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加山雄三・若大将グラフィティ 1961〜1981

【若大将の誕生】

 昭和35(1960)年5月。慶應大学を卒業した池端直亮は、東京都世田谷区の東宝砧撮影所の門をくぐった。両親は戦前からの日本映画を代表する二枚目スター・上原謙と、松竹蒲田出身の女優・小桜葉子。母方の曽祖父に明治の元勲・岩倉具視がいる。

 スポーツ万能で音楽的才覚にも溢れた長身の二枚目は、東宝のサラブレッドとして、製作本部長でプロデューサーの藤本真澄により売り出されることになった。

 姓名判断に凝っていたという祖母で、やはり松竹の映画女優・江間光括により名付けられた芸名は加山雄三。砧撮影所で開かれた全国映画館主大会で、柴山撮影所長が「加山雄三の加は加賀百万石の加、山は富士山の山、雄は英雄の雄、そして三は小林一三(東宝創業者)の三です」と発表した。「60年代を驀進する男」のキャッチコピーで、マスコミに大々的に喧伝されることになった。

 デビュー作『男対男』(1960年・谷口千吉)は、肩慣らし程度の脇役だったが、続く岡本喜八監督の『独立愚連隊西へ』(同年)や『暗黒街の弾痕』(1961年)では準主役。いずれも田中友幸プロデューサーに預けられての成果だった。

 その後、藤本真澄は『銀座の恋人たち』(1961年・千葉泰樹)で初めて、加山をキャスティング。やがて加山をメインとしたオリジナル作品を企画した。「今度、加山で若旦那ものをやろうと思う」と東宝文芸部の脚本家・田波靖男に持ちかけた。

 大先輩として松竹の城戸四郎を尊敬していた藤本は、戦前の松竹蒲田の大ファンでもあった。若い時に観た、鈴木傳明主演の『感激時代』(1928年・牛原虚彦)や『大学の若旦那』(1933年・清水宏)などのカレッジライフものを、スポーツ万能の加山向けに、モダンにリニューアルしようというものだった。

 藤本はそれまでも、池部良の『若人の歌』(1951年・千葉泰樹)や、久保明と宝田明、江原達怡の『大学の侍たち』(1957年・青柳信雄)などのカレッジライフものを手掛けているが、いずれも水泳部が登場している点が興味深い。

 主人公のニックネームも「若旦那」では古いからと、東京新聞のコラムに出ていた作家・黒岩重吾の大阪での株屋時代の愛称「北浜の若大将」を戴いて「銀座の若大将」としたが、加山がまだ学校を出たばかりということで、タイトルは「大学の若大将」と決定。

 最初の打ち合わせは、藤本、加山の慶應の先輩にあたる田波靖男、そして田波の師匠で「社長シリーズ」などを手掛けていたベテラン脚本家・笠原良三の3人が、銀座の並木通りにあったレストラン「アラスカ」で行われた。

 若大将の実家を「すき焼き屋」にするアイデアは藤本自身によるものだという。そこへ遅れてきた加山は、開口一番「酒は結構です。とにかく何か食わしてください」とピラフをパクついた。その第一印象がそのまま、大食漢の田沼雄一のキャラクターになった。余談だが、この「アラスカ」は、第二作『銀座の若大将』に登場する「ノースポール」のモデルでもある。

 そこで加山は、自分の生い立ちや、学生時代のエピソードを話した。1日五回はメシを食わないと腹が減って仕方がないこと。自分で船を作ったこと。おばあちゃん子であったことなどが、若大将の性格付けのヒントになっている。

 藤本からも「若大将には、母親がいなくて、おばあちゃんがいることにしよう。飯田蝶子でどうだ」と具体的なキャスティングまで話が及んだ。

 若大将=加山雄三、父親=有島一郎、妹=中真千子、祖母=飯田蝶子、友人=江原達怡。そこで藤本は、若大将に対する敵役にも、ニックネームが必要ということで、「青大将ってのはどうだ」と提案。

 黒澤明が持ち込んでいた企画「青大将」からのイタダキだった。その場で、俳優座の性格俳優で、チンピラや殺し屋など特異な役が多かった田中邦衛に即決。「青大将」はのちに、黒澤明の『椿三十郎』(1962年)として映画化され、加山、田中、江原の3人も出演した。

 早速、笠原と田波は、築地にあった「東家旅館」に籠もって、シナリオを執筆。余談だがこの「東家」は、東宝だけでなく、各社の監督やリナリオ作家が執筆するための定宿だった。森繁久彌の「社長シリーズ」では、ここでランチライムに浮気を目論むも失敗、というシーンがあった。

 おそらく、プロットは「お姐ちゃん」「サザエさん」シリーズを手掛けてきた笠原良三が担当し、シリーズに不可欠となる「スポーツ」「パーティ」「学生バンド」「アルバイト」などの時代を先取りしたディティールは、慶應大学を卒業して間もない田波靖男のアイデアによるものだろう。

 監督は娯楽映画のベテラン、杉江敏男に決定。昭和36年5月に『大学の若大将』はクランクイン。およそ一ヶ月の撮影を経て、完成した。

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