『風と樹と空と』(1964年・松尾昭典)


 昭和39(1964)年7月、夏休み作品として封切られた『風と樹と空と』は、日活ではおなじみとなった石坂洋次郎原作、吉永小百合主演のみずみずしい青春映画。この年、吉永小百合は、9本もの映画に主演。浜田光夫とのコンビで、ゴールデンウィーク作品『潮騒』(4月29日公開)からしばらくぶりにスクリーン登場ということになる。
 吉永小百合扮するヒロイン沢田多喜子は、東北の津軽太田から高校の同級生たちと集団就職で上京する。手塚新二郎(浜田光夫)、合田かね子(安田道代)、高柳武雄(和田浩治)、小石信子(平山こはる)たち。全編にわたって、吉永小百合をはじめとする、集団就職グループが方言を喋っているのもユニーク。多喜子は、苦労人だが夫婦仲の良い両親(菅井きん、中村是好)の深い愛情を受け、若いうちは「他人の家のトゲのささった飯」を食わねばならない、という理由で、安川(永井智雄)家のお手伝いさんとして就職する。
 ものおじしない前向きなキャラクターは、石坂文学のヒロインの特徴であり、吉永小百合のセルフイメージでもある。すべてに対してプラス思考のヒロインは実にチャーミング。安川家の息子・三郎(川地民夫)と初めて逢い、上野のレストラン「精養軒」で食事をするシーン。「もっと高級なものを」と言われて「カレーの大盛り!」と叫ぶ。さらに野球の話になり、自分で「女長嶋」と名乗って、ボイーンと野球の仕草をする。ヒロインのキャラクターを説明する良い場面である。
 安川家の人々の善良さ。こうした家庭の自由な空気は石坂文学の持ち味で、日活ホームドラマの持つ良さでもある。加藤治子の奥様、槙杏子の澄子など、どのキャラクターをとっても好人物ばかり。永井智雄の父親のリベラルぶり。高橋とよのお手伝いさんの人柄。さまざまなエピソードが、観客を幸せな気分にしてくれる。
一見、屈託のないドラマのなかで、暗い影を指すのが、三郎の恋人・浅井秀子(十朱幸代)のエピソードである。肺病を患い、三郎との結婚をあきらめる秀子。二人のこれからの関係について、大きく悩む三郎。しかし、そこは石坂文学、ポジティブな解決に向けて懸命に悩む姿が描かれる。
 いつまでも、高校生気分の集団就職仲間たち6人が、日曜日に再会するシーンの楽しさ。その中で、歌手になりたいと夢を抱いてキャバレーで歌うことになる、安田道代演じるかね子の、転落ということでもないが変わり様と、変わらない友情が、後半のスパイスとなってくる。美容院を辞め、歌手への夢もあきらめ、新宿のキャバレーのホステスとなったかね子と、その部屋に泊まった多喜子の会話もまた、ドラマの陰影となっている。
 随所にインサートされる絵は、当時「週刊新潮」の表紙を手掛けていた童画家の谷内六郎。谷内の牧歌的な画調と、吉永小百合たちの方言のローカリズムが、都会のなかで懸命に生き、また流されていってしまう若者たちの姿を際立たせる。
 何事にもポジティブな多喜子。セックスという問題もさりげなくインサートされる。犬の繁殖についてのエピソード、「おちんちん」という言葉にもあっけらかんとしている。彼女目当てにご用聞きにやってくるクリーニング屋の六さんには、これがデビューとなる荒木一郎。
 そんな多喜子に好意を寄せている、浜田光夫扮する新二郎の優しさ。彼女への想いをプラトニックなものとしようとする、そのいじらしさ。武雄と信子の結婚パーティの夜、酔って上機嫌の多喜子をエスコートする新二郎の優しさと、都会生活の非情さ。新二郎の妹が家出してくるエピソード、そして新二郎が、東京を後にするラストの苦さ。最後に新二郎が放つ言葉こそ本作のテーマであり、石坂文学の味わいでもある。そして、映画の一番最後、近所の仲間たちと野球に興じる多喜子がバッターボックスに立つ場面!
 アクション映画が多かった松尾昭典監督の歯切れの良い演出も小気味良く、吉永小百合映画では二年後の『私、違っているかしら』(66年)で再び顔を合わせることになる。
 作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正による主題歌「風と樹と空と」は、この映画の公開に合わせて昭和39年7月にビクターレコードからリリースされている。

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