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『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967年2月25日・大映京都・田中徳三)

 昭和40(1965)年にスタートした、勝新太郎&田村高廣のコンビによる痛快戦争喜活劇「兵隊やくざ」シリーズも2年間で6作目。斜陽の映画界で、大映ではコンスタントに収益が見込める「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」のシリーズ映画が連作されていた。

第5作『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・田中徳三)までは、連続した時間軸の物語だった。前作は、昭和20年8月、配線間際のソ満国境を舞台に、ソ連軍の猛攻から、北満開拓団の救出成功したところで「完」となった。しかし、それから数日して8月15日の敗戦となるので、第6作『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967年2月25日・大映京都・田中徳三)では、時間を戻して、というかこれまでの状況を適度にぼかして、昭和20年の北満を舞台にしている。冬の撮影ということもあり、昭和20年前半、ということにしている。

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 大宮一等兵(勝新太郎)と有田上等兵(田村高廣)は、脱走を重ね、各部隊を転々としてきた「はみ出しもの」として登場する。前作では二等兵だった大宮は、再び一等兵に。別に降格というわけではないだろうが、その辺り曖昧になっている。脚本は、第2作から5作までシリーズのテイストを作ってきた舟橋和郎から、「忍びの者」シリーズのメインライター・高岩肇に。ということもあり、今回は「脱走」「脱獄」の常習犯の二人の「自由への逃走」から、激戦のさなか、次々と戦死していく戦友たちのために、無謀な「捨て石作戦」を命令した上官に復讐を果たす。という展開に微妙に変わっている。それまでは戦闘シーンよりも軍内部での理不尽さに対する戦いだったのが、今回は明確な「戦争アクション」となっている。

 ヒロインには、密偵の妹で抗日ゲリラ・秀蘭(渚まゆみ)。最初は大宮たちを陥れる密偵の罠に加担していたのだが、戦闘で被弾して負傷、必死になって大宮が手当をしてくれたことで、ほのかな感情を抱く。これまでは、慰安所の娼婦、慰問隊にはぐれた芸人の娘がヒロインだったが、今回は抗日ゲリラ。しかも重要な情報を大宮に託してくれる。演じる、渚まゆみは、昭和36(1961)年『夕やけ小やけの赤とんぼ』(島耕二)で主演デビュー、大映プログラムピクチャーを支えた女優。市川雷蔵『斬る』(1962年・三隅研次)や、勝新太郎『座頭市あばれ凧』(1964年・池広一夫)など「カツライス」作品でも色を添えた。僕らの世代では、昭和48(1973)年、作曲家・浜口庫之助と二十七歳年齢差の「歳の差婚」をしたことが、芸能マスコミに報道されたことをよく覚えている。

 昭和20年の北満。流れ流れて、有田上等兵と大宮一等兵は、数々の勲功を上げたエリート部隊、木崎独立守備隊に紛れ込んでいた。木崎隊長(須賀不二男)は、部下思いで、全ての兵士に目が届く人格者。悪役の多い須賀不二男が「理想的な上官」というのは不思議な感じがするが、今回のワルは、全て計算づくで行動する血も涙もないエリート参謀・田沼(渡辺文雄)。しかも、有田と同郷で幼馴染。同じ小学校を卒業した「秀才同士」。今回の最大の敵はこの田沼参謀となる。また、大宮と有田の直属の上官・岩兼曹長(内田良平)も、大宮にとっては天敵のような存在。何かにつけて大宮や有田を否定、厳しい訓練を課せる。

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 なので大宮は、いつものように、岩兼曹長や田沼参謀に反抗して営倉入り。有田は旧知の田沼参謀に「大宮を出して欲しい」と頼むが、田沼は取り合わない。そこで有田は、田沼にかつての恋人を捨てて政略結婚をしたこと、その恋人が自殺したスキャンダルをチラつかせて「取り引き」をする。ここで田沼参謀が相当に酷い奴だということがわかる。一方の岩兼曹長は軍隊の規律には厳しいが、大宮と本気で殴り合っても「男と男の勝負」と弁えている「実はイイ奴」で、大宮とは次第に奇妙な友情で結ばれていくことになる。

 また部隊には、時計いじりが大好きな新兵・竹内二等兵(酒井修)がいて、有田に可愛がられる。内地では時計修理をしていて、戦友や上司たちの時計を治すのが趣味の好人物。およそ戦争とは無縁のこの若者にもスポットを与えている。クライマックスの壮絶な戦いのなかで、この竹内二等兵の末路はあまりにも哀しい。酒井修は勝新のお気に入りで「悪名」シリーズにも度々出演。のちに勝プロダクションの専属俳優となる。

