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エンタツ・アチャコの『これは失禮』(1936年・岡田敬)

 前作『あきれた連中』から半年後、昭和11(1936)年8月1日に公開された、東宝=吉本興業提携の「エンタツ・アチャコ映画」第二弾。監督は前作に引き続き岡田敬。原作は「横山エンタツ・花菱アチャコ」の座付き漫才作家・秋田實。東京帝国大学文学部出身のインテリで、左翼活動(思想ではなく心情左翼)の傍ら、小説を執筆。昭和6(1931)年に、大阪朝日新聞文芸部の白石凡が、エンタツ・アチャコの漫才を観て、その面白さに、座付きの漫才作家が付いたら、より息が長く、大衆に受ける漫才になるだろうと、エンタツと秋田實を引き合わせる。

 それまで「エンタツ・アチャコ」の漫才は、すべて横山エンタツが考えていた。その発想のワンダーさは、時空を超えてもなお面白い。ただ、あまりにも突飛過ぎるものもあり、やはり大衆に「共感」されるのが一番と、エンタツと秋田さんの意見が一致。そのあたりの経緯は秋田實さんの著書に詳しい。東京を拠点に仕事をしていた秋田さんが、昭和9(1934)年の室戸台風を機に、大阪に転居し、吉本興業の専属となる。

 それから2年、吉本興業は東宝と提携してコメディ映画を連作することになり、漫才作者の秋田實さんが、脚本も執筆することになったのである。さて『これは失禮』は、後年ラジオドラマや映画でもパターンとなる「エンタツ探偵もの」のルーツ。公設市場で起きた失踪事件を、アチャコの精肉店の店員・エンタツが素人探偵として捜査する。

 昭和初期、「都会的雑誌」として都会のインテリ層、つまり「エンタツ・アチャコの漫才」を支持した大学出のホワイトカラーたちが愛好した「新青年」(博文館)に、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、江戸川乱歩、横溝正史、など内外の「探偵小説」が掲載され、探偵小説ブームが定着。この『これは失禮』の頃は、一般大衆にも「探偵小説」が愛好されていた。
 
 劇中、エンタツが名探偵について「英國のシャーロック・ホルムズ。フランスのアルセーヌ・ルパン」と語る。アチャコ「ルパンってこれ、泥棒やないか」。すでにホームズもルパンも翻案、翻訳されてポピュラーになっていたことがわかる。

 ちょうど、前年にはダシール・ハメット原作の『影なき男』(MGM・1934年)が大ヒット。前作『あきれた連中』には、R K Oのフレッド・アステア映画のダンス・ナンバーがB G Mに使われたように、P.C.L.映画はモダンなテイストに溢れていた。今回の「洒落た外国映画」のようなムードを「探偵小説」映画に求めている。

 P.C.L.マークに流れる音楽、タイトルバックの音楽は『あきれた連中』と同じ曲。肉屋の店員(横山エンタツ)、肉屋の主人(花菱アチャコ)、米屋の娘(高尾光子)、酒屋の若旦那(市川朝太郎)、八百屋の主人(三島雅夫)、魚屋の奥さん(清川虹子)、魚屋の若い衆(小坂信夫)、ピエロ(神田敬治)、菓子屋の店員(辯公)、魚屋の小僧(伊東薫)、酒屋の小僧(大村千吉)たちがテロップ入りで紹介される。この頃のP.C.L.映画のスタイルだが、名前と顔が一致するので、遅れてきた世代にはありがたい。

 舞台は(おそらく東京の住宅街にある)公設の旭市場。チンドン屋の音色で「二人は若い」(1935年・デイック・ミネ)が流れるなか、キャメラは往来から一番の中へ。「明治の菓子」のポップがいい感じ(タイアップ)の菓子屋で辯公が量り売りでお菓子を売っている。その隣は「空店」で「どんな店にも好適 御用の方は米屋まで」とある。その隣は「お茶屋」、そしてエンタツ・アチャコの「精肉店」。その隣はバナナがメインの「果物屋」、突き当たりが倉庫で、キャメラがぐるっと回って、右側には「米屋」、「魚屋」、「酒屋」、「化粧品屋」と、ゆっくりと各店舗が紹介される。

 これが昭和11(1936)年の平均的な市場の姿ではないかもしれないが、当時の庶民の暮らしぶりを想像するには、こうしたシーンは楽しい。とにかく活気がある。チンドン屋のクラリネットが奏でる「二人は若い」が延々と流れるなか、精肉店ではエンタツが音楽に合わせて尻を振って、コロッケを成形している。腰の動き、手のひらのアクション。この変な動きは、マルクス兄弟のグルーチョ・マルクスの影響を受けている。エンタツさんは、腰をグイッと上げて、珍妙に歩くのを得意としたが、グルーチョの「大股潜航歩き」がそのルーツ。それゆえ、エンタツさんは晩年、腰を悪くしてしまうが。

 で、音楽終わりに、エンタツ、両手を広げて、体を左右に振りながら、キャメラに狭って来る。シュールだなと思っていると、アチャコ「おい、気持ち悪いことすんな」。これがこの映画の第一声(笑)で、偶然ラジオに触ると突然、なり出し「相撲中継」が始まる。エンタツ、中継に夢中で、商売はそっちのけ。お客が求めても、コロッケも、カツも、お肉も「売り切れたんですよ」と追い返す始末。

