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神奈川→尾道生口島ゼロ円ハウス→鳥取喫茶ミラクル。

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神奈川→尾道生口島ゼロ円ハウス→鳥取喫茶ミラクル。

最近の記事

最近のお話

最近はほぼ毎日、ランニングしてダッシュして公園でも少しトレーニングしてテコンドーのステップして軽く動いたり帰りは歩きで帰ってクールダウンみたいな事をやってる。 体が痛くてもキツくても毎日やる。そんなに強度の高い事ではないから毎日やっても良いと判断してる。休むことが大切だと、オーバーワークだとか言う言葉も良く聞くけどまぁオーバーワークまで大抵出来ない。自分の場合は強度も足りないし。それにそこまでに到達する間に自分の体は必ず信号を出すから。それに全て抗い続けた人間にしか到達出来

    • 自分と言う偽魔法

      昨日、東京の墨田区京島でおこなわれている大樹さんの個展に行ってきた。夜には大樹さんと小畑さん(バイオリニスト)と石倉さん(物書き)の3人による即興パフォーマンスがイベントとして開催された。 個展に顔を出した際にはゼロ円ハウスで一緒に住んでいたユキさんと久しぶりに会った。東京の地で大樹さんとユキさんの2人と同じ空間を共有する不思議さを感じて何かムズムズした。 やはり再会と言うのは懐かしさを生む。こんなことあったね、揉めたよね、バチバチしたよねなんて今では笑って話せる。これが

      • 逆算。

        小さい頃から夢が無かった。語れなかった。 それはある程度将来を考える時期に差し掛かっても変わることの無いスタンスだった。 高校生も終盤。友人達に置いてかれた。みんな将来を見ていた。焦った。 結局焦りのままに進学を決めた。 学生生活も終えてそれは突然訪れた。 就職した会社に初出勤。 心は真っ二つに折られた。その日1日だけで心を折るのは充分すぎる物だった。 なんてことは無い。就業中、心が折れた音が胸からして空を見上げたら世界が灰色に見えただけの1日。 どうやって帰

        • 3月も終わり。

          もう3月も終わり。4月1日が月曜日なんてキリが良いのか悪いのか分からない暦ですね。 神奈川に帰ってきてからそろそろ1ヶ月が経つ。相も変わらずに働いていない笑 それどころか本を作ることになった。ある程度想定はしてたつもりだったけどちょっとキツいなと思うこともある。 でも書き進められるのは自分しかいないので不安定な気分には負けていられない。何とか工夫して1時間~2時間程は書いたり、見直したりしている。 その息抜きにこうやって書いている。書く息抜きに書くことしてるとは中々おか

        最近のお話

        マガジン

        • ゼロ円ハウス
          188本
        • 読み手を意識する練習用
          2本
        • テコンドーと自分
          1本
        • 番外編
          15本

        記事

          得意。

          最近、頭の中はもっぱら「読み手を意識する文章」の事で頭がいっぱいだ。 今までに使ったことの無い身体の回路を使ってる感覚が強くて自分本意に書いていた時に比べて何倍も疲れるし文量が増えていかずで中々削られている。 それでも本当に文は変化してるのか?読み手の意識は出来てるのかは分からないものだ。 しかし最近、読みやすくなったと言われることがあった。読み手の意識が正しく効力を発揮してそうなってるのかは分からないけど何か文にも変化があるようでその意見はとても嬉しかった。 読み手

          得意。

          春と言う季節。

          ヘタレの無い綺麗なスーツとその上から羽織られたコート。 そんな人とすれ違う。 「そうか。卒業式の季節でもあるのか」と心で唱える。 夜も深くなる頃、お店の前やら時には公園やらに沢山の人が集まっている光景を目にする。 周りの目フィルターを今だけは少し解除して取り外して愉快さを振り撒いている。人によってはそれをアルコールで加速させている者もいる。 忘れていた。春と言う季節が別れと新しい門出の季節でもあると言うことを。 愉快さを振り撒くその裏に不安や寂しさを抱えているのか

          春と言う季節。

          今日1日を違う形で。

          外は雲が無く青空が広がり、太陽も強く照りつけている。だがまだ春の陽気と言い切るには体を通っていく空気は少しばかり冷たさを帯びていて、春の訪れは感じるが…と言うニュアンスに留まるぐらいの気候。 上を少し着込む。下は短パン。何ともアンバランス格好でお昼前に家を出る。 少しランニング。家から少し離れれば畑ばかりが広がる田舎道。 疲れて歩く。田舎道を歩き、火照った体には少し冷たさを帯びた空気は心地よい。鼻唄を歌いながら歩くその時間は焦りや不安から距離を置ける。たまにはこういう時

          今日1日を違う形で。

          ポエム2

          望んでもいない物を自分が望んでいると思っていることがある。 それは望まなきゃいけないと思い込んでる物。 要らないと拒否したいのにそれが許されないと思ってる。 だから望んでる自分を演じ続ける。 その自分であるから認められてる。そう思い込んでいる。 その思い込みの中で過ごす限りはどんなに悩もうが行動しようが全ては紛い物。 それらを対処しても見た目だけ変えて紛い物はいつまでも現れ続ける。 それを終わらせるには捨てたいと思ってるものをちゃんと捨てること。 それ以外に無

