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『妻』(1953年4月29日・東宝・成瀬巳喜男)

7月10日(日)の娯楽映画研究所シアターは、連夜の成瀬巳喜男特集で『妻』(1953年4月29日・東宝)をスクリーン投影。

林芙美子&成瀬巳喜男としては『めし』(1951年・東宝)、『稲妻』(1952年・大映)に続く第三作。今回もまた「やるせない」物語。高峰三枝子をヒロインに、上原謙と「結婚10年」、会話もない倦怠期の夫婦を、観ているこっちも「ため息」が出るほどギスギスと好演。この二人は、1981(昭和56)年、国鉄「フルムーン」キャンペーンで、CM出演することになるが、それはずっと後の話。林芙美子の「茶色の目」を井手俊郎が脚色。撮影・玉井正夫、美術・中古智、音楽・斉藤一郎と、いつもの東宝の成瀬組スタッフ。

何を言っても「暖簾に腕押し」の、およそ魅力のないしょぼくれサラリーマン課長・中川十一(上原謙)なのだが、会社でタイピストをしていた未亡人・相良房子(丹阿弥谷津子)に、なぜか好意を寄せられ、とうとう「本気」の「浮気」をしてしまう。

この映画、色んな意味で丹阿弥谷津子が美しく、素晴らしい。自立する女性で、不倫だとしても自分の選択と納得しているし、嫉妬でおかしくなった高峰三枝子が、訪ねてきた時にも「お会いしたくなかった」とハッキリと自分の気持ちを伝える。

もちろん妻・美穂子役の高峰三枝子も美しく、大女優の風格がある。成瀬は『めし』の原節子同様、美しい高峰三枝子を「生活やつれの女房」として演出。食事をして、お箸で前歯をシガシガして、お茶でうがいをする。なんともはやの古女房だが、そんなお下品な仕草まで、高峰三枝子が演じると、風格すら感じさせる。

さて、中川は房子をお茶に誘い、意気投合する。このあたり、なかなかリアル。二人がお茶を飲むのが、銀座にあった「名曲喫茶 らんぶる」。ちょうどソニービルの裏手にあり、1980年代、東銀座の電通関連会社でアルバイトをしていた僕は「成瀬の『妻』に出てくる喫茶店だから」とよく、デートの待ち合わせに使っていた。

映画では、名手・中古智によるセット撮影だが、店内の構造はほぼ同じ。なので、改めて観ると懐かしい。決してコーヒーがうまいわけでもなく、廉価というわけでもないが、戦前からこの地で営業を続けている、ということが、当時の僕にとっては何よりの価値だった。

銀座「名曲喫茶 らんぶる」
美術は中古智

房子に誘われ、ある日曜日、上野の東京芸大での展覧会へランデブーする二人。鶯谷駅で待ち合わせをして、上野公園へ、国立博物館の前を歩き「美学校」(昭和23年までの呼称)へ向かう。その二人を目撃するのが、中川家の二階に下宿している芸大生・谷村忠(三國連太郎)。丹阿弥谷津子は、のちに「釣りバカ日誌」シリーズではスーさん(三國)の妻・久江を第6作まで演じるので、なんとも不思議な気分になる(笑)

鶯谷駅で待ち合わせ

やがて房子は、会社を辞め大阪に帰ることになる。「お手紙くださいね」「うん」。完全に不倫カップルである。房子が出した葉書が浮気発覚のきっかけになるのだが…。しばらくして中川は、専務(清水将夫)と大阪へ出張。特急「つばめ」の人となる。二人が鼻の下を伸ばすのが、水商売風の美人(塩沢登代路→塩沢とき)。

大阪で房子とその息子とひととき楽しむ中川。土佐堀川沿いの中之島公園を中川が歩いてくると、房子が子供を連れてやってくる。房子と子供の後ろには大阪市庁舎と中之島図書館、栴檀木橋(せんだんのぎはし)が見える。切り返しショットで、中川と房子たちの奥には難波橋が見える。結局、その夜、二人はデキてしまう。房子は「恋愛」、中川は「浮気」の心算だったが、真面目な中川は「本気」になってしまう。

中之島公園 後ろに見えるのは難波橋
中之島公園 大阪市庁舎、中之島図書館、栴檀木橋(せんだんのぎはし)

ここから、妻・美穂子(高峰三枝子)が猛烈な嫉妬を覚えて「夫は絶対渡さない」と激しい気性を見せる。あくまでも無言の中川。なかなかスリリングな展開となる。

メインのストーリーと並行して、中川家の下宿人たちの物語も展開。復員して以来、全く働く気力を失ってしまった夫・松山浩久(伊豆肇)に愛想がつきて、銀座のキャバレーで稼いでいた妻・栄子(中北千枝子)は家を出てしまう。しょぼくれて、酒に酔うだけのダメ男を伊豆肇が見事に演じて、情けないけど「わかるわかる」である。

結局、故郷に帰った松山に変わって入ってきたのが、美種子の親友・桜井節子(高杉早苗)の紹介の二号さんのホステス。そのパトロン鬼頭(谷晃)の妻(本間文子)がねじ込んでくる。あいにく二人は熱海に遠出していて、美穂子がそのグチを聞くのだが、町工場のオヤジがいい気になって女を囲っていると、鬼頭の悪口。これはそのまま『女が階段を上る時』(1960年)の加東大介でリフレインされる。女房役も同じ本間文子だったし。

後半、中川に逢うために、房子が上京。高円寺の友人宅に泊まる。実家に戻ったまま帰らない妻がいないのを幸いに、中川は房子と逢引きをする。「これから熱海にでも行こう」と誘う中川、しかし美穂子が大阪に手紙を出していたこともあり、房子は躊躇する。その翌日、中川のポケットに入っていた房子の名刺に書かれた住所「高円寺四丁目五七」を訪ねる美穂子。思い立ったら即行動なのである。

歩きながら、自分の思いを房子にぶつける美穂子。高峰三枝子と丹阿弥谷津子の芝居場である。高円寺の中央線のガードをくぐり、ミルクホール「つばめ」に入る二人。ロケーションからセットへ。二人の芝居のテンションはそのまま。ヒートアップする美穂子と、腹を立てながらもクールな房子。この勝負、完全に房子の勝ちである。しかし房子は、自ら身を引くことを決意して・・・

高円寺と阿佐ヶ谷の間のガード

他の監督であれば、もっと情緒的な決着をつけるのだろうが、成瀬巳喜男はこうした「出来事」を淡々と描き、劇的な結末ではなく、妻と夫はまた元通りの生活に戻っていく。それが「味わい」となっている。また無言の夫婦の日々が続いていく。


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