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『東京さのさ娘』(1962年9月16日・松竹大船・酒井欣也)

未来予測のプログラム・ピクチャー! 「寅さん」+「若大将」+「花嫁シリーズ」!

 昭和30年代半ば、江利チエミさんは「さのさ」(1958年)のヒットにより、ジャズソングから「和物」つまり民謡や端唄のバリエーションを、ポップスアレンジ、東京キューバンボーイズなどの演奏で歌って、新境地を開いていた。その「さのさ」「木遣づくし」「おてもやん」などをフィーチャーした下町人情喜劇『東京さのさ娘』(1962年9月16日・松竹大船・酒井欣也)に驚いた!

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 この時期の松竹大船は、番匠義彰監督のハイセンス・コメディ「花嫁シリーズ」が連作されていた時期。特に、この映画が作られた昭和37(1962)年は、「花嫁シリーズ」の当たり年。この年だけで『クレージーの花嫁と七人の仲間』(4月15日)、『はだしの花嫁』(10月24日)、『泣いて笑った花嫁』(12月19日)と3本も作られている。

 というわけで「花嫁シリーズ」により、下町を舞台にしたコメディの新しいセオリーが定着していた。しかも脚本は番匠義彰監督の快作『三人娘乾杯!』(7月18日)の菅野昭彦さん。『恋とのれん』(1961年)、『のれんと花嫁』(同年)、そして前述のこの年の「花嫁シリーズ」全てを手がけている。そして共同脚本は、のちにテレビ版「男はつらいよ」を何本か担当する山根優一郎さん。この二人の脚本というのが、実はかなり重要。そして酒井欣也監督といえば、この『東京さのさ娘』の次に、渥美清さんの初主演作、倍賞千恵子さんとの『あいつばかりが何故もてる』(11月18日)を演出する。

 この前年にスタートして高視聴率を記録していたNHK「夢であいましょう」で人気沸騰の渥美清さんを、江利チエミさんの「やくざな兄貴」にキャスティング。男やもめの父親には、やはり前年にスタートした東宝「若大将シリーズ」で加山雄三さんの父をコミカルに演じていた有島一郎さん。後付けの目線で見ると、この『東京さのさ娘』は、のちの「男はつらいよ」+「若大将」+「花嫁シリーズ」のエッセンスが、見事な按配で散りばめられた奇跡の喜劇映画となっている。

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 浅草育ちの下町娘・杉本千枝子(江利チエミ)は、川向こうの墨田区向島で、運送屋を営む父・又吉(有島一郎)と、住み込みの従業員、鈴木正治(小瀬朗)、中村金助(楳崎博規)、そして佐藤健一(菅原文太)と忙しい毎日を送っている。秋葉原の近くで不動産屋を経営している千枝子はやり手で、しかもちゃっかり屋、周旋業だけでなく、入居者に家電や合羽橋の道具、引っ越しそばまで斡旋してリベートを稼いでいる。

 この電気屋・杉本武次郎(森川信)、合羽橋の家具屋・忠三郎(須賀不二男)、仲見世裏のそば屋の女将・八重(清川虹子)たちは全て、父・又吉の兄妹たち。浅草中に千枝子のネットワークがある。

 そして、又吉に勘当され(!)浅草でヤクザのお兄さんになっている千枝子の兄・勘太郎(渥美清)が出たり入ったりの賑やかな展開となる。なんといっても、賢い妹に愚かな兄貴の「愚兄賢妹」というのちの「男はつらいよ」のフォーマットに、父親に勘当された跡取り息子という「若大将」のフォーマットが重なっての「浅草喜劇」である。もう驚くしかない!

 渥美清さんが、立板に水の口上、仁義を切り、賢い妹に迷惑ばかりをかけている。その一挙手一投足、青いダボシャツに腹巻のスタイルまで、若き日の「寅さん」に見えてしまう。渥美清さんが持っている「テキ屋」への憧れ、若き日を過ごした浅草のチンピラの雰囲気、味、ズッコケた感じなどなど、車寅次郎に続くプロトタイプなのである!