          ポエム2

          ポエム

          自分と向き合う事は都合の良い現実を作ってくれる魔法じゃない。 現実が変わらないことを、都合良くいかないと思う事を自分と向き合うことで全て解決しようとするその思い上がった考えが自分は自分と向き合えてると言う勘違いを生み出し、それが何もかも見えなくさせる。 そもそも自分が自分とちゃんと向き合えてると言う保証はどこにもない。 それは自分と向き合えてる気がするものなだけで実際に向き合えてるかと言う事実とイコールじゃない。 そうなりたくないと思うしそうなりたくはなかったなと思う

          ポエム

          初めての試合。

          小学校3年生頃からテコンドーを習い始めて1年も経たない頃、初めての試合に出ることになった。当時は2週間に1度しか練習が無かった。 現在の自分から思い返すと、この試合は初めてと言う事もあったのか印象深く、そして1番試合その物に集中出来てたと今でも思う。この集中の度合いはテコンドーを続けてきた今までの十数年を振り返っても、初めて出たこの試合に勝るものは無いと思ってる。 試合当日… 時間ではなく、トーナメント方式で試合が進んでいくこの過程で自分は試合の番までのカウントダウンを

          初めての試合。

          質問から思い起こされた回想。

          度々自分のnoteに登場する。冨田くん。関西出身で去年の春まで鳥取で一緒のシェアハウスに住んでいた同居人。 大学卒業してすぐに鳥取に来た彼。その後、1年間を鳥取で過ごした後に地元関西に帰っていった。今はサラリーマンをしているらしい。 1ヶ月ほど前に自分が神戸に居たので冨田くんとはそこで約1年ぶりの再会を果たしている。そこでの彼への印象は上の記事の通りだ。 そんな彼へ最近、質問をした。「冨田君から見て俺ってどう見えてる?」と。実を言うとこれは他の人にも聞いている。 自分

          質問から思い起こされた回想。

          練習。

          先程まで、神奈川に帰ってきてから初のテコンドーの練習に行ってきた。 やはり体とは不思議で凄くて楽しくもあり、苦戦と理解に苦しむ事も多かった時間だった。でも理解に苦しむことや出来そうで出来ないことに苦戦すると言うのは喉元過ぎれば嬉しくもあり楽しくもあり面白くもある。使われてない自分の体の中の道が開拓されるような、大袈裟に言えば知らなかった自分を見つけるような感覚がある。 練習も終わり、先生に交通の便が良い駅まで車で送ってもらってる最中に先生と話していた。 神奈川を飛び出し

          練習。

          普通とか天才

          最近、ある小説?みたいなのを読んで心に入ってきた。 その小説は主人公の両親が共に天才的な小説家。主人公も小説を書いてはいた。しかし自分には才能が無いと、才能の無い平凡な自分が好きではなかった。 中学生の頃、上京して小説を書くも1冊しか書けず、その本もあまり売れなかった。諦めるように高校に上がる頃には地元に戻ってきていた。 しかし主人公には特殊な能力があった。読んだり自分が書いた小説の登場人物になりきれる。料理人の事を書いたり読んだりすれば料理が作れる。俺様系の事を書いた

          普通とか天才

          言葉、文章に対しての感覚。

          何かを書きたいなと思った時、思う時。それは少しばかり沈んでる時。アッパーなテンションの時は全く書きたいと思わないし何も浮かんでこない。 多分アッパーなテンションで現実を生きて、そこで集めた物を沈んでる時に整理して書くことが良いサイクルだと思うんだけどこのサイクルを正しく回すのが簡単ではない。 大抵は沈みすぎたり、沈む時間が長すぎたり、アッパーに浮上出来ずに集まる情報も減り、沈み続けた自分が書くものは暗く湿度高く尖っている。かといってアッパーな日々を過ごしすぎて情報だけが集

          言葉、文章に対しての感覚。

          不安に苛まれてる。

          思えばずっと芯が無い。何かをするのに大切な核みたいなのが。 小さい頃から夢もやりたいことも書けなかった。無かった。思い浮かびもしなかった。 野球選手やらサッカー選手やらと夢を言う同級生は多かった。それがなれるかなれないかを考えるのは大人になってから考えること。そう言うのを考慮しない純粋な夢を言ったり思ったりする時期ってあると思うけど自分は考慮しない純粋な夢すらも語れなかった。 結果として今、サッカー選手になってるヤツも野球選手になってるヤツも居ない。夢を叶えた同級生を俺

          不安に苛まれてる。

          自分以外。

          自分はトップを走り続ける人は何故トップに躍り出ることが出来たのか?そして今も走り続けられてるのか?時々考えていた。 例えて言うなら自分は乃木坂が好きだから冠番組とかぐらいはチェックするけど毎回、新曲が出る度にその楽曲に参加できるメンバーが発表される。そこに選ばれるか選ばれないかでメディアの露出回数にもかなりの差が生まれる。 その中で毎回、数人入れ替わりはあるけれど大半が固定されている。やはり人気メンバーと言うのは居る。言い方が悪いかもしれないがそんな入れ替わり付近のことな

          自分以外。