エンタツ「しかし、いいね、君、相撲ほど気持ちのいいゲームはないな」
アチャコ「体がキュッと固まるね。たまらんな」
エンタツ「好きか」
アチャコ「好きや、行司が出てくるやろ。東西〜」
エンタツ「それを聞かされますとね。いささか憂鬱を感じますな」
アチャコ「なんでや」
エンタツ「千何百年という大昔から、今日に至るまで、東西、東西の一点張りでしょ」
アチャコ「そうや」
エンタツ「東・西・南・北とあるんだから、たまには相撲も一歩進んでいただきたい」
アチャコ「なるほど」
エンタツ「なん〜ぼく〜」
アチャコ「ははぁ」
エンタツ「ねっ」
アチャコ「なん〜 あ、こりゃ具合悪いわ。南北では力が入らんわ。やっぱり東西じゃないことにはね」

と、いきなり漫才が始まる。しかもエンタツさん、どんどんボケまくる。で、いよいよ取組み。両者見合って、行事が構える。

アチャコ「まだまだまだまだ」
エンタツ「あら!」
アチャコ「あらって? あらってなんや?」
エンタツ「艶かしい」
アチャコ「ややこしいこと言うな」

で、そこから取組になり、アチャコの行司、エンタツさんが独り相撲をとる。これが例の大股潜航歩きや、腰をフリフリ、得意の珍妙な動きを延々と。そして・・・

アチャコ「おい、しっかりせえ」
エンタツ「取り組みの真っ最中、技が決まった」
アチャコ「技が決まった」
エンタツ「背負い投げ、襟がみ掴んで」
アチャコ「おい、待った。襟がみってなんや。相撲取りは裸やで」
エンタツ「冬でも?」
アチャコ「冬でもって、当たり前やないか。相撲取りが綿入れ着て、相撲を取るかいな」
エンタツ「そうか」
アチャコ「年中裸やがな」
エンタツ「それ知らんさかいに」
アチャコ「頼りないな」
エンタツ「ハハハハ」
アチャコ「笑い事じゃあらへんで」

全く本筋とは関係ない漫才が続く。今となっては「エンタツ・アチャコ」が動いて漫才をする姿は、こうした映画だけ。貴重な芸の記録である。文字にすると、どうと言うことないが、エンタツさんのボケがどんどんエスカレートしていき、アチャコさんのスピーディなツッコミがテンポを上げていく。この二人によって「しゃべくり漫才」が完成していたことがよくわかる。

 さて、ここで米屋の主人(マーケットの家主)が、倉庫に入ったまま行方不明となる。一方、精肉店では、エンタツとアチャコが、例によって漫才。と言うか、この映画では二人の会話が全て漫才となる。「今、何時?」「6時5分や」「時計が5分進んでいるから6時や」「6時? 頼んだで」とエンタツが勝手に帰ろうとする。

アチャコ「おいおいおい。なんちゅう言葉や。それが君、主人に対する言葉か?」
エンタツ「主人?(あたりを見渡して)主人いるのかい?」
アチャコ「僕が主人やないか」
エンタツ「あそうか、僕が主人か?」
アチャコ「そうやがな」
エンタツ「じゃ、君は、どうなるんだ?」
アチャコ「僕は、召使、いや、違うがな。いや、僕が主人や」
エンタツ「僕はわかってるんだけどね。君の立場がわからないんだよ」
アチャコ「つまり、僕はね、この家の召使、いや違うんや。僕が主人で、君が召使や」
エンタツ「ハハハハ」
アチャコ「笑いごっちゃない。君に、僕は、月給渡してるやないか、毎月、毎月」
エンタツ「月給?月給? そう言われると、いささか寂しく覚えるね」
アチャコ「なんでえな?君」
エンタツ「19円80銭ぐらいを月給と言わんやろ。月給と言うのはね。少なくとも500、600円を持って、日本では月給と称するんだよ」
アチャコ「なるほど」
エンタツ「頼むで」

ことほど左様に、すぐに漫才になる。これが徹底しているので、楽しい。秋田實作の漫才が楽しめるし、エンタツの珍妙なリアクションは時空を超えて実におかしい。

 で、メインのストーリーは、米屋主人失踪の謎に、エンタツ探偵が大きな天眼鏡を持ち出して、挑むと言うもの。この捜査に様々な、市場の人々の人間模様が絡んでくる。中でも、三島雅夫さん!僕らは戦後の映画やドラマで、少し悪びれた三島雅夫さんを観てきているので、若い時の芝居は新鮮に見える。でも、最初から「三島雅夫」のままなので、妙に関心してしまう。

 映画的なギャグは、引き戸に残された指紋を、市場の人々全員の指紋と照合するシークエンス。誰一人、適合する指紋がなく、アチャコさんもシロ(当然だけど)。ならば探偵役のエンタツは?と詰め寄られて、渋々照らし合わせると、なんとエンタツがクロ?なんのことはない、精肉店の引き戸だから・・・というオチ。

 また、ドタバタシーンで、アチャコが冷蔵庫に入ってしまい、カチンコチンの冷凍になる。さぁ、どうしよう。みんなでお湯をかけて、解凍して息を吹き返すアチャコ。当時は大爆笑だったろう。このギャグは、はるか後、渡辺祐介監督が『祭りだお化けだ全員集合!!』(1972年)で、冷凍庫に閉じ込められたいかりや長介が同じように冷凍状態となる。くだらなさの伝統がここにもある。

 ここからの展開は、映画をご覧いただくのが一番。かつてキネマ倶楽部でV H Sが発売され、C Sでもしばしば放送されていたが、なかなか観るチャンスが少ない。YouTubeには『これは失礼』の漫才シークエンスがアップされているので、片鱗だけでも、エンタツ・アチャコの姿を楽しむことができる。



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