 いつも妹に小遣いをせびっている兄貴・勘太郎。今日は亡くなった母親の十三回忌と聞いて、久しぶりに向島の実家へ戻ってくる。法事をしている席に玄関から入るわけにはいかず、裏木戸をそっと開けて、じっと縁側ごしに仏間を拝む。その時のセリフがいい。

「おれが押しも押されもしねえ立派な大親分になったら、国際劇場なんか買い切りにして、派手に法事やってやるからよ。」とそっと亡き母に誓う。「俺にふんだんに銭があれば、歌舞伎座とか国際劇場を借りて」リリー(浅丘ルリ子)のためにショーを開いてやりたいと願った第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年)の寅さんと同じロジックである。この感覚は、渥美清さん自身の資質なのだと、改めて思った。

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 その前のシーンでは、可愛い妹のために、妹が恋をしているガソリンスタンドの青年・北川邦夫(吉田輝雄)のところに、妹への気持ちを「勝手に」確かめに行って、大騒動を起こす。これも「寅さん」的行動である。しかも兄妹にとってのおじさんは、なんと森川信さん!初代おいちゃんである。

 「夢であいましょう」的には、渥美清さんと「ヘンな外人」と呼ばれて大人気だったE H・エリックさんが、アメリカから無銭旅行にやってきたアメリカ人大学院生・ジミー・スコットを演じている。吉田輝雄さんのペンフレンドで、彼を頼って来日。江利チエミさんの家に下宿する。『アルプスの若大将』(1966年・東宝・古澤憲吾)におけるイーデス・ハンソンさんの役回り(笑)

 「若大将」ファンにとって嬉しいのは、旦那が亡くなり、大阪を引き払って浅草で「おにぎり屋」を始めることにした、又吉のかつての恋人で元芸者・土屋絹代(坪内美詠子)に、又吉が肩入れして、店に日参する。有島一郎さんの「老楽の恋」が描かれていること。『フレッシュマン若大将』(1969年・東宝・福田純)から始まるパターンなので、七年も早い!

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これも「花嫁シリーズ」ではお馴染み、下町の老舗の親父の恋なのだが。又吉と絹代が松屋浅草の屋上遊園地の遊具「スカイクルーザー」でランデブーする。これも既視感がある。坪内美詠子さんと有島一郎さんは、これから五年後に『南太平洋の若大将』(1967年・東宝・古澤憲吾)で、東京タワーの展望台でランデブーすることになる。しかもこの時の「田能久」は浅草の仲見世の裏通りでロケ。つまり清川虹子さんの蕎麦屋と同じ通り。もうクラクラしてくる。

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 そして「花嫁シリーズ」的には、千枝子が恋する北川邦夫(吉田輝雄)に横恋慕する芸者・花奴(牧紀子)との三角関係。強引な女の子に振り回される恋人にヤキモキするヒロイン。これは「花嫁シリーズ」の定番。その危機がピークに達するのは、強引な女の子と恋人が旅行に出てしまうこと。これも後半の日光・中禅寺湖で展開される。しかも吉田輝雄さんの勤め先が国際通りのガソリンスタンド! 二年後の「花嫁シリーズ」最終作『明日の夢が溢れてる』(1964年・番匠義彰監督・菅野昭彦脚本)で、浅草の天ぷら屋の娘・鰐淵晴子さんのボーイフレンド・三上真一郎さんのガソリンスタンドと同じ場所なのである。

 もちろん「江利チエミの音楽喜劇」でもある。タイトルバック、向島から店のオート三輪に乗って、千枝子が吾妻橋を渡り、江戸通りを通って浅草橋方向へと向かう映像に、流れるのが「東京さのさ娘」(作詞・中村メイコ 作曲・神津善行)。この歌がゴキゲンで楽しい。また、中盤、邦夫とジミーが花奴の座敷に招待されたと聞いて、憤然となった千枝子が「インスタント芸者」になり「さのさ」「木遣くずし」「ちゃっきり節」の三曲を次々と歌う。そして「花嫁シリーズ」同様のあれよあれよの大団円の後、エンディング。墨田区の牛島神社の祭礼の晩、墨田公園での盆踊りの櫓で千枝子が「東京さのさ娘」をリフレイン。

 他に、千枝子たちの相談役の住職に柳家金語楼さん。「御前様」の役どころである。トニー谷さんが浅草寺境内で「ガマの油売り」の大道芸人としてゲスト出演。この頃、NTV「アベック歌合戦」で再び人気者となった時期である。

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 ロケーションも浅草界隈、そして日光、中禅寺湖。娯楽映画的昭和37年の観光が楽しめる。もう一つ、驚いたのは、渥美清さんの弟分でずっと横にいるのが林家珍平さん。第26作『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』(1980年・松竹・山田洋次)で、さくらが購入した建売住宅の隣に住むご主人役を演じていた。全ての道は『東京さのさ娘』から繋がっている、という、色んな意味で「未来予測」に満ちた娯楽映画でもある。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。