳴り物入りで作られた大作映画である。ちなみに正続は二本撮りではなく、それぞれ撮影されたという。

 原作者・丹羽文雄は、文化人としても知られる作家で、日経新聞に連載された「飢える魂」は、人妻の不倫と魂の崇高さを描いた小説。十年ほど前、渡辺淳一の「失楽園」が映画やドラマ化され、ちょっとした「不倫」ブームがメディアを賑わしたが、日経新聞に連載されラジオドラマとなり、映画化された『飢える魂』は、ムーブメントとしては『失楽園』の遥かなるルーツともいえる。タイトルバックに流れる主題歌「心の小雨」(コロムビア・ローズ)や、ラジオドラマを放送している民放のネットワーク表記は、この時代を感じさせる。

 脚本は、松竹時代から川島の盟友である柳沢類寿。日活での第一作『愛のお荷物』からもコンビを組んでいる。準備に時間をかけることで知られた川島組だったが、この『飢える魂』は、ラジオなどのタイアップ事情などもあり、公開日がすでにフィックスされており、満足な時間がなく、ロケハンなどすべてのスケジュール管理が厳しかったという。そこで活躍したのが、松竹時代から川島組の現場を統括していた助監督の今村昌平。全国各地でのロケーションの準備から、細かい段取りまで、すべて今村が組んで行った。助監督だった遠藤三郎監督のインタビューでも述懐されているが、伝説の二泊六日ロケはこの『飢える魂』前後篇のときだという。

 撮影・高村倉太郎、美術・中村公彦、録音・橋本文雄という日活での川島組常連スタッフによる手堅いサポート。やはり川島組常連の三橋達也を主役に迎え、年上の暴君的な夫と若き実業家・立花烈との間に揺れ動く、女ざかりのヒロイン・芝令子に南田洋子。三橋と南田の恋愛を軸に、10年前に夫を失って女ざかりを子育てと仕事に費やして来た大河内まゆみ(轟夕起子)と、夫の友人であり彼女のよき理解者である下妻雅治(大坂志郎)の心と肉体の葛藤を描いている。この二組の不倫関係を平行して描きながら、それぞれの家族たちのドラマが綴られてゆく。

 三橋が演じる立花は、令子の夫・芝直吉(小杉勇)のビジネス上のライバルであるが、男尊女卑を標榜しパワフルな暴君である直吉から、令子を解放したいと思い、直接的な行動に出る。令子の守護天使のように、日本全国どこへでも現れる。現在ではストーカーとも見えてしまう立花烈の行為は、当時は純愛というかたちで受け止められていた。

 そうした魂の葛藤を描くドラマの部分と、松竹の『君の名は』(1958年)あたりから成立した、全国各地ロケーションをしながらの観光タイアップ、そして通俗描写の数々。『君の名は』はすれ違いのメロドラマだったが、こちらは全国各地で立花烈と芝令子が一緒になる。その描写もきわめて通俗的である。特に伊勢志摩の賢島の洞窟温泉で、令子が入浴していると、隣の風呂に烈がいるという展開は、今村、浦山たちの抵抗も納得できるが、だからといってあからさまな失敗作であるというわけではない。

 特に、令子の夫・直吉を演じたベテラン・小杉勇の暴君ぶりは、この俳優の力量なくしては成立しないだろう。ムシャムシャと肉を喰らい、湯上がりの妻に欲情を覚えて、相手の気持ちなどおかまいなしで、妻を抱こうとする。宴会での乱れぶり、昔なじみの芸者との痴態・・・それが時として愛すべき人間に見えてしまうのは、川島のこの通俗的なメロドラマでの監督としての落としどころが小杉勇だったのでは? ともとれる。

 同様に、轟夕起子の肉感的な存在感も素晴しい。ビジネスパートナーだけでなく、女性としてもどこか大坂志郎を求めながら、立場上、彼の誘いを拒み続けていく前半。前篇のラスト近くで、ついに二人が結ばれ、その翌朝のイキイキとした感じ。脂粉の匂う中年女性の艶かしさは、この映画のなかでもひと際、目立っている。この轟夕起子の年増ぶりは、『洲崎パラダイス 赤信号』の出奔した夫を待つ飲み屋の女将や、『グラマ島の誘惑』(59年)で桂小金治を追い回す年増の娼婦など、川島映画の味でもある。

 また、立花烈に恋いこがれている銀座のホステス・泉谷のり子を演じた渡辺美佐子も切ない。ひたむきに、肉体も心も烈に捧げようとするが、それが叶わずに悪態をつく。こうした夜の女性の儚さは、川島雄三が好んでとりあげているもので、『風船』でやはり三橋達也に尽くしながら裏切られる新珠三千代。『女は二度生まれる』(61年)の若尾文子、『花影』(61年)の池内淳子へと継承されていく。『続 飢える魂』のラスト近く、自身の感情を烈にぶつけるのり子の健気な思い。「叶うことのない愛」が通底している二部作のなかで、強い印象を受ける。

 通俗的といえば、随所に見られる観光描写もさることながら、前編で「高いところがお好きなんですね」とタワーに登った烈に令子が話しかけるシーンが、後篇の日本テレビ塔のシーンへとリンクしている。烈という人は、結構「お昇りさん」と見受けられる。ここに登場するNTVのテレビ塔は、昭和33年の東京タワーまで、東京随一の高層建築だった。そこから見える夜景や。『続 飢える魂』ラスト、直吉と令子が、大阪行きの夜間飛行便「ムーンライト」号に乗るが、そこでの東京の夜景は、実景ではなく、すべてミニチュア撮影。高村倉太郎キャメラマンが苦心して夜景を再現したという。

 さて『飢える魂』二部作で特筆すべきは、やはり、第三期ニューフェースとして、研修を終えたばかりの小林旭の抜擢だろう。二谷英明らを輩出した第三期ニューフェース試験で、小林旭の面接試験管だったのが川島雄三監督と中平康監督。学生服で試験に望んだ小林旭の詰め襟姿の印象が川島のなかにあり、大河内(おごうち)昭役に抜擢したという。屈託のない青春スターが多いなかで、小林旭のなかにある、ある種の「暗さ」が、家庭的な問題を抱えている大河内家の長男というキャラクターに活かされている。旭の繊細そうだが、芯のある存在感は、さすがに後の大器を感じさせる。

 その妹・伊勢子を演じたのが、長門裕之・津川雅彦と兄妹の加藤勢津子。母の不倫を知り、苦悩するティーンエイジャーの「影」と、桑野みゆき演じるクラスメートの屈託のなさの「光」が好対照をなす。

 日活映画、川島ファンのお楽しみが後篇に登場する、立花烈の学友たち。フランキー堺、小沢昭一、岡田真澄らに加え、どうしても川島組に出たいと自ら申し出た二枚目・葉山良二らが出演。なかでもフランキー堺の放つアドリブともとれる「オッパイショック死」という言葉のおかしさ。ラフな感覚は、この頃の川島組のリラックスしたムードを感じさせてくれる。『愛のお荷物』にも出演していた高友子も芸者役で出演。このシーンに客演したフランキー、小沢、岡田の三人は、続く川島雄三日活最後となった『幕末太陽伝』(1957年)にも出演することとなる。

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