旅の仲間、寅さんとポンシュウ 『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』(1985年8月3日・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
関敬六さんが演じるポンシュウは、シリーズ後期を彩った名物キャラクターです。寅さんのテキ屋仲間にして、旅を共にする渡世の相棒です。寅さんの旅の仲間といえば、川又登(津坂匡章、後の秋野太作さん)が思い出されますが、登は寅さんを兄貴と慕う舎弟でした。その登も第十作『寅次郎夢枕』での奈良井宿での別れを最後に、姿を見せなくなりました。それから、寅さんは孤独な旅人として、気ままな一人旅を続けていました。ポンシュウが初めて登場したのが、第二十四作『寅次郎春の夢』でした。和歌山県紀の川市の粉河寺で寅さんが下駄のバイをしていると、女房に逃げられ、息子と旅をしているテキ屋仲間・ポンシュウが登場します。演じているのは、関敬六さんではなく、小島三児さん。
昭和四十年代の演芸ブームでブレイクしたトリオ・スカイラインの一人です。トリオ・スカイラインといえば、第二十八作『寅次郎紙風船』で寅さんの柴又小学校時代の同級生、シラミを演じた東八郎さんを思い出します。さて、小島三児さんが演じた初代ポンシュウは、その後、新しい女房と息子と三人で「りんどうの花」を咲かすことになります。
さて、関敬六さんです。渥美清さんとは浅草フランス座で出会い、谷幹一さんと三人でスリーポケッツを結成、いわば駆け出しの頃からの仲間です。第一作では、さくらの結婚式の司会役を演じています。さて、シリーズでポンシュウと思しきテキ屋を初めて演じたのは、第二十六作「寅次郎かもめ歌。」北海道の「江差追分大会」で寅さんがバイをしたときです。奥尻で仲間のシッピンの常の死を知って、寅さんに香典を託すテキ屋仲間です。ぼくは、勝手にポンシュウだと思っていますが、このときは、まだ旅を共にするのではなく、旅先で出会う仲間という感じです。
そして第二十九作『寅次郎あじさいの恋』では、京都の葵祭で一緒にバイをして、同じ旅館に泊まっています。このあたりから、ポンシュウとしてのキャラクターが明確になってきます。続く第三十作『花も嵐も寅次郎』では、九州は臼杵の福良天満宮の縁日で、寅さんと息の合ったところを見せてくれます。寅さんの威勢の良いタンカ売に、「菜っ葉の肥やし、掛け声ばかり」と合いの手を入れます。こうして関敬六さんのポンシュウは、次第に寅さんの相棒として定着していきます。とはいえ、関敬六さんは第一作の結婚式の司会だけでなく、様々な役を演じています。
ここで、ポンシュウ以外の関敬六さんの役柄をご紹介します。
第二十七作『浪花の恋の寅次郎』 野球帰りのとらやの客
第二十八作『寅次郎紙風船』 本郷の旅館・章文館の客
第三十一作『旅と女と寅次郎』 新潟で寅さんが夢から覚めたところにくる、チンドン屋
第三十二作『口笛を吹く寅次郎』備中高梁のタクシー運転手
それぞれ、出番はわずかですが印象的な役柄です。ぼくらは、後からシリーズを観て関敬六さんが登場すると「あ、ポンシュウ!」と、漠然と思ってしまいます。寅さん脳が発動しての条件反射です。渥美清さんが出演された他の作品を観ても「寅さんが演じている」とついつい思ってしまうのと似ています。それは、キャラクターと演者のイメージがピッタリ一致しているということです。
そして、第三十三作『夜霧にむせぶ寅次郎』です。寅さんは盛岡城址公園で、地球儀のバイをしています。そこへ小さな娘を連れた登がやってきて、寅さんと第十作『寅次郎夢枕』の奈良井宿での別れ以来の再会を果たします。長くシリーズを観てきたぼくたちにとって、このシーンは特別な意味を持っています。登が久しぶりに兄貴分の寅さんの姿をみつけたカットに注目してください。城址公園のなだらかな坂の向こうで、寅さんがバイをしている姿を登が見つけたとき、寅さんは相棒のポンシュウのお尻を威勢良く蹴飛ばしているのです。それを見た登は「兄貴かもしれない」と瞬時に思ったのでしょう。近づいて行きます。
かつての登のポジションに、現在はポンシュウがいるのです。そして次のカット、登が間違いなく兄貴だと思った瞬間のカットで、蹴飛ばされたポンシュウが、バイネタが入った段ボールを抱えて、画面を横切ります。やがて寅さんは、北海道へ渡り、風子(中原理恵)と出逢い、「ねむろ新緑祭り」でのバイのために、根室へと行くのですが、宿泊した「きたみ館」ではポンシュウたちと同宿をしています。寅さんが、ポンシュウと一緒に旅から旅の渡世をしていることが、明確に描かれているのが、この回でした。
続く第三十四作『寅次郎真実一路』のラスト、鹿児島県吹上町の伊作駅で、既に廃線になったことも知らずに、電車を待つ寅さんとポンシュウが描かれています。「ダメだ寅、こりゃいっくら待ったって汽車なんて来ねえよ。」
