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『社長漫遊記』(1963年・杉江敏男)

 昭和38(1963)年1月3日公開、シリーズ第16作。前作『続社長洋行記』に続いて、杉江敏男監督が続投したのは、同時上映『太平洋の翼』が松林宗恵監督だったこともあってのこと。「社長シリーズ」も好調で、本作は松林監督の『社長道中記』(1961年)と並ぶ、シリーズの象徴的な作品となった。本作のヒットと面白さで、後年「社長」と言えば「漫遊記」というイメージが定着している。

 太陽ペイント社長の堂本平太郎(森繁久彌)が親善使節団として、アメリカ外遊から帰国。それまで亭主関白で男性中心主義だった堂本社長は、羽田に出迎えた妻・あや子(久慈あさみ)を、社員の前で情熱的に抱き寄せるほど、アメリカナイズされてしまう。かつて「アメション」という言葉が流行したが、「ちょっと外国へ行ってきただけで」かぶれてしまっていることを揶揄したもの。

 話は脱線するが、昭和25(1950)年、田中絹代さんがアメリカ旅行から帰ってきた際に、フォックス眼鏡の洋装で「ハロー」と投げキッスして、マスコミからバッシングを受けた。「アメリカへ行ってションベンして帰ってきただけなのに」と、「アメション女優」と叩かれた。今では考えられないが、かつての敵国に尻尾をふって、という思いや、洋行なんて夢のまた夢の時代の羨望がないまぜになってのバッシングだった。

 そうした感覚が、トニー谷というインチキ英語が売り物のコメディアン人気を高めたりしていた。さて、それから13年後、オリンピックを前に快進撃を続ける日本経済、貿易自由化、来るべき海外渡航自由化が目前の昭和38(1963)年、森繁社長も国際化したのである。

 この『社長漫遊記』がシリーズ屈指の爆笑篇になっているのは、他の作品では見られないほど、森繁社長の「アメリカかぶれ」が笑いを誘発し、森繁さんは常に笑いの真ん中にいる。今までは三木のり平さんの悪ノリや、生真面目な小林桂樹さんの不器用な恋、堅物の加東大介さんのズレなどを、硬軟両方持ち合わせたリーダーの森繁社長が受ける。といったアンサンブルの笑いだったのが、ここではひたすら、森繁さんがコメディリリーフになっている。

 まるで新東宝の『森繁の新入社員』(1955年)などのアチャラカ・コメディ時代を彷彿とさせるコメディアンとしてのリアクションや、暴走ぶりがおかしい。かの高田文夫先生が少年時代『社長漫遊記』が面白くてしょうがなかった。と話してくれたことがあります。森繁さんの家が近所だったので、悪ガキ仲間と、庭先に入って「社長、給料くれ」なんて言って遊んでいたとか。

 で、この映画で最高におかしいのが、フランキー堺さんの日系三世・ウイリー田中。取引先のジュピター日本代表の秘書課長なのだが、そうとは知らずに最悪の出会いをする。堂本社長が出資している、れん子(淡路恵子)のクラブ「マリリン」で、森繁さん「バーボンはアメリカで言うと生一本」と、ストレートを注文。チェイサーの水はいらないと、塩沢ときさんのホステスに豪語。ぐっと煽って、目を白黒。慌ててむせて「水、水」。ホステス「あら、水は飲まないんじゃないの?」「たまには飲むこともある」。このおかしさ。

 ここで他の席で飲んでいた外国人風の男が席を立って、生バンドの演奏をバックに、西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」を、怪しげな日本語で歌う。「冷たくなったワラシをみつけて」「くれるのでしょうカイ〜」と。お客には大受け。それが面白くない森繁社長。対抗意識向きだしである。さらに、フランキーさんハンカチをサックスに見立てて、プレイヤーの演奏にあわせて、見事なまでのエア演奏をする。フランキー堺さん、さすがジャズマン出身。抜群のリズム感と、コメディアンとしての動きで、とにかくおかしい。

 これまで『サラリーマン清水港』(1962年)の中国人バイヤー・邱六漢、『社長洋行記』(1962年)の世田谷の千歳船橋生まれなのに香港にいたら「みんなこうなるヨ」と怪しげな中国なまりのバイヤーを演じていたフランキーさん。シティースリッカーズ時代の「シナの夜」などのネタのバリエーションだったが、ここでトニー谷以来の「インチキアメリカ人」の伝統を受け継ぐ悪ノリ。

 堂本社長のアメリカかぶれと、外資系のウイリー田中が、ここで火花を散らし、すわ日米対決か!となる。森繁さんとフランキーさん、二人の芸達者のエスカレートぶりが大爆笑を誘う。松林作品にはないほどの喜劇映画的大脱線である。それゆえ、大人の世界の「社長シリーズ」が子どもたちにも「おかしい映画」として受け入れられた。高田文夫先生だけじゃなく、川中美幸さんのラジオに出演したときにも川中さんが同じように「面白かった」と話してくれた。

 アメリカ式に「ワイフ優先」主義を打ち出しながら、社長の鼻の下はますます伸びて、浮気未遂のシークエンスが三度もある。まず淡路恵子さん、クラブ・マリリンから抜け出し浮気の算段がついたところで、ビジネスライクに社長がマリリンへの出資を引き揚げたいと申し出る。「他に女ができたのね」と淡路さんが、カチンときて、ホテルへ直行の夢は破れる。プンプン怒って出ていく淡路さん。ひとり残された森繁社長。お猪口に酒を注ぎつつ「家に帰れば、ま、あるか」・・・

 後半、若戸大橋開通式での九州出張で、前から馴染みの芸者・〆奴(池内淳子)の誘いで旅館に行った社長。いざ、これから、と言うときに、遠くで火事が! それを知った池内さん大興奮して、宿を飛び出す。若松名物「消防芸者」である。「花と龍」の火野葦平が戦前、北九州・若松で半鐘が鳴れば火事場装束で、現場に急行して消火を手伝った芸者たちを描いた「消防芸者」という短編小説がある。その故事に倣ってのこと。

 「社長シリーズと火野葦平」といえば、『社長太平記』で三好栄子さんが演じた「馬賊芸者」も、小説新潮所載の「馬賊芸者」に由来する。第一次大戦の頃、大正初期に戦争成金から金を搾り取る「馬賊芸者」がいたという話で、昭和29(1954)年には、京マチ子さん、清川虹子さん主演で大映映画『馬賊芸者』(島耕二)が作られている。なので、当時は「馬賊芸者」や「消防芸者」は、みなさんご存知だったということだろう。このあたり、シリーズ全作のシナリオを手掛けた笠原良三さんのうまさである。

 で、池内淳子さんとの浮気もパーになったところに、またまた淡路恵子さんが九州までやってきて、もう一度リベンジと別府行きを約束するも・・・で、前編は終わり。笑っているうちに、いつもの人たちの賑やかな出入りを楽しんで、次作に続く。これぞプログラムピクチャーの楽しみ。森繁さんが全面の大活躍だけど、三木のり平さんの例によっての動きやリアクションを眺めているだけでも楽しい。お調子者だけど、窘められると「あ、さいですか」と卑屈になる。背中を丸めた姿の哀感。『三等重役』(1952年)で、森繁さんが演じた浦島課長の老獪さを受け継ぐのり平さん、お見事!

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