写真と日常 #10 【写真はどこへ?】
(写真はどこへ?)
その昔、カメラは家族を撮るための、世のお父さんたちの持ち物だったように思う。
翻って令和の現在は老若男女問わずカメラを使う時代ですが、スマホも含めるとほぼ全ての地球人が写真を撮る時代になりました。
写真家・職業カメラマン・写真愛好家・アマチュアカメラマン・写真趣味人等々、呼び表し方は他にもあるとは思いますが、とにかく撮る人は多い。
唐突ですが、自分がこの世を去ったあと、撮りためて来た写真たちはどうなるのだろうかと考えることがあります。
たぶん、プリントした写真やフイルム、データとしてプールしてある写真たちは、せいぜい子供か孫のあたりで保管期限が切れてどこかへ消えていくのだろうと思う。
先日、トランプさん銃撃事件が報道されましたが、星条旗をバックに彼が拳を突き上げていたあの写真のような後世に残るだろう写真は別として、フォトコン入賞等をされた方の作品まで含め、ほとんどの写真たちはこの世から消えゆく定めかと。
ブレッソン・ロバート フランク・アンセル アダムス・キャパ・ユージン スミス・ジャンルー シーフ・マイケル ケンナ・キムラ イヘイ・ドモン ケン・モリヤマ ダイドウ・アラキ ノブヨシ・ハービー ヤマグチ・タツキ ヨシヒロ 数えきれないほどの、しかし一握りに満たない伝説級の写真家たちのような一枚の写真をいつかは撮りたいと願って今日もカメラを手にする人たちは世界に大勢おられると思います。そんな夢を叶えるべく奮闘している方たちを素直に尊敬し、そのエネルギーに対しつくづく凄いなと思います。
上記に上げていない写真家の中に、「ビビアン・マイヤー」というアメリカの写真家がいたことを知っている人も多いのではないでしょうか。
彼女は生前に一度も自分が撮影した写真をどこかに発表したことがなかったそうです。亡くなってから大量のフイルムが発見され、のちに一部のコレクターたちによって世間に公開されたとのこと。
彼女は何を思って写真を撮り続けたのか? 不思議でなりません。
名声を望むでもなく、金銭を欲したわけでもなく、ベビーシッターの傍ら空き時間を利用してただひたすらに写真を撮り続けたのだとか。
叶わない望みだが会って聞いてみたかった。「なぜ写真を撮り続けているのですか?」と。きっと「理由なんてないわ、ただ好きだから撮っているだけよ」と言われるのかな。
発見されたフイルムは未現像のものも多かったようです。とすれば、彼女は眼前の情景をまるごと封じ込めることが出来るカメラという魔法の道具を愛し、撮影行為そのものが好きだったのではないかと思いました。
そして撮らずにはいられない衝動のままに、ひたすら撮り続けたのではないかと。
私は彼女にこそ、自分が写真を撮る意味を見い出しています。
いつかは消え去ることになる自分の写真たち。でも、今を存分に楽しもうと思う。それで良いのではないかと思える。そうでなければビビアンに鼻で笑われる。「三沢の犬」に吠えられる。
(長文失礼しました)
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