見出し画像

血と大人と青春とヒト『映像研には手を出すな(8)』

 「流血シーンはよくない」と言えるならば、それは「無くても作品としての意味や価値が変わらない」とも言える。暴力による血、生きる証としての血、恐怖演出のための血、危険を知らせるための血。それらは同じものであり違うものである。

 子供は大人よりも多くを学び、知ろうとする。歳をとるにつれて生きることをルーティンとし、自分は正しくあると信じ、子供に「こうあれ」と言いたがる。大人と子供の境目は大人が決める。もし自分と同じ力、体格、考え、ルール、行動様式をもつ5歳児が現れたら、子供として扱うのか。家族や友人の考えが、小学生と同程度だと思った時、子供に接するように態度をあらためるか。

 表現の自由の定義は日々変わり、常識は歴史と共に作られ、壊される。

 同じ志をもち、何かを目指すとき、隣にいるヒトは友人と呼ぶべきか。青春は遠くにあるほど鮮明に見え、手が届かくなるほどに自分の中の理想像は確固たるものとなる。

 本書を読んで無くした物を思い出したような気分になったのは私がすっかり「大人」になったからだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?