天童よしみ、フジコ、ハラミちゃん・・・輝く3人から学んだもの
■天童よしみのオーラ
武田鉄矢の歌番組「昭和は輝いていた」を見ていたら、天童よしみが出ていた。
個性的な顔立ちと衣装で印象深い人だが、彼女の生い立ちを綴った箇所が上映された。
歌はもちろん上手いが、なかなか売れなかった時代は、ただ歌っているだけにしか見えなかった。
だが、黒のパンタロンにグリーンのジャケットを着て、ヒット曲「道頓堀人情(とんぼりにんじょう)」を歌った時の立ち振る舞いが、私に感動を与えてくれた。
ステージの上で踊る訳でもない、特別なパフォーマンスをする訳でもない。でも、その全身から、周りの空気を圧するオーラを感じた。
手の動き、足のわずかな動き、少し動いたジャケットの前身頃(まえみごろ)の端にも、自信が溢れ出しているように感じた。
努力は嘘をつかない。永年の努力は所作ににじみ出る。
あぁ、これは永年の努力から来る自信が、そのオーラを発しているのだと思った。
彼女が、いつも以上に輝いて見えた。
■フジコ・ヘミングの颯爽とした言葉
フジコ・ヘミングは有名なピアニストである。ピアノ演奏のプロである。
その彼女が、こう言った。
「間違ってもいいじゃない。機械じゃないんだから」
下手な人が言うと、ただの言い訳にしか聞こえないが、彼女が言うと「えっ、本当!」と驚いた。
確かにその通りだと思う。間違えないで一曲弾くなら、音楽CDに任せておけばいい。でも人間がやることだから、どんなプロだってたまにはミスるだろう。そこに生演奏の味があり、面白みがある。そう思うようになった。
日本では、昔から「間違えてはいけない」という空気があると思う。だから「間違えたらどうしょう・・・間違えないように、間違えないように」と気持ちが萎縮し、身体も委縮する。
それでは、楽しいはずの音楽が、楽しくなくなる。
次元が全く違うが、私はギターを弾く。間違えることなどしょっちゅうある。でもこれからは「間違えたら、私がアドリブでアレンジしたのよ」と思うことにして、それが当たり前のこととして、先に進むことにする。
関連して思いだすことがある。
★ 弾き語りのギターの師匠が、あるとき言った。
「歌詞を忘れたら、なんでもいいから適当に作って歌え。何も言葉が出て来なかったら、ハミングしろ。それが当たり前のような顔をして先に進め」
「誰も正確なことを求めているんじゃない。楽しければいいんだ。だからリズムに乗って先に進め!」
★ 知人の有名弦楽器奏者も、「演奏中、2回も間違えちゃった」と言った。凡人である私には、何処で間違えたのかは全く分からなかったが、それを言えることが凄いことだと思った。
車の運転は、間違えると事故になるが、音楽は間違えてもいいじゃないか。音楽は楽しめればいいのだから・・・フジコ・ヘミングの言葉は、まさに音楽を楽しむことを教えてくれたと思う。
フジコさん、安らかに。そして有難う。
■ハラミちゃんが演奏すると踊りだすピアノ
最初はピアノが弾けるただの若い女性と思っていた。
彼女は年齢も本名も不詳。化粧も今時の若い子がそのもの。ネーミングもTVに出るタレント風。だから「ふ~ん」と気にも留めなかった。
だが、NHK番組「街角ピアノスペシャル・ハラミちゃんロンドンを行く」を見て、驚いた。
彼女がひとたびピアノの前に座り、ポップスの音楽を弾き出すと、ピアノが生き物のように音を出してくる。
まるでピアノ自身が、「私の最高の音を出してくれる奏者を待っていたのよ」とでも言っているかのようだ。
そして、奏者のハラミちゃんとピアノが手を組合い、一体化してダンスを踊っているかのように感じる。
ピアノと言うとクラッシック、クラッシックと言うと固いイメージが付きまとうが、彼女が弾くと、まさに音を出す楽器という原点を教えてくれている気がする。
この輝く3人から、「音楽も歌も、楽しむもの」を改めて学んだ。
それにしても、3人ともカッコいいねー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?