択捉(エトロフ)島の大きさにビックリ
つい先日、NHKの放送で、「エトロフ遥かなり」を見た。
択捉(エトロフ)島で、私の脳裏に真っ先に浮かぶのは、単冠湾(ヒトカップワン)、そして大日本帝国海軍の機動部隊がここに秘かに集結し、1941年11月26日に真珠湾攻撃に出航したことである。
私がまだ若かったころ、サイクリングキャンプで訪れた知床半島の羅臼町海岸で、ウェットスーツを着て泳いだことがある。その時、海を隔てたすぐ目の前に国後島が見えた。
エトロフ島はその国後島のさらに向こう側にあるあるから、そこからは見えない。
それもあってか、国後島やエトロフ島は、北海道の北東に繋がる島で「小さな島」という認識であった。
ところが、これが大間違いで、実は国後島は、沖縄の約1.2倍の大きさであり、エトロフ島はさらにその2倍ある。
つまりエトロフ島は沖縄の2倍以上の面積を誇るのである。
エトロフ島は、日本本土4島(本州、北海道、九州、四国)に次ぐ5番目に大きな島だと知った。
★NHKがドラマ化した「エトロフ遥かなり」
この「エトロフ遥かなり」は、佐々木譲氏による日本の小説『エトロフ発緊急電』(エトロフはつきんきゅうでん)を基に、NHKがドラマ化したものである。
内容は、第二次世界大戦前夜、日本海軍の動向を探るため、憲兵に追われながらも単身日本(東京〜エトロフ島)に潜入した日系アメリカ人スパイと、それとは知らずに恋に落ちる薄幸な女。
そして彼らを取り巻く、様々な思いを抱く人々。戦争に翻弄される人々の過酷な運命を描いたものである。
★機動部隊の集結が、なぜ単冠湾だったのか
なぜ、機動部隊の集結に、このエトロフ島の単冠湾が選ばれたのか。それは幾つかの理由がある。
一つは、当時のエトロフ島には人口が少なく、本土から遠く離れているので、秘密が漏れないようにするのに適している。
(人口:1945年8月時点で3,608人)
二つ目は、機動部隊がアメリカ軍の偵察で見つからないよう、北太平洋を東に進むルートの出航地に択捉島の単冠湾が適地であったこと。
さらに単冠湾は、大規模な機動部隊が集結できる広さがあり、空母が停泊できる深さを備え、さらに真冬でも凍らないという特徴があったからだ。
ある資料には次のように記されている。
1941年(昭和16年)11月20日、海軍により突如、あらゆる船の島への入出港が禁じられ、また島唯一の紗那郵便局は通信業務を停止させられて電信機には常時、水兵の見張りがついた。
そして情報統制下の単冠湾に南雲忠一中将率いる航空母艦6隻を含む軍艦30隻の機動部隊が秘密裏に集結、真珠湾攻撃のため11月26日にハワイへ向け出港していった。
この島外との徹底した情報の遮断は太平洋戦争が開戦した12月8日まで続けられた。
★作者の佐々木譲氏に敬意
それにしても作者の佐々木譲氏(1950年生まれ)は、よくこれだけの描写ができたな~と感心する。作者は、私と1歳しか違わない。つまり戦後の生まれである。
そして択捉島や国後島には、戦後は簡単には入れないところである。
だから、どのようにして、エトロフの詳細なことを知ることが出来たのだろうと思った。
それで調べてみると、彼は北海道夕張市の生まれで、父は択捉島出身、母は樺太からの引揚者だった。
推測だが、それゆえ彼はこれだけの描写が出来たのだろうと思った。
この番組により、地理を知り、歴史を再認識させて貰えたことに、感謝したい。
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