二人は、枕木だけが残っている線路の跡をトボトボと歩いて行きます。その後ろ姿には、侘しさや切なさはありません。むしろ、二人の、何にも縛られない自由さが伝わってきて、観ているぼくたちは幸福な気持ちになります。放浪者である寅さんとポンシュウの自由さ。これが後期『男はつらいよ』の旅のシーンの魅力です。
続いて、第三十五作『寅次郎恋愛塾』です。この回のファースト・シークエンスとエンディングは、ポンシュウがメインといってもいいほどの活躍を見せます。寅さんとポンシュウは、長崎から五島列島の上五島へと旅を続けています。しかし懐は例によって旅先。ポンシュウは「あぁ、穫れたての魚で焼酎をキューッとやりてえな」とあんパンを口に放り込みます。寅「銭はどれぐらいあるんだい?」ポンシュウ「あるわけないだろう。今夜の泊まり賃でギリギリだよ」寅さんは、しょうがねぇな、という顔をして笑います。そんな二人のそばで、ヨタヨタ歩いているおばあちゃんが道で転んでしまい、とっさに二人はおばあちゃんを助けます。それが縁で、おばあちゃん、江上ハマ(初井言榮)の家に、二人は厄介になります。
一人暮らしのハマおばあちゃんは、寅さんとポンシュウと三人で楽しい夜を過ごします。飲むほどに酔うほどに陽気になるポンシュウは、三門忠司さんの「片恋酒」を歌って踊ります。月明かりに映るポンシュウのシルエットは、天使のような無垢さ、神々しさを感じます。この後、ハマおばあちゃんが亡くなるのですが、それも天寿を全うし、天に召される、という言葉がふさわしい描き方です。おばあちゃんが亡くなり、若い男手のない島のこと、青砂ヶ浦教会の墓地で、寅さんとポンシュウが、墓堀を買って出ます。暑い夏の日差しのなか、二人はスコップを動かして、おばあちゃんのために、労働の汗を流します。
そのとき、昼食に出されたおにぎりを食べたポンシュウ「うめえなぁ。」寅さん「働いた後だからな、労働者ってのは、毎日美味い飯食ってるのかもしれねえな」と働く喜びを身を以て味わいます。寅さんは、何度か労働者になる決意をしたことがあります。額に汗して働くことに、憧れと畏敬を抱いています。第五作『望郷篇』では機関士に憧れ、労働者になる決意をします。第十一作『寅次郎忘れな草』では、根無し草の暮らしに決別するために、北海道の農場で牧童になったこともあります。しかし、本当の意味で労働する喜びを知ったのは、このシーンなのです。「労働者ってのは、毎日美味い飯食ってるのかもしれねえな」という寅さんのことば、実感がこもっています。
さて、寅さんとポンシュウは、その後、ハマおばあちゃんの葬儀に駆けつけた、美しい孫娘・若菜(樋口可南子)にまつわる噂をめぐって、宿で大げんかをして、別れ別れになってしまいます。そこから『寅次郎恋愛塾』の物語が動き出します。そしてラストシーンで、寅さんが再び上五島の青砂ヶ浦教会を訪ねると、神父さん(丹羽勝海)が「ポンシュウさん、お迎えがきましたよ」と声をかけるのです。なんとポンシュウが、「ノートルダムの鐘」のカジモドのような、ルパシカ姿で、教会の下男、すなわち帝釈天題経寺の寺男・源ちゃんと同じようなことをしているのです。
ポンシュウは「聞いてくれよ。墓掘ってからよ、全く運が落ちてよ、全然稼ぎにならねえんだ。つい、出来心でこの教会忍び込んで、銀の燭台盗んで、御用になっちまったんだ。」しかし神父さんの慈悲で事件にはならず、こうして寺男になったことがわかります。
「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンのパロディです。アンドリュー・ロイド・ウエバーのミュージカル「レ・ミゼラブル」がロンドンで初演されるのは、一九八五年十月二十八日ですから、ポンシュウ版が二ヶ月も早いのです。また現在の眼で観ると、関敬六さんは二〇一二年に大ヒットした映画版のヒュー・ジャックマンの先取りだったとも言えます。さて、このラストシーンもシリーズのなかでも白眉です。寅さんはポンシュウの耳を引っぱり、神父さんの前へと差し出します。寅さんは神父さんに「どうぞこの男を一生奴隷としてこき使ってやってください。」と、立ち去ろうとします。そこでポンシュウに「あなたにも神のお恵みがありますように。さやうなら」と言います。
この「さやうなら」が抜群におかしいです。この作品からポンシュウは、寅さんの旅先の相棒として、二人のコンビは、トップシーンとラストシーンを飾るようになります。ポンシュウと寅さんのコンビに注目して、シリーズ中盤から後期を観るのも、またファンにとってのお愉しみなのです。
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