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車にまつわるエピソード2 グロリア(プリンス&日産)

1960年代から1970年代にかけて、ひときわ魅力を感じる車があった。プリンス自動車のグロリアである。プリンスはニッサンと合併したから、ニッサングロリアとなって行ったが、私は2代目のプリンスのグランドグロリアと、3代目のニッサングロリア(実質はプリンスグロリア)に特に惹かれた。


プリンス グロリア (2代目)

私流の言い方方をすれば、当時、平社員は軽四かパブリカなどの小型車、課長クラスはコロナなどの中型車、社長はクラウンなどの大型車というイメージが日本にあった。
大型車にはトヨタのクラウン、日産のセドリック、三菱のデボネア、ただ大きいだけで人気の無かったいすゞのべレルなどがあったが、ひときわ高級感を漂わせていたのが、プリンスのグロリアだった。
威風堂々の感が漂う 2代目グロリア(プリンス)

とりわけ2代目のグロリアには2,500㏄で3ナンバーだったグランド・グロリアがあり、ひと際カッコよく映った。ステータスシンボルの頂点のように感じた。
そのグランド・グロリアは、外から眺めて凄いなぁーと思うしかなかった。だがその後、3代目のグロリアに乗る機会が2度あった。
そのエピソードを記してみたい。


3代目のグロリア。
縦目と、車体横に入った直線のロイヤルラインが特徴的だった。

最初の機会は、プリンスモータリストクラブが主催するハイウェーラリー参加の時だった。
当時私は富山に住んでおり、スキーに明け暮れていたが、ラリーにも興味を持ち始めた。そしてスキーで知り合った渋谷勇二さんのお父さんが北陸道路という舗装関係の会社を経営されていた。

そのお父さんがグロリアを所有され、ユーザー団体である地元のプリンスモータリストクラブ富山の会長でもあった。そんな立場もあり、グロリアを貸すからラリーに出てくれるとありがたいとのことで、息子さんの勇二さんがドライバーで,私がナビで出ることになった。

このラリーは、ドライブラリーの延長のようなもので、東京と大阪の両方から同時スタートし、中間の静岡で高速道路から一般道に降りて走るものだったが、我々は成績はメチャメチャだが、会長の面目も立てたいから、とにかくゴールを目指した。

メインドライバーの勇二さんは、とても運転が上手いが、明け方眠気に襲われた。そこで「おい、運転を代わってくれ」となり、私が運転。だが、そんな大型車を運転したことが無いので感覚が掴めない。車幅の狭い右カーブで一瞬ハンドルが遅れ、溝に落ちそうになった。それで再び勇二さんにハンドルを渡してホッとしたのを今でも鮮明に覚えている。

この車は確かに高級車だとは思ったが、乗っていて特別リッチな気分になったという感は無かった。

それから数年後、私はラリーを専門職とする為、日本アルペンラリーを主催する日本モータリストクラブ(JMC)に入った。このJMCは日刊自動車新聞社の子会社であるが、数年後にこの新聞社は会社更生法適用となり、管財人がプリンスから来た人だった。管財人専用の車は3代目グリリアだった。


3代目グロリア 
黒塗りが、グロリアに一層の重厚感を与えていた、

ある年のJMCデー&ナイトラリーで北軽井沢のホテルにゴールするときがあった。
私は先行車としてラリー全コースを走ってきているのだが、新聞社の部長が、「おい茶木君、スポンサーの担当者を軽井沢の駅まで送ってくれないか。車は社長のグロリアを使っていいぞ」と言う。

少々疲れていたが、《グロリアに乗れるなら行くか》と思い、走り出した。北軽井沢から軽井沢駅まで約30~40分の道のりだが、往路は全て下り。ということは復路は全て上りになる。2,000CCの黒塗りのグロリアは軽井沢の街並みにはよく似合い、写真にするにはカッコ良いとは思うが、如何せん力が無い。当時のエンジンはたったの約100馬力。

ワインディング道路を、喘ぎあえぎ登っていくしかない。《こりゃ、社長車として街中では良いが、アップダウンのあるところには向かないなぁー》と思いながら、走ったのが印象的だった。

この車を見る度、その2度の社長車運転のことを思い出す。

#高級車 #グロリア #プリンス #軽井沢 #ニッサン #グランドグロリア

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