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努力の結果を無価値と認められるか『失敗の科学』マシュー・サイド 著、有枝 春 訳

※本書は2023/11/27時点 KindleUnlimitedの対象です

 誰しも失敗をする。そしてそれは個人だけではない。友人との計画、クラスの出し物、会社のプロジェクト、政策まで大小さまざまである。そんな失敗に対してどのようにアプローチするべきかを説くのが本書である。

 本書では、航空業界、医療業界から司法、経済などの様々な失敗やその原因、その後の当事者たちのリアクションなどが紹介されるとともに、その後の改善に向かったかなどが非常に分かりやすく書かれている。
 ただ、刑事事件なども例に挙げられているので、殺人事件などの描写が苦手な方は注意した方がよいかもしれない。

 有名な例もいくつか挙げられている。映画『ハドソン川の奇跡』にもなったUSエアウェイズ1549便の話や、爆撃機の損傷分布から生存者バイアスを考慮したエイブラハム・ウォールドの話などがそうだ。これらは成功例であるが、前者は航空業界の失敗から学ぶ姿勢、後者は一見正しそうな検討も考慮が漏れると失敗に向かいかねないという例で挙げられている。

 特に面白いと思った実験データは、恥ずかしさゆえの判断ミスと紹介された例だ。
 まず2つの学生グループに対して、「性の心理学」の特別討論会の参加資格が与えられたと告げる。しかし、その討論会には「加入儀式」があり、これをそれぞれのグループで異なるものをやらせる。1つのグループは「ちょっと恥ずかしい単語をいくつか言う」という大したことのないもので、もう1つのグループは「小説のとても過激なシーンを読み上げる」というなかなかに恥ずかしいものだ。その儀式の後は同じ討論会に参加させる。

 そしていざ討論会が始まると、事前に用意された討論の録音テープを流されるのだが、このテープが意図的にひどく退屈なものにされている。曰く、普通なら誰でも参加したことを後悔するレベルで退屈な内容らしい。

 テープが終わると討論の感想を聞かれるのだが、内容は同じにも関わらず前者と後者の間で大きな差が生まれたという。そう、大した儀式をさせられなかったグループは、テープの内容を酷いものと正直に言う一方で、恥ずかしい思いをして参加したグループはテープの内容を褒めるような感想を述べたのだという。

 気持ちはわかる。誰しも自分が代償を払ったものに対して、まずはその価値を無理やりにでも見出そうとするのだ。それが冷静に見れば失敗だと断定できる時でさえ、理由があれば失敗ではなかったと結論づけることができるのだ。そして代償が大きいほど、必死に理由を探すのである。

 これは「認知的不協和」と呼ばれる概念が影響しており、自分の信念と事実とが矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じるストレス状態を指す。そしてその状態から解放されるために、人は信念を曲げるのではなく事実の捉え方を変えようとするのだ。
 上の実験例でいうと、恥ずかしい思い(=苦労)をしてまで参加した討論会が嘘のようにつまらなかった場合、それをそのまま認めるのは苦労が水の泡、自分は愚かなことをしたということになり自尊心を傷つける。そこから自尊心を守る術は、討論会を素晴らしいものだったと思い込むことだ。

 これは一見、直接的な失敗とは思えないかもしれないがそうではない。人は失敗を失敗だったと判断できないことがあるという危険な例である。上のような実験だったらネタばらしでゴメンネ、で済むかもしれない。
 しかしこれが医療事故や刑事事件だとしたら話が変わってくる。医師による手術ミスや、警察の冤罪による起訴などが起こった時、彼らにも大きく認知的不協和が発生するのである。もちろん失うものやその後の処分などが違うことはあるが、やはり自己の行いを正当化するために自分たちの行いは間違っていないと言うケースが散見されたというのだ。

 詳しい内容は是非本書を読んでみて欲しいが、優秀な人間がなぜとんでもない失敗をしてしまったのか、起こってしまった様々な失敗をどのように活用するのか、活用しないとどうなるのか、興味深い内容が書かれている。色々な実験例や、航空業界の事故率低下の歴史、DNA鑑定が発見された頃の冤罪の例など失敗の様々な変遷が楽しめる。楽しむものではないかもしれないが、私を含めて人は自分が思っている以上に賢くはないことを再認識させられる。1年も残り1ヶ月、今年の失敗を振り返るのもまた一興かもしれない。

 ではまた。

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