棍棒飛ばし。

数日前まで愛知県蒲郡市で行われていた森道市場と言うイベントに参加していた。自分史上最大の大型イベントに参加した。こんな人が居て盛り上がる場所に自分だけでは絶対に行こうとは思わない。自分の価値観とかも大事だけど自分以外の不可抗力を大事にすることも同じ程に大切かもしれない。

何故にそんな想定外の所に自分が行くことになったのかと言うと、棍棒飛ばしの試合に出るためだ。

↑興味あればご確認下さい。動画は去年の10月に行われた試合の物です。因みに序盤で出てくるキャッチのシーン。黒い服着てるやつは自分です(すかさず自慢を放り込む)

まぁ危険なんですね笑 この競技。この10月の試合はボコボコにされました。

その時の優勝チームで棍棒飛ばしの創始者がいる奈良県のチームとのエキシビションマッチを森道市場で今回、行うこととなった。

でも奈良のチームめちゃくちゃ強いんです。練習もしてるし競技を作る側なので勿論競技を熟知してる。こちらは練習もあまり出来ずに正直、競技道具を作るので精一杯。

棍棒飛ばしは攻守交代制の野球のようなルールだ。攻撃は5人。守備は4人。攻撃側は棍棒を棍棒で叩き、その飛距離によって点数が決まる。遠くに飛ばせば飛ばすほど点が高くなる。守備は飛んできた棍棒を棍棒で打ち返して少しでも点数を抑えるために手前に弾き返したり、場外に出して0点で抑えたりする。それらのプレーの合計得点を競う。それが主なルール。

しかしこの棍棒飛ばし、個人的に思うのは攻撃が特に難しく技術の熟練度の介入が濃いのだが、その割には上達するのにはかなりの時間を要する物だということ。コツで成長や変化を感じられる余白がとても小さい。

競技道具が自然物であるが故に均一化はほぼ不可能あり、やる環境が変わればそれに左右されやすく、練習の積み重ねが中途半端だとそれが本番ではなんの役にも立たないなんて事も普通にある。

自分だけの棍棒を作り、自分だけが扱いやすい道具を作り、馴染ませて練度を高めていくか(この追求が必ずしも棍棒の形を大衆的な物にするとは限らない)。棍棒の構造的にパワーが出そうな形にしていくか。自分で自分を育てて行くか?ある程度のお手本になぞって自分をそこに合わせるか?色々と向き合い方はあるだろう。各々が向き合い方に合わせたスタイルでやるのが恐らく基本なのだろうがこちらは攻撃用(守備は守備で別の棍棒がある)の1本の棍棒を皆で使い回す。そこの時点でそれらのスタイルを各々が持つのは難しい。

だから個人的には攻撃を練習するのはあまりにもコスパが悪いなと感じていた。練習する労力に見合う成長を感じにくいと思った。

そこでチームの中で、守備で攻めようと言うことになった。勝つためにはそれしかない(自分はやるなら勝ちたいと思ってた)

守備側はキャッチと言う手段がルールで許されている。動画のように。攻撃側が飛ばした棍棒を守備側がキャッチすると相手側にマイナスポイントを与えられる。守備をしながらに攻撃が出来るのだ。

もうこれしか無いということになり、主に自分と翔太郎さんがキャッチ役を担う事になった。

でも誰にでも想像は容易く、乱回転してくる棍棒をキャッチするのは危なくないと言ったらとんでもない嘘になる。(因みに今は左腕と脚の内側を負傷してます)

しかしそんなことは言ってられないのでやるしかない。練習ですら怖いし足がすくむ。正直、怖さとは最後まで友達だった。

だけど1つだけ自分の中で決めた事があった。それは相手チーム、最初の攻撃の1打目。これだけは絶対にキャッチしてやると。

奈良のチームは強い。そして棍棒飛ばしと言う競技を知ってもらいたい、盛り上げたいハズ。だから必ず最初は全力で飛ばしてくると踏んだ。高く遠くに飛ばせば見てる人は盛り上がるし、凄い!ってなる。それが奈良チームの士気を高める原動力になる。そこでキャッチしたらその士気を折れるしこちらのチームの士気を上げれる。

それだけは決めていた。絶対キャッチしてやるって。

まぁ長くダラダラと書いたが結果は負けた。最後、自分のミスで負けた。自分のプレー1つで勝ちにも負けにも転ぶ場面で自分は勝ちを掴みとれなかった。決めていた、初回の1打目は取れた。それは成し遂げた。自分でも相手の作りたかった雰囲気や流れを断ち切れたなと思った。その後、翔太郎さんもかなりの数、キャッチしていたしチームの他の人たちの活躍もあって僅差にまで迫った。前回は大差で負けたのに勝敗が最後まで分からなくなるほどにまで迫った。だけどそれを全て無にしてしまう自分のミス。

あー…これぞ自分。大事な所でチャンスを掴めない。取りこぼす。結局の所、自分は半端者なんだなと叩きつけられた。なんかショックと悔しさと謎の清々しさがあった。自分に期待する事を今までより少し、やめることが出来そうだ。

でも楽しかった。怖くて不安で緊張して痛くて集中して少し先の事すら考えられないぐらいに飛んできた棍棒しか見てない自分。それに体も自分も大きな刺激を受けた。体を、自分をいっぱい使った。腕は痣になり痛みを伴っている。だけど体はそれを懸命に治そうとしていることを感じれる。何故かそれに多幸感みたいなものを感じてしまっている。

もっと自分を、体を使いたいな使ってあげたいなと思った。表現するとか何かを作るとかよりも自分を、体を使って自分が何を感じて思い考えるのか?内側に何が生まれるのか?それを見ていたいし見ていきたいなと思った。

非日常を生きた数日間。また日常を頑張ります。

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