見出し画像

『美わしき歳月』(1955年5月25日・松竹大船・小林正樹)

松山善三脚本、小林正樹監督『美わしき歳月』(1955年5月25日)。日比谷公園の近く田村町で花屋を営む田村秋子が、日比谷三信ビルにオフィスがある実業家・小沢栄(太郎)のクルマに、日比谷の交差点でぶつけられ倒れるところから物語が始まる。

昭和30年の東京風景が何よりのご馳走。田村秋子は、赤煉瓦が敷き詰められ昔を「あの頃はモガだったのよ」と思い出し、小沢栄は「私は米騒動の記憶しかないなぁ」と往時の東京を懐かしむ。

田村秋子には戦死した孫がいて、その孫の中学時代からの親友、医者・木村功、工員・織本順吉、ドラマー・佐田啓二たち、それぞれの悩みと恋、友情がさまざまなエピソードとともに描かれる。

木村功は、医師の仕事を崇高なものと考えていて、それゆえビジネスライクな経営者といつもぶつかり、一年と同じ病院に勤めたことがない。その恋人は、田村秋子の孫娘・久我美子。明るくて前向きな女の子で、木村功に早く落ち着いて欲しいと願っている。

織本順吉は、インテリだが就職難の時代、仕方なく鉄鋼資材を扱う工場で働いているが、上司・須賀不二夫から理不尽なイジメを受けてストレスが溜まっている。木村功の妹・野添ひとみと恋仲である。

佐田啓二は、兵隊に行ってからシニカルになっていて、戦後は享楽的に生きてきた。今はキャバレーのドラマーとして浮ついた生活をしているが、幼馴染で今は未亡人となった小林トシ子のために女給の仕事を世話したり、彼女のお母さんの病気を、木村功に頼んで見てもらっている。

この三人の友情とすれ違い、対立そして融和を描いていく、のちの山田太一「ふぞろいの林檎たち」と同じアプローチ。同時に小沢栄と田村秋子の老人の恋、小沢栄の次男・佐竹明夫と久我美子の縁談などを、ゆったりとしたペースで描いていく。

驚いたのは、戦死した親友の墓参に行くシーンで、佐田啓二が口ずさむのがトニー谷の「馬鹿じゃなかろか」(作詞・宮川哲夫 作曲・吉田正)「♪かわいいあの娘の真知子巻〜」と佐田啓二がセルフパロディを歌うのである! ワンコーラスまるまる、リフレイン付きで!この歌は前年、昭和29(1954)年に宝塚映画「家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろうかの巻」の主題歌としてヒットしていたが、その歌詞の「君の名は」のパロディを本家・佐田啓二が歌っているのがいい。

真面目な織本順吉は「墓参りだろ!」と激昂するが、佐田は「こういう立派な歌を知らずに死んでいった連中に聞かせるのさ」とあくまでもシニカル。おまけに「さいざんす」とトニー谷の口真似をする。小林正樹、松山善三らしい展開である。

色々あって、木村功は秋田県の研究所で医師として働く決意をするが、それを久我美子に言えないまま、出発の日が迫ってくる。久我は木村功と小林トシ子が上野を歩いていることころ、佐竹明夫のクルマの中から目撃して誤解したまま。「若大将」の澄ちゃん的な誤解でややこしいことに。

クライマックス、木村功が秋田へ向かうその日の上野駅。果たして久我美子は? というサスペンス、そして親友たちがそれぞれを思いやるハートウォーミングな味わい。120分もあるのだけど、飽きさせない。

戦後ジャズ・ブームはすでに終わっていたが、伝説のジャズ・ドラマー、J・C・ハードが特別出演して、佐田啓二に「プレイさせて」とドラム・スティックを受け取り、ジャムセッションをするシーンもご馳走。J・C・ハードは、スウィング時代はもちろんバップ、ブルース、モダンと活躍したプレイヤー。あの名盤「ジス・イズ・ミー」のJ・C・ハードの動く姿が松竹映画で見られようとは!

時層探検的には、ソニービル裏(このときはまだないけど)にあった名曲喫茶らんぶる、日比谷三信ビルの一階のプロムナード、エレベーターホールなどが活写されています。

日比谷三信ビルのプロムナード

また、クライマックス。久我美子と木村功がシリアスな会話をする喫茶店は、西銀座5丁目にあった「名曲と珈琲 喫茶らんぶる」。この店は、敗戦後まもなく営業を開始。成瀬巳喜男『妻』(1953年)で上原謙と丹阿弥谷津子の不倫カップルが密会する喫茶店もあり、大森一樹『トットチャンネル』(1987年)で斉藤由貴と高嶋政伸が有楽座でシネマスコープ第1作『聖衣』(1954年)を観た後に入るシーンにロケーションで登場。この店は1980年代末まで営業していて、僕もデートや映画の帰りによく使った懐かしい店。


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。