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『ビルマの竪琴』(1956年・日活・市川崑)

 市川崑監督。2001(平成13)年の「かあちゃん』でもその演出力の確かさと、創作意欲の豊かさをスクリーンで証明した文字どおリ、日本映画が誇る名匠である。

 画家志望だった市川は、伊丹万作の『国士無取』(1932年) を見て映画界に入ることを決意。アニメーターとして草創期の漫画映画を手掛け、東宝で『エノケンの誉れの土俵入』(1940年)などの助監督をした後、昭和23(1948)年に新東宝の『花ひらく』で監新テビューを果たし、平成19(2007)年の『ユメ十夜』(第二夜)まで現役であり続けた。

 この『ビルマの竪琴』は、竹山道雄のベストセラー小説(プレスシートによると戦後初のベストセラーとある)を、『恋人』 (1951年)以来、市川作品をシナリオで支えて来た夫人でもある和田夏十が脚色。戦後10年目の昭和30(1955)年10月にクランクインして、翌31(1956)年1月に公開される予定で製作が進められていた。しかしビルマへの入国許可がなかなかおりす、仕方なく国内ロケとセット撮影した部分を編集して『ビルマの竪琴第一部』として、1月21日に劇場公開されている。

 しかし、なんとかビルマへの入国許可がおりたために、「第一部』公開三日前にロケ隊が出発し、その後ポストプロダクションを経て『第二部』が完成した。そうした経緯があったため、市川崑は『第一部』にもビルマロケをインサートし、より完全に近い形での総集編が作られることとなった。

 このロケの効果は絶大で、オープニングの「ビルマの土はあかい、岩もまたあかい」とテロップが出るファーストカットの荒涼たる風景。水島が僧侶姿でさまよう場面など、映画によりいっそうのリアリズムを与えている。

 太平洋戦争末期の昭和20(1945)年7月、戦況は悪化し、ビルマ(現・ミャンマー)の日本軍は隣国タイへ逃げようとしていた。井上隊長(三国連太郎)率いる井上小隊もまたビルマからタイへの脱出を試みている。そこから映画は始まる。

 井上隊長は音楽学校出のリベラリストで、隊の士気を高め、兵隊をリラックスさせるために合唱を奨励。なかでもビルマの楽器・竪琴に似せて手製で作った楽器を得意としていたのが水島上等兵(安井昌ニ)。彼が隊長の命で竪琴を弾くと、疲弊していた兵隊たちがオードウェイの「旅愁」を歌い出すファースト・シークエンス。朗々たる合唱が戦地につかの間の休息をもたらす。

 いうまでもなく、この作品は音楽が重要な要素になっている。続く、タイ国境に近い村で歓待を受けた小隊が、イギリス軍の罠に嵌ったことを知り「ああ玉杯に花うけて」を歌いながら脱出を試みる。武器弾薬のつまった荷車に乗った水島が「壊生の宿」を弾きはしめ、小隊が合をしながら戦闘準備に入ると、イギリス軍が「地生の宿」を歌いながら集まってくる。それに応えるように水島が竪琴で「埴生の宿」を奏で出す。日本兵が伴奏し、イギリス兵が歌う。「音楽の力」による感動的な名シーンだ。このシークエンスの後、すでに停戦となっていることが明らかになリ、小隊はイギリス軍に投降することになるが、観客は日英軍の「埴生の宿」に「平和」を感しることができる。

 やがて、水島は、終戦を知らす三角山に立てこもっている三橋達也たちの守備隊に投降を呼びかけるために説得に向かう。投降を拒否する守備隊は時間切れの総攻撃で全滅してしまう。この映画の唯一の戦闘シーンがこのシークエンスであるが、あまリにも重く悲修に描かれている。だからこそ水島の弾く竪琴のメロティの清々しさや、歌をうたい平和を謳歌することの尊さがより際立ってくる。

 映画は、そのまま行方不明になってしまった水島を探す井上小隊と、僧侶姿になってさまよう水島上等兵の物語となる。前半、馬場一等兵(西村晃)に、竪琴がうまいから「いっそこのままビルマに住めば」とからかわれた水島が、国に帰りたいと本音を漏らす。その前にもサロン姿で偵察に行った水島が、現地人の盗賊に身ぐるみ剥がされ、腰ミノを付けて仲間に、まるで現地人のようだ、と笑われるシークエンスもある。

 戦闘で九死に一生を得た水島が、僧侶の衣装をまとい、仲間の待つムドンの収容所に向かおうとする。この時点で水島の僧侶姿は、あくまでも衣装にすきない。他の兵隊のように「日本に帰りたい」と願っていた水島が、その姿を隠し、なせビルマに留まろうとするのか。戦争が水島の心にもたらしたものは何だったのか。クライマックス、仲間たちは信侶が水島と気付いて声をかける。「埴生の宿」をうたい出す仲間たち。それに呼応するように竪琴を弾く水島。「戻ってこいよ」と呼びかける仲間。そこで水島は黙って「仰けは尊し」を竪琴で演奏する。このシークエンスも「音楽の力」に溢れている。黙って頭を下げて去って行く水島の姿は、強烈な印象を残す。

 『ビルマの竪琴』は、「戦争と平和」という普遍的かつ深淵なテーマを描いた傑作として、同年度のアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、ヴェネチア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞を受賞。昭和60年には市川崑自らリメイクしている。

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