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ゼロファイター世界を翔ける男  第5章 空への恋慕



第5章 空への恋慕


1・“パイロットへの道”模索


神奈川県の浦賀から汽車に乗って、故郷の三笠駅についたのは、奇しくも太平洋戦争開戦と同じ月日の12月8日であった。

〈家族は、俺が死んだとおもっているだろう。一つおどかしてやれ〉
「ただいま、靖弘の幽霊ですよ~~」。
「おお、靖弘か。元気だったか」、と父は一つも驚かない。
「あれ? 何で驚かないの?」
「お前の生きていることは知っていた。でも仏壇の前にお前の白木の箱がある。開けてみたら」と言う。空けてみると空の箱には、紙が一枚入っていただけだった。
紙にはこう書かれていた。
「故・海軍飛行兵曹長 菅原靖弘の霊」。本当は上等飛行兵曹なのだが、戦死扱いなので一階級昇進して書いてあった。

日本軍は、菅原がアメリカの捕虜になったことを、アメリカからの短波放送で知っていた。だから、給料は支払われていた。
しかし終戦と同時に、軍が解体したのもだから、混乱のなかでなにがどうなったのかは分からないが、戦死したことになった。それで北海道庁から戦死通知が届いたのである。
父はその戦死通知よりも前に、ある一通の葉書を受け取っていた。
“貴殿の息子、菅原靖弘さんは元気で生きていますよ。今ハワイの捕虜収容所にいますが、近いうちに日本に帰って来ます”
ハワイから一足先に日本に帰った捕虜の一人が、知らせてくれていたのである。

「靖弘、そんなわけでお前が生きていることは分かっていた。でもどうしても、取りに来てくれというから、札幌までその白木の箱を取りに行ってきたのだよ。そしたら今度は地元の役場が、葬式を挙げるというので、さすがにそれは断ったがね」。
「なるほど。そういうことだったのか」。
「靖弘、ところでお前が捕虜になっている間も給料は毎月50円が郵便局に振り込まれていて、全部貯金してある。ワシの貯金と合わせて、農地を買い足さないか」。そう提案してきた。

菅原は長崎の大村航空隊のとき、毎月の本俸50円は北海道の自宅に郵便局経由で送金できるように手続きをして、手当の航空加俸45円は手元におき、小遣いにしていた。それだけあれば十分であった。
航空手当ては30円で、さらに戦闘機乗りは5000メートル以上の高高度にあがるので、高高度手当てが支給され、合計の航空加俸は45円となった。5000メートル以上の高度になると空気が薄くなり、何の予兆もなく突然意識がなくなる。だからそれ以上の高度になると酸素マスクをつける。高高度手当てはその危険手当だった。

父は靖弘と畑仕事をしたいから、農地買い足しの提案をしてきたのだ。靖弘はパイロットになりたいから土地の購入にはあまり関心がなかった。しかし、父が喜ぶならそれもいいだろう、と同意した。結局、10町歩、3万坪を購入した。これで合計17町歩、5万1千坪の土地となった。
「靖弘、これからどうする? 東京や空襲でやられた都市では食糧難らしいが、家には畑があるから、その点は大丈夫だ。でもそれだけという訳にもいくまい。兄の勤めている炭鉱会社に行かないか。正社員ではないが、現場採用の鉱員としてだ」。
「そんな働き口があるなら、そうするよ」。
神童と呼ばれた長兄は、札幌から地元に帰り、炭鉱会社に勤め、今では幌内鉱の炭鉱組合の書記長となっていた。
靖弘は再びパイロットになりたいが、いま復員したばかりなのに、父にそんなことは言えない。それに日本では航空は禁止されていたから、すぐにと言っても無理なのである。菅原は、炭鉱の採用試験を受けた。

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