 ある日、戦況の悪化から大陸の戦線を縮小して、南方戦線に兵を投入すると大本営の方針がとられ、木崎独立守備隊は、各部隊の「転進作戦」を成功させることと、通過地点の「孟家屯」に増援部隊を送ることとなった。つまり陽動作戦である。木崎部隊の密偵・張(杉田康)は、「孟家屯」にはゲリラがいないと報告。ならばと田沼参謀は、「孟家屯」への増援部隊を、二個分隊を持つ岩兼曹長に志願させる。この命ずるではなく志願させる。というのが田沼参謀の計算づくでもある。

 大宮と有田も、岩兼部隊に加わり「孟家屯」を目指す。途中、慰安所で昔馴染みの芸者・桃代(長谷川待子)と再会した大宮は上機嫌で「上等兵殿、またへそ酒やりましょう」とご満悦。桃代は、第1作『兵隊やくざ』(1965年・増村保造)で、大宮と有田が馴染みだった芸者・音丸(淡路恵子)の朋輩という設定で、同窓会気分が盛り上がる。しかし、有田の顔は冴えない。勝ち目のない戦を続けて、待っているのは犬死しかない、という現実に嫌気が差しているのである。自分の欲望に忠実で「今を生きている」大宮と、人生の意味を考えて「明日の死を考えている」有田。これが「兵隊やくざ」でもある。桃代の言葉から「孟家屯」にはかなりのゲリラが潜んでいることがわかった。

 翌日、「孟家屯」に向かう途中、二人は重傷の娘・秀蘭(渚まゆみ)を助け、その場で腕に被弾した弾を処置する。必死の看病の甲斐あって秀蘭は回復、本隊に護送する途中でゲリラの襲撃に遭い大宮はゲリラの捕虜となる。そこで抗日ゲリラの隊長が意外にも(というか怪しい行動をしているのですぐにわかるのだが)密偵・張(杉田弘)であり、秀蘭はその妹だということが明らかになる。

 それでも「自分の欲望に忠実な」大宮は、処刑される前に、一目惚れした秀蘭に「一緒に寝たい」と懇願。このあたり、勝新の甘えの演技がなかなか可愛いのだが、生命を助けてもらったこともあり秀蘭は、それに応じる。そんな大宮に情が移った秀蘭は「孟家屯には行かないで」と手紙と匂い袋を渡し、大宮を密かに開放する。しかし、読み書きができない大宮は、そのメッセージを読むことができない。このあたり『拝啓天皇陛下様』(1963年・松竹・野村芳太郎)の渥美清を彷彿とさせる。渥美清が演じた山庄は、藤山寛美の部下から読み書きを習ってマスターするが、大宮はそんな気配が一切ない。わからないことは「上等兵殿」に聞けばいいから、である。

 しかし、その有田は行方不明。戦地を彷徨う大宮は、やがてゲリラのリンチにあって、木に逆さ吊りされた有田を発見。悪運の強い二人は再び再会。そこで秀蘭のメッセージを読んだ有田は「孟家屯」がゲリラのターゲットになっていることを知る。「じゃ、観にいきましょうよ」と大宮。逃げるのではなく「観に行こう」。これも大宮と有田の行動原理である。

 その頃「孟家屯」では、ゲリラの一斉攻撃で、岩兼分隊は全滅の危機に晒されていた。岩兼たちは無線により、「孟家屯」はゲリラを引き寄せるための囮だったことが判明。ゲリラの兵力を「孟家屯」に集中させている間に、他の部隊の「転進作戦」は成功。つまり岩兼部隊は、田沼参謀により「捨石」にさせられたのだった。しかし時すでに遅し。有田と大宮が駆けつけた時は、部隊は全滅。岩兼曹長の最後の言葉で、全ては田沼参謀が仕組んだことだと、有田と大宮も知る。

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 怒り心頭の大宮と有田は、移動中の田沼参謀を待ち伏せして正義の鉄槌を下す。クルマから田沼を引きずりおろして、ボコボコに殴る大宮。その怒りは、作戦完遂のために無駄死にした戦友たちのためだった。その理不尽さ、その非人間性に、大宮の怒りが炸裂する。やがて田沼を路上に放り出し、トラックを奪った大宮と有田。大宮の「これからどこへ行きましょうかね?」「お前に任せたよ」と答える有田。ここでタイトルの『俺にまかせろ』の意味が明らかになり「完」となる。シリーズものならではのオチである。



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