見出し画像

犬連れタイ移住 妻が急逝 永遠の別れ



妻がコロナ感染


アクセスして頂きありがとうございます😊
いよいよ表題の件について報告しなければなりません。
前回の記事(人生最悪の大失敗 タイ移住 大動脈解離 無保険で 手術 入院)で書きました様に私がコンドミニアムのフィットネスジムで無理し過ぎて 大動脈解離 になってしまい生死の境をさまよう入院から退院して、妻が面倒を見てくれていたのですが、心身を擦り減らすストレスから妻が新型コロナウイルスに感染してしまいました。(新型コロナウイルスである事は亡くなる当日の診察結果で初めて知りました)
退院して自宅コンドミニアムに居た私は手術後7日で退院したため胸骨の治癒がまだまだ不完全で寝返りをうったりクシャミをするのさえ不自由な状態でした。
寝ている最中に寝言を言っていたようで
「夜中唸ってるから一緒に寝られないヨ」
と言われてしまい 妻はソファで寝ました。
退院後1週間程すると夜中に妻が咳き込んて居る時がありました。
ここで直ぐに妻の体調回復に務めるべきだったのですが、お互いに手術した私の体調回復の方を優先してしまいました。
多分妻は無理をしていました。
体調が悪いのに毎日私の好きな食べ物を買いに出掛けて居ました。
そしていよいよ具合が悪くなってしまい
「私ちょっと病院行ってくるね!」
と言って甥っ子のタクシー運転手と病院に行ったのが亡くなった当日の朝でした。
2時間程で帰って来ました。
「コロナだって。自宅で休んでろって。」
と言ってソファの前にマットを敷いて横になりました。
この時にパンデミックから3年目でコロナウイルスに対して危機感が薄れてしまっていた私達(だと思います。妻もコロナでちっとも危機感は無かったように思います)はコロナと言われてむしろ少し安心してしまった様な気持ちになってしまいました。これが大変な落し穴になってしまったのだと思います。
ウイルスの型は変わっていますが2020年に感染が拡大し始めた頃の
「コロナウイルスは1時間で容態が急変する事がある。」
と言う事実を過去の事例として考えてしまっていました。
「今のコロナは感染しても大丈夫ダヨな」
なんて考えていたのです。
周りに居るタイ人の知り合いたちも2回感染3回感染なんて人がゴロゴロしていました。
実際私もその頃はだいぶ身体も動かせるように回復していたので食事の支度とか片付けも私がする様にしました。
昼食までは何も異変はありませんでした。
妻が
ちょっと立ち眩みがする
と言っていたので私もWEBで調べた立ち眩みのツボなんかを押してあげたりしていました。

妻が心の底から愛したサクラと

 

妻の容態急変!

妻が急に苦しそうになってきたのは2:45くらいからです。
私「もう1回病院行ったほうがいいんじゃ無い?」
妻「そうだね 入院したほうが良いみたい」
と言う事で 妻が自分で救急車を呼びました。3:10くらいだと思います。
その直後 妻の意識が突然混濁し始めました。薄目を開けた目の焦点が合っていません。
ビックリして妻の名前を大声で呼びながら身体を動かすと1回だけ意識が戻りました。自分で枕の位置を直して薄目を開けたのですが1分とたたないうちに再び意識がなくなってしまいました。
そして呼吸が浅くなってきました。
「エッ なにこれ!」
突然の容態急変に脳がついていけません。
大声で名前を呼び続け覚醒に努めたのですが 妻はもう帰って来ませんでした。
最後に少し大きめの呼吸をして それきり呼吸が止まってしまいました。
私も焦りながら心臓マッサージとマウストゥーマウスの人工呼吸を妻の名前を大声で呼び続けながら行いました。以前 ダイビングのインストラクターをしていた事があって救急救命は勉強した事があります。
気道確保して人工呼吸
自分の心臓がバクバクしているので妻の心拍の確認が出来ません。
心臓マッサージを5回する所で大問題が発生します。胸骨が治癒していないのでしっかり押せないのです!
これでは効かない!
でもどうする事も出来ません
そんな最中に2回救急車から電話が かかってきました
ただでさえ不自由なタイ語がこんな状況での電話だと全く理解出来ません!
とにかく伝わったかどうかはわかりませんがこちらの言いたい事だけ伝えました。

