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『愛と死の記録』(1966年・日活・蔵原惟繕)

 吉永小百合は、1986 (昭和61 )年から「原爆詩の朗読会」を続けている。 2 0 0 7年に第2 2回を迎えたこの朗読会は、ニ十一年間、ニ百数十回にも及ぶという。その平和への活動のきっかけになったのが、日活での『愛と死の記録』( 66年蔵原惟繕)や『あゝひめゆりの塔』(68年舛田利雄)だという。その後もNHKテレビ「夢千代日記」( 81 ~ 84年)とその映画化(85年浦山桐郎)では、被爆ニ世のヒロインを演じている。そうした吉永の平和活動の原点ともいうべき映画が本作。

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 (「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」2020年、会場に掲示された吉永小百合さんのことば)

公開されたのは1966 (昭和41 )年9月 17日。前年4月に早稲田大学に入学し、映画、レコードを中心とした吉永小百合プームが続くなか、リサイタルなど多忙を極めた頃でもある。相手役は当初、浜田光夫が演じる予定だったが、ケガをしたために、急遽、渡哲也が代役をつとめることになったという。だが、それがかえって本作の成功の一つとなっており、後に続く吉永と渡のコンビがここからスタートすることになる。

 これが初共演となる渡哲也はこの時期、日活アクションのホープとして活躍していたが、等身大の若者を青春映画で演じるのは本作が初めてとなる。以後、吉永小百合と渡哲也は数々の共演を果たしていく。

 さて、高度経済成長真っ只中のニッポンは、1964年の東京オリンビックが終わり、1970年の万国博覧会に向けて邁進を続けている時代。一方、戦後ニ十一年、戦争の記憶が第一世代から戦後生まれの第ニ世代へとシフトしつつあった。1945 (昭和 20 )年8月6日、広島に投下された原爆は、様々な悲劇をもたらした。被爆地での災厄だけでなく、生存者が抱える原爆症は、それぞれの人々の人生そのものを大きく変えてしまう。母親の胎内で被爆してしまったニ世被爆者が成人を迎えたのがちようどこの頃。

 本作の主人公・三原幸雄(渡哲也)は、四歳の時に被爆、今では広島の印刷工場で働く、外見は健康そのものの青年。映画の滑り出し、工場の同僚,藤井(中尾彬)にレコード代を借りる幸雄の屈託のなさ。れまでのファンタジックなアクション映画では見ることのできない、渡哲也のさわやかさが際立つ。

 中尾彬は第五期日活ニューフェースに参加、1962 (昭和37 )年あたりから日活アクションの端役でスクリーンに登場。その後、フランスへ絵画留学を経て、劇団民芸に入り、再び日活撮影所へ。中平康の快作『月曜日のユカ』(1964年)での演技が印象に残る。幸雄は、藤井とその恋人・ふみ子(浜川智子)の策略で、ふみ子がっとめるレコードショップの同僚・松井和江(吉永小百合)と交際することになる。勤労青年と店員の恋。日活青春映画ではおなじみのフォーマットで、物語が動き出す。

 原作は大江健三郎が1965(昭和40)年に発表したノンフィクション「ヒロシマノート」。劇団民藝の劇作家・大橋喜一と小林吉男が脚色。感動のドラマを作り上げた。

 監督の蔵原惟繕は、吉永小百合と本格的に組むのは本作が初めて。浅丘ルリ子との『執炎』(1964年)、『夜明けのうた』( 1965年)と女性映画の佳作を撮り続けていた時期だけに、吉永小百合を美しく、そして若い恋人たちに降り掛かる厳しい現実をリアルにフィルムに描写していく。映画の前半、幸雄とふみ子の恋のプロセスが丁寧に、時にはリリカルに、時には激しく描かれている。

 初めてのデート、喫茶店での「橋尽くし」の会話。窓辺のマスコットを手にして「私のあだ名はバンビ」と和江が告白する場面のリリカルさは、まさしく日活青春映画の楽しさ!バイクで遠乗りをした日曜日、将来について語るニ人。幸雄には十年先の自分が想像できない。永遠の愛を信じる和江。ケンカをするニ人。土砂降りの雨のなか、道ばたでずぶ濡れの和江を置いていく幸雄。

 この次のシーンが素晴らしい。雨上がりの橋の上。泣いている和江の後ろから幸雄がやってくる。画面の奥から蒸気機関車がはく進してくる。抱き合うニ人。そのパッションが最高潮となる。モノクロ画面でとらえたニ人の青春。名手・姫田真佐久のキャメラが最大の効果を上げている。そして映画はここから、幸雄が抱える原爆症と、それが和江にもたらす悲劇へと転調していく。

 妹の現実的な幸せを願う兄(垂水悟郎)。幸雄を実の父親のように見守る岩井(佐野浅夫)。そして病院長(滝沢修)。いすれの登場人物も、それぞれの立場から苦渋の選択を迫られる。被爆地広島で生きる人々にとって、原爆がもたらした悲劇が今なお続いていることをさりげない台詞、さりげない工ビソードで表現している。また和江が姉のように慕う原爆症に苦しむ近所の娘 (芦川いづみ)の存在も大きい。こうしたサイドキャラクターたちが、実に素晴らしい。

 音楽は名手・黛敏郎。和江のレコードショップでは『月曜日のユカ』のテーマが流れるなど、ベテラン音楽家のちょっとした遊びも楽しめる。

 映画が公開されてから五十年以上経つが、1966年の広島の若者たちの青春は、いつまでも色あせることなく、人間の尊厳、生と死について考えさせられる秀作である。

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web京都電視電影公司「華麗なる日活映画の世界」



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