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羽田の航空機衝炎上事故 要因と報道への歯がゆさ

新聞の3つの使命と、2つの報道タイプ


2024年1月2日に起きた航空機衝炎上事故は、連日にわたり新聞報道された。
だが、どうも上辺(うわべ)だけの報道内容で、「もどかしさ」と「歯がゆさ」を感じる。

新聞には、三大使命がある。
1・権力の監視
2・真実の報道
3・公共性の維持

そして報道には、2つタイプがある。
1・調査報道
2・発表報道

多くの場合は、その調査報道と発表報道の両方が混在すると思うが、それらを踏まえて「真実の報道」について、触れてみたい。
権力を監視するのが新聞の使命なら、ちょっと大袈裟かもしれないが、読者は新聞を監視する義務があると思うからだ。


「重なった誤算」は、最初から分かっていたこと


この事故の要因について、7日経った1月9日の紙面で、「重なった誤算」という見出しで、ようやく報道された。
「7日も経った今頃になって、何よ!」と思った。

まぁ、それはさて置き、報道内容は次のとおりである。
1・海保機が、無線指示の内容を「進入許可と認識」したこと。
2・JAL機が、滑走路上にいる海保機を視認できなかった。
3・指示を出す管制が、モニター画面上での異常を示していたことに気付かなかったこと。

しかし、そんな3つの要因は、事故直後に私にも分かることだった。だから事故直後にnote記事として書いた。

1の進入許可の勘違い

海保機が、#1の離陸順番を、進入許可と勘違いすることは、人間だから「ミス」はありうる。

2の安全の視認確認怠りの件は、両機ともに言える。


多くの人は、管制塔からの指示は絶対と思うかもしれないが、危険だと思えばいつでも離脱できる。
また、管制からの無線指示は、着陸機に対してはタワー無線がおこない、地上移動(タクシング)はグランドコントロールが行い、それぞれにVHF(超短波)の周波数が違うから、双方が相手の動きを無線で全てを把握は出来ない。
地上移動している機には、誘導路から滑走路に入る直前にタワーコントロールに切り替えよ、の指示が出る。
逆に着陸した機には、滑走路から外れ誘導路に入る直前に
グランドコントロールに切り替えよ、の指示が出る。
その切り替えの境目があるということは、航空関係者なら知っているはずだ。

そのこともあるが、とにかく自分で安全を確認する義務があると認識していれば、海保機は滑走路に入る手前の停止線で、右手から侵入してくる着陸機を視認できる。夕
暮れ時でも着陸機は着陸灯を点灯するから視認できる。まして羽田は過密状態だから絶えず着陸機が次から次へと進入して来るから目視確認するのは、当然だろう。

一方のJAL機も、滑走路に障害物はないかとの目視確認の意識があれば、目視で来た可能性は高い。
つまり、両機とも「管制の指示は絶対」という気持ちが強いと、自分での安全確認はおろそかになる。

ただ、接地直前になって視認出来た場合は、回避行動はまず無理ではあることを補足しておきたい。
接地寸前の状態は、エンジンパワーを相当絞っている。やっとの状態で空中に浮いている状態だから、その段階でエンジンパワーを全開にしての着陸復行(ゴーアラウンド)は、まず無理であろう。
エンジンパワーは、スロットルを全開にしても、速力は瞬時に反応しないからだ。速度が出ないと揚力は出ない。つまり再び上空へ上がることが出来ない。

3の管制モニターの画面表示

だが、これは管制の支援をするもので、これを見落としたのはミスだが、人間である以上、見落としはある。
だから国交省は、その監視員を増やすことにしたのである。

事故は往々にして、悪い要因が重なった時に起きる。
今回の事故は、この3つが重なって起きた。


報道への もどかしさ と、歯がゆさ


その3つの要因を、7日後にようやく報道したということは、次の2つのことが言えるだろう。

その1:取材する側に、航空に関する知識が、ほとんど無い。
その2:国交省や関係機関が発表する「発表」だけをベースにしている。
この2点が私に「もどかしさ」を感じさせた。
発表だけに頼ることなく、真実の追求は記者の責務だと思うからである。


新聞協会の「新聞の公共性と役割」の文に、次のようにある。(部分要約)
・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞は歴史の記録者であり、真実の追求は記者の責務です。発表に頼ることなく、地道な取材を通じて掘り起こされた歴史的ニュース、公的機関や企業が抱える問題の追及や記事を通じた問題提起が、社会の不条理をただすきっかけとなった例は枚挙にいとまがありませ ん。
・・・・・・・・・・・・・・・・


不適切な使い方・・・「教官」文言

さらに2日後の1月10日の新聞には、民間飛行機会社のことなのに、「教官」という言葉を使った報道がなされた。
これが私に、「歯がゆさ」を感じさせた。

その報道では、「元教官の経験もある客室乗務員は・・・」と記述されていた。
これには少々の憤りを感じ、すぐに新聞社にA4二枚に亘る丁重な意見書を送った。
内容は「自衛官、警察官、裁判官は確かに官だが、民間会社に官はいない」というものだ。

すると半日後に新聞社の責任者から返事がきた。自己弁護するのは当然かもしれないが「言い訳」ともとれるような内容だった。
(返事の要約)
1・辞書によっては近年「私立大学での教授を教官とよぶこともある」から使った。
2・以前、民放のドラマ(TBS)のスチワーデス物語で、教官という言葉をつかっていた。だから記者が書いた文を、容認するような形で使った。

ただ、「今後も文字に敏感でありたい」との記述があったので、少し溜飲が下がった。

それで、締めくくる意味で、私はさらに次の文を送って終わりにした。
■1の辞書にあるからとはいうが、日本語でも英語でも、同じ言葉でも意味が、その1、その2、その3というように、複数ある。
したがって辞書にあるから使ったというのは、使い方が適切ではないと思う。
■2のドラマ「スチワーデス物語」で使っていたから使ったというのは、本来逆であるできではないか。
そのドラマを見ていた某有名パイロットは「日本航空はいつから国営になったの?」と辛辣に批判した。
■新聞は「文字」が命ですから、適切な言葉での報道を強く望みます。

新聞が世の中から無くなれば、正しい情報が得られず、世の中混沌としたものになるだろう。
新聞の記事は、信頼性が高いから、年間約5万円のお金を払って買っている。
だからこそ、新聞には素早くて、真実の報道を適切な文言で願う次第である。

#新聞 #報道 #羽田航空機事故  

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