水族館で

全く突然の死別


程無く救急車が到着しました。
救急隊員が3人で一生懸命妻の蘇生を試みます。
しかしそれも叶わずに妻の死亡が宣告されました
3:40位だったと思います。
ショックのあまり思考が停止しています。感情も麻痺した様な状態になっています。
まだ涙も悲しい感情も起きてきません
妻が自分で救急車を呼ぶ電話を掛けてからたったの30分で死亡?
1時間前まで普通に会話していたのに?
35年一緒にいたけどこんなに簡単に死んでしまうの?
何もかも理解が出来ません!
コロナの急変ってこんな激変になる場合もあるという事も理解する事を脳が拒否しています。
救急隊員の1人が翻訳アプリで
「あまりストレスを感じ過ぎないでいてくれ」
と言ってくれましたが 感情が停止しているので まだ何も感じていません。
続けて
「警察の検証があるので現状を触ってはいけない」
と言われました
妻はパジャマみたいな服だったので綺麗な服に着替えさせたかったので聞いてみると
「コロナなので触ってはいけません。搬送する時は密閉した状態にして搬送します。」
との事でした。
頭がパニック状態のまま警察の到着を待ちます。触ってはいけないと言われても眼を閉じたり手を組んだりくらいはいいだろうと思い信じられない感情の中で行いました。
妻の体温が段々失われて行きます。
信じられない気持ちでいっぱいです。
妻の身体が冷たくなって暫く横に添い寝して話しかけたり手を握ったりしていましたがやはりまだ思考を整理する事が出来ません。
感情の起伏が麻痺したままです。
夜の7時頃に警察が来て現場検証が行われました。私はパスポートとかVISAを調べられた様な気がします(正直もうどうでもよくなっていました)
警察が帰ると再び救急車が来て妻の搬送の準備を始めました。
大きな黒いビニールシート状の袋の中に妻の身体を収納し入口をしっかりと閉じた後に全体をもう1回黒いビニールで包んで最後にアルコールをこれでもかくらいスプレーして搬送します。
エレベーターは使用せずに3人で担いで階段から搬送していました。
後から思えば、この時の状態が病院で検視後も火葬まで続く事になるのでオシャレな服に着替えさせてあげれば良かったなと思いました。着替えた服なんか他に密閉梱包すれば大丈夫なはずですから。
最後までオシャレな妻に怒られそうです。

想い出になってしまいました

妻との35年


今これを書きながら35年間の妻との生活が思い出されます。
国際結婚していきなり全く知らない外国に来て右も左もわからない状況で留守番をして私の帰りを待っていたのだと思うと愛おしさがつのって涙が出てきてしまいます。
それでも一生懸命日本に溶け込む努力をして
友達も沢山出来たし殆ど日本人みたいな生活をする事が楽しそうでした。
子供達の幼稚園でも小学校でもPTAの役員までやってすっかり日本人でした。
私が定年退職して本当にタイに移住するといった時は妻は最初は乗り気ではありませんでした。
妻は自分の国より日本の方が好きになっていたのです。
出発の準備をしている時も最後の方は出かけた先々で
「此処はこれで最後になるかもしれない」
と 寂しそうだったのを覚えています
私はタイに移住しても1年位したら1回2人で日本に帰国して思い出の場所に連れて行こうと思っていたので出発前は妻にじっくり付き合ってやれませんでした。そして日本に2人で一時帰国 すると言う願いは叶いませんでした。
バタバタ準備して日本を出国してしまったのが日本を愛した妻にとって本当に最後の日本になってしまったと思うと可哀想で胸が張り裂けそうです。最後になってしまうのならもっときちんと好きな所を確認しながら楽しむべきでした。
もう1回日本で一緒に歩きたかった

本当に日本が大好きでした!

葬儀


妻が息をひきとった翌日に病院で検視した後LAK SIのワット ラックシーに安置されて5日間の葬儀が行われました
祭壇の後部に柩ごと収納出来る冷凍庫があってそこに柩を入れて日程を消化します。
特別にサクラも参列する事が許可されました。
私は妻が火葬されて骨になってもまだ信じられませんでした。
コンドミニアムのドアを開けて
「ただいまッ!」
って帰ってくるような気がして仕方ありません。

こんな事になるなんて、、、、


サクラも参列出来ました



思い出の海に散骨しました


妻のお骨は結婚前から2人で暮していたパタヤの近郊の海に散骨しました。
2人で住んでいたアパートの近くに散骨をしているお寺があったのでそこにしました。
お寺に向かう途中 妻のお骨に話しかけながら昔2人で歩いた街を甥っ子のタクシーで通過しました。
驚いたことに結婚指輪を買った店が36年たった今も健在でした!
こうしてタイ移住当初からは想像もしていなかった妻との死別と言う人生の大事件は一通りの結末を見ることとなりました。

想い出の海に散骨しました
動画はコチラ

膀胱癌とコロナウイルス

ここまで書いてきて妻のコロナウイルスでの急逝について改めて考えた時に 妻が膀胱癌であったという事実があります。タイ移住前の2023年の3月に診断されて それにより移住の計画を急遽大幅に前倒しして引っ越しする事になったのです。

タイに来てからは膀胱癌の症状と言えるものは全く出ていなかったのですが、私としては妻にタイの病院を1回受診してほしかったと言う気持ちがあります。その為にガン保険も解約せずに海外用の書類も取り寄せて持ってきています。日本の病院からの紹介状もあります。
妻は
「病院行って直ぐに入院なんてなったら何もデキないよ!」
「アタシが癌を感じてからで良いのよ!」
という感じで病院を拒否していました。
癌の症状が出ないまま最後を迎えてしまった訳ですが これがもし癌の症状が出て 寝たきりとかになってしまったらもっと辛かったのではないかと思います。
無理矢理ですが癌の症状が出る前に亡くなったのは癌で苦しむより少しは良かったんだよと思うようにしています。(正直私の精神が崩壊しないための無理矢理ですが)

日本を愛してくれたタイ人妻



犬連れタイ移住で楽しい話を情報を沢山書くことが出来るかな?と思っていましたが、状況が全く変わってしまいました。

次回は妻の急死によっての結婚ビザの失効と
ビザ失効によるビザラン(ビザをリセットする為に1回外国に出国して直ぐに戻って来る事)の現実について書いていきます。
ビザランもお決まりで大失敗がありました!

読んでいただきありがとうございました